【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【祈祷の勢力】で導く【神の愛】!

【2011年3月20日に作成した<第557回>に加筆】
◇◇【祈祷の勢力】<尖兵>で民族救済に導く【神の愛=主イエス】!◇◇

●今しばらくの間、祈りと心の目覚めをもって耐え忍ぶがよい、あなたの家族や親しい
人々のためにも。そうすれば、きっとあなたの最良の時が来る(ヒルティ)
●目を覚まして、感謝を込めて、ひたすら祈り続けなさい(コロサイ書4-2)
●思案したり、心配したりせずに、祈りかつ働くことが、どんな困難な状況にあっても、
正しいやり方である(ヒルティ)

ご存知のように、日本は大震災と津波原発事故に遭遇して国難の大危機にあります。

9・11事件に遭遇した時に米国三大ネットワークは、子供の心的ショックを心配して
事故の悲惨な映像を放映するのを自粛しました。

そしてCNNを中心にして様々な宗派の宗教家や精神カウンセラーを番組に招くことで
直面する国難に信仰精神の意義を考えたり、苦難を克服する精神的ケアに熱心でした。

一方で。日本のTV・ラジオでは、一日中悲惨なシーンを繰り返し放映し続けながら、
原発事故報道に熱心です。

番組の出演者は「先ずは心のケアが必要だ!」と誰もが提唱しながら、どこの番組でも
宗教家や精神的カウンセラーが出演して発言するのを見聞きすることがありません。

カトリックローマ法王ギリシャ正教でも、日本のためにミサを行っていることを
地上波大手メディアで報道されなったようです。

プロ野球の開幕時期や高校野球の開催について論議されていますが、日本民族のために
励ましや勇気を与えるためならば、先ずは相撲の復活ではないでしょうか?
これほど徹底して信仰や宗教色を出さないようにしているのは不思議に思われます。

このような態度は日本民族が信仰精神を軽視しているからだと決め付けていましたが、
以前の私も含めて日本民族は信仰精神が欠如しているのではないと、最近理解しました。

私自身も日本人の多くは、「こんな私の祈りを神様・仏様は聞いてくれるだろうか?」
「祈っても願いがかなわなかったら、どうしよう?(見捨てられたら、どうしよう?」
と感じて、最後の最後まで<祈り><信仰>の話題を控えているのだと思います。

まさに【主イエス】が「山上の垂訓<天国の道徳>」で教示したことを思い出します。

●【山上の垂訓:神の国の福音・天国の道徳(マタイ伝5‐2~12、ルカ伝6‐20~23)
◆心に貧しき者は福(サイワイ)なり、天国は即ちその人の有(モノ)なればなり。
◆哀しむ者は福なり、その人は安慰(ナグサメ)を得(ウ)べければなり。
◆柔和なる者は福なり、その人は地を嗣(ツ)ぐことを得べければなり。
◆飢え渇くごとく義を慕う者は福なり、その人は飽くことを得べければなり。
◆あわれみある者は福なり、あわれみを得べければなり。
◆心の清き者は福なり、その人は神をみることを得べければなり。
◆和平(ヤワラギ)を求むる者は福なり、その人は神の子と称(トナ)えらるべければなり。
◆義(タダシ)きことの為に責められる者は福なり、天国は即ちその人の有なればなり。

「心に貧しき(心の貧しき)者」として【神の愛=主イエス】に頼るのは恐れ多いと思い
耐えがたき<患難辛苦>に「哀しむ者」であり、過酷な境遇にも「柔和なる者」であり、
【真理=正義】の【神の愛=主イエス】を確信できず「飢え渇くごとく義を慕う者」、
受難者に共感し同情する「あわれみある者」とは、日本民族の現在の姿だと実感します。

日本民族精神の支柱として【神の愛=主イエス】を素直に受け入れられないからといって、
【神の愛=主イエス】は私たちを毛嫌いすることはなく、私たちでも歓迎する証です!

●神は人を分け隔てはしない(ロマ書2-11)
●これらの小さい者の一人が滅びることは、天に在ますあなた方の父の御心ではない
(マタイ伝18‐14)

私たち日本民族の多数派は【神の愛=主イエス】に【信仰:信愛・信頼・信従】しないで
特攻精神で<患難辛苦>に突進する覚悟のようです。しかし、心配御無用です!

これからさらに内外共に増強化する日本民族精神の存亡の危機に直面する事によって
【信仰:信愛・信頼・信従】に目覚め「心の清き者」として【神の愛=主イエス】を見出し、
【神の愛=主イエス】と共に決起する「和平を求める者」<主の兵卒>に召集される事で
この闇深き世界に対決する<聖戦>に参戦して【神の愛の力=隣人愛&奇蹟】で光輝かせる
【愛と自由の戦士:義勇軍・神の僕・忠義の愛子・光の子】として日本民族も活躍できる
絶好のチャンス到来です!

●どんな幸福な生活にも数多く起こる試練や心労を、堪えがたい重荷だと考えるか、
それとも自分の生活原則を実行し修練するために、神から授けられた機会だと見るかは、
ものごとの感じ方として大きな相違である。
そして、この感じ方次第ですべてが決まるのである(ヒルティ)

私たち日本民族が民族的開花するには【神の愛の方程式=摂理】に従う必要があります。
それは植物を観察すると事でも理解できます。花が開くには一気に満開にはなりません。
先ずは一輪だけが、安全への道を拓く<尖兵>として決死の覚悟で開花するのです。

●諸民族を、その間違った道から神の信仰へ連れ戻すために苦難の時代が
やって来なければならない場合に、普通神は先ず幾人かの個人に苦難をなめさせ、
そのあとでこれらの人たちが、その他の人々に向かって自分達の経験に基づくゆえに
確信をもって教え説くことができるように導き給う。そうすれば、この先駆者たちは
一般の人々の苦難の時にも勇気を失う事なく、なお救われる見込みのある者を
励ますにちがいない(ヒルティ)

時には強風や様々な災難に遭って散らされてしまう事もあるでしょう、すると翌日には
別の一輪が勇敢な尖兵となって花を咲かせ、満開への道を切り拓けるまで感動的ドラマが
繰り返されています。

私たち日本民族精神が【神の愛=主イエス】に立ち帰って、素晴らしい<花>を咲かせて
満開するにも民族的殉教者が不可欠であることが神の愛=主イエス】の<天意>であり、
<事の先後>【神の愛の方程式=摂理】であることを覚悟しなくてはなりません。

●<神の教示>(内村鑑三
多く学ばんと欲すべからず。
神に教えられんと欲すべし。
さらば神はあるいは書籍によりて、あるいは天然によりて、
あるいは霊の黙示によりて、われらが学ぶべき事を、
われらが学び得るだけ、われらに教えたもうべし。
●<天意の遂行>(内村鑑三
神と天然とはついに欺くべからず。
威をもってするも、術をもってするも、
神はついにその意志を曲げず、天然はついにその法則を改めず。
知者いずこにある。暴人、何事をかなさん。
天意はついにおこなわれて、譎計(きっけい)は失敗に終わらん。
感謝すべきかな。
●<事の先後>(内村鑑三
難き事は先になし、易き事を後にせよ。
易き事を先になして、難き事はついになすあたわざらん。
深き事を先に極めて、博き事を後に求めよ。
先に博き者はついに深き者たることあたわざらん。
博きは倒れやすし。長く保つものは深きものなり。
始めより広闊(こうかつ)を叫ぶ信仰に、長く保つもの少なし。

日本民族の多数派が【神の愛=主イエス】に【信仰:信愛・信頼・信従】しない現在に
日本民族精神を【神の愛=主イエス】に立ち帰らせる<尖兵>は私たち一人一人です!

世間の多数派は「君は一人じゃない!」と励ましますが、【神の愛=主イエス】と共に
在る私たちは「【神の愛=主イエス】は君と<いつも一緒!>」だと紹介しましょう!

●インヌマエル:神われらと共にいます (マタイ伝1‐23、イザヤ7‐14、8‐8)
●見よ、私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる
<Always,with you> (マタイ伝28‐20)

【神の愛=主イエス】は【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】の
【助け主】は【聖霊(の神)】であり、当時ギリシャ語で【アロス・パラクレイトス】と
現される存在であり、私たちの【霊性:魂[勇気]・善意・良心】と共に存在します。
★アロス  =(主イエスと)別で全く同質な
★パラ   =かたわらにいる
★クレイトス=助言者、慰め主、支援者、激励者、とりなし、弁護者

●私は父にお願いしよう。そうすれば、父は別の助け主を送って、いつまでもあなた方と
共におらせて下さるであろう(ヨハネ伝14‐16)
●それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、
それを受けることができない。 あなた方はそれを知っている。
何故なら、それは あなた方と共におり、また、あなた方の内にいるからである
(ヨハネ伝14‐17)

そして、<いつも一緒!>【神の愛=主イエス】は<真の友>として励まし慰めてくれ
私たちの<最高!最善!最美!>の<人生の伴侶>【同労者・同志】になってくれます!

●<友人としての神>(内村鑑三
神は善き友人である。第一等の友人である。彼に祈祷を聞くの耳がある。
恩恵を施すの手がある。神は名ではなく実である。
道理ではなく性格である。帝王ではない友人である
●御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。
なぜなら、私たちはどう祈ったらよいかわからないが、
御霊自ら言葉にあらわせない切なるうめきをもって、
私たちのためにとりなし祈ってくださる(ロマ書8-26)

【神の愛=主イエス】から<尖兵>の私たちが託された【ミッション:使命・天職】は
【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】の【礼拝:★讃美★祈求★感謝】の実践です。

●【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】
いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
(テサロニケ前書5‐16~18)
●<修養と祈祷>(内村鑑三
修養は、神によらずして自ら高くのぼらんとするの法なり。
祈祷は、神によって直ちに潔められんとするの途なり。 
修養は人の法にして、祈祷は神の途なり。
われらはプラトン、シセロ、孔子王陽明にならって聖人君子と成らんと欲せずして、
パウロアウグスティヌス、ルーテル、クロンウェルにならって
クリスチャンたらんことを願うべきなり。

<祈祷>【礼拝:★讃美★祈求★感謝】が<霊的呼吸>のように生命の一部にする事で
一日の始まりも終わりも、いつでもどこでも<最高!最善!最美!>の<労働>にして
【神の愛=主イエス聖霊】を【霊性:魂[勇気]・善意・良心】と一体化させましょう!

●近代人が運動に頼るに対して、クリスチャンは祈祷に頼る(内村鑑三
●絶えず祈るべし、祈祷をもって生命となすべし(内村鑑三
●仕事は、すなわち祈祷(礼拝)なり(内村鑑三
聖霊は神がその子の善行に報いんがために下し給う【最大の恩賞】である。
★倫理の霊★柔和の霊★赦免の霊★犠牲の霊★子たる霊
研究によって霊欲を起こし
祈祷によってこれを呼び求め
実行によってこれを獲得する
実行はまことの最も有力なる祈祷である(内村鑑三

日本民族精神が直面する未曾有の大災害の危機を【神の愛=主イエス】に立ち帰るための
絶好のチャンスとするために、皆さんが世間的少数派の<尖兵>【祈祷の勢力】となって
<不屈の楽観・楽天主義>【パッション:受難覚悟の情熱・熱血・気迫】心意気をもって
活躍される事を心より応援しています!

●<祈祷の勢力>(内村鑑三
世の大事業と称えらるるものは皆祈祷の力によりて成りしものなり。
祈祷の力によらずして建てられし国家は虚偽の国家にして
永久不変の基礎の上に据えられしものに非ず、
祈祷の力によらずして成りし美術に天の理想を伝うるものあるなし、
祈祷は精神的生命を得る唯一の秘訣なり
●わが祈祷が聴かれないと言う時に、祈祷以上が聴かるるのである。
祈祷が聴かれないのではない。我等が祈求むるところ、思惟うところよりもいたく
過(まさ)りて聴かるるのである(内村鑑三
●すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。
そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、
また祈りなさい(エペソ書6-18)
●我に糧あり、聖書なり。我に力あり、祈祷に存在す。
我は単独にして世界を相手に戦いを得るなり(内村鑑三