■<前進の声>(内村鑑三)
エホバ、モーセをもってイスラエルの人々に命じたまいけるは、
「なんじら、前に進め」(出エジプト記14-15)と。
しかしてモーセがエジプトを去ってカナンに向かいしがごとく、
パウロがユダヤ教を去って福音を唱えしがごとく、
ルーテルが天主教を去って新教を創(はじ)めしがごとく、
ウェスレーが聖公会を去ってメソジスト教会を建てしがごとく、
ジョージ・フォックスがすべての教会を去って教友相互の愛を説きしがごとく、
余輩もまた今のいわゆる半死半生の新教諸教会を去って、
さらに新鮮なる自由の境土に向かわんかな。
前に進まんのみ。
餓死を恐れず、 単独を恐れず、 失敗を恐れず、 破滅を恐れず、
前に進まんのみ。
★★★
【神の愛=主イエス・聖霊】と活きる実感は【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】による<前進>です!
【神の愛=主イエス】との【信仰:信愛・信頼・信従】で【礼拝:★讃美★祈求★感謝】することで、
無限大!の【ダイナミック・パワー:堅信力・耐望力・熱愛力】と<一日一生!日々新た>な
【バイタリティ:生活力=生命力+活力】によって、私の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】は
<パワー・アップ&アップ・グレード>されて、<不屈の楽天主義・楽観論>の
【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】に燃え盛り、
【フロンティア精神:★チャレンジ精神★ポジティブ/プラス思考★オープン・マインド】に満ち溢れて
【ビジョン:理想・夢念・大志】を<人生の旗印>に前進あるのみです!ハレルヤ!
●<希望と前進>
人は希望的動物なり。
彼にありては前を望むは自然にして、後を顧るは不自然なり。
希望は健全にして、回顧は不健全なり。
●後にあるものを忘れ、前にあるものを望み(ピリピ書3-13)」と
罪を忘れ、病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、
神と、生命と、成功と、愛とに向かって進まんのみ。
●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、一切の重荷とからみつく
罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競争を耐え忍んで走りぬこうではないか。
信仰の導き手であり、また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか
(ヘブル書12‐1~2)
●後のものを忘れ、前のものに向かって体を伸ばしつつ、目標を目指して走り、
キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与(栄光)を得ようと努めている
(ピリピ書3-13~14)
●なおも神の御手に御心に逆らわず、
勇気と希望をすこしも捨てぬ。
私は静かに耐えまっすぐに前進する(ミルトン)
皆さんが【神の愛=主イエス】と共に【ビジョン:理想・夢念・大志】を<人生の旗印>に高く掲げて
<前進>し続ける事を心より応援しています!
●目をまっすぐ前に注げ。あなたに対しているものに、まなざしを正しく向けよ。
どう足を進めるかを計り、道筋に心を配るなら、あなたの道は常に確かなものとなろう。
右にも左にも迷い出てはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ(箴言4-25~27)
●進め。どこまでも進め。
前途を疑惧せずして進め。
倒るるも退(ヒ)くなかれ。
明日は今日よりも完全なれ。
明年は今年よりもさらに一層勇壮にして、快活にして、謙遜にして、独立なれ。
進化の宇宙に存在して、退く者は死する者なり。
安全は退きて求むべきものにあらずして、進みて達すべきものなり。
歓喜(ヨロコビ)と満足とは前にありて、後ろにあらず。臆病者に平和あるなし。
進め、どこまでも進め(内村鑑三)
●わたしの考えは、いつも前進するということです。
もし神が人間の後退をお望みならば、人間の頭のうしろに目を一つだけおつけになっていたでしょう
(ユーゴ)
●事実がたとえわかっていなくとも、とにかく前進することだ。
前進し、行動している間に、事実はわかってくるものだ(フォード)
●間違いと失敗は、われわれが前進するための試練である(チャニング
●人類は絶えず進歩する。この前進運動は信仰の分野にもあらねばならない(トルストイ)
●予は常に青年の失敗を興味をもって見ている。青年の失敗こそは、彼の成功の尺度である。
彼は失敗をどう思ったか、それから彼はどうしたか。
落胆したか。引退したか、あるいは更に勇を鼓して前進したか。
それで彼の生涯はきまるのである(モルトケ)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!