◇◇【ビジョン:理想・夢・志】を抱かせる【ノーブル(高気な品性)】(その1)◇◇
【2003年6月17日に作成した<第307回>より】
●【ノーブル(noble)とは(内村鑑三)
◆理想を抱懐してこれを実行せんとする勇気
◆世人が為し難しと信じることを、あえて為さんとする気品
◆平凡なること俗なることの反対にして、理想を信じ大胆に
これを事実ならしむること
●汝の真価は汝の品性に存す、汝の財産に存せず。
汝の品性は終いに汝の行動に現わるべし(トマス・デビッドソン)
●汝の善行をして職業的たらしむるなかれ、これをして汝の品性の
天真ありのままの発動たらしめよ。ゆえに第一に品性を養うべし(トマス・デビッドソン)
以前にも紹介しましたが、【キリスト精神】にあって【神の愛=隣人愛】と共に
高き【ビジョン:理想・夢・志】を抱けることも【ノーブル(高気な品性)】だと
思います。
中世貴族には【Noblesse oblige】(ノブレス・オブリジェ)といって、
有事には先頭に立って戦うなど、高い身分には義務と責任があったとも聞きます。
前回も紹介した「求められるリーダー」として、そして権威・権限ある者として
企業・組織のトップが全組織一丸となって【ビジョン】直視するための行動にも
【ノーブル(高気なる品性】が求められると思います。
たとえば、日本の自動車業界では日産や三菱やマツダなど多くの企業で外国人が
企業トップになることによって興味深いことが次々と起きました。
日産ゴーン社長が収益を復活させた大活躍は有名ですが、私が一番印象深いのは
就任後すぐに全国の販売店を訪問したことです。全店訪問した社長はゴーン氏が
初めてだったそうです。全国の全店に立ち寄るだけでも、数ヶ月はかかるために
恐らくこれまでは実現されなかったのだと思います。
日本の組織でよく見受けられる光景なら店長など一部幹部への形式的・儀礼的な
訪問で終わでしょうがゴーン社長は違いました。自分から進んで現場の女性にも
近づき話しかけ、気さくにスナップ写真に応じるなどアット・ホームな訪問でした。
改革を目指すには、社長というトップから【現場主義】【共感主義】を重視して
心を一つに、思いを一つにすることで【チーム・スピリット】を築き上げようと
したのだと私には感じました。彼がカトリックであった事に由来すると信じます。
●同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つの思いになって
私の喜びを満たして欲しい(ピリピ書2-2)
●キリストの名によって、あなた方に勧める。みな語ることを一つにし、
お互いの間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、
堅く結び合って欲しい(コリント第1書1-10)
●喜ぶの者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい(ロマ書12‐15)
顧客からのクレーム隠しの不祥事で社会的信頼も自信も失われていた三菱自動車の
再建にやって来たドイツ人の社長にも興味深い行動がありました。
ドイツのベンツ社と三菱との技術を合わせた再建の命運を託す「新車」の試乗会に
社長が工場にやって来て自らが試乗したのです。工場スタッフにとっては驚きです。
それまでの社長は誰も工場を訪問した事も、試乗した事もなかったからだそうです。
工場スタッフ全員を集めると、社長は出来たての「新車」を絶賛して褒めちぎります。
そして、彼等の努力を称賛して感謝して、さらなるチャレンジへと駆りたてるのです。
欧米人が得意とする「誉め上手」で「共感上手」な【ノーブル】な態度だと思います。
◆Good job!◆You can do it!◆I trust you!
工場の技術者は社長から直接に認められ称賛された事に感激したようです。彼等の心に
【やる気】とチャレンジへの勇気が湧きあがったことは言うまでもありません。
低迷の続くマツダにしても、外国人社長ならではの素晴らしい決断と実行がありました。
それは、マツダに誇りと自信を取戻させるための【原点回帰】へのチャレンジでした。
当時だれも成し遂げられなかった世界初の「ロータリー・エンジン」を21世紀に見事に
復活させたのです!
排気ガス規制が強化され、しかも「ロータリー・エンジン」は燃費が悪いとレッテルを
はられて、自ら生産を断念して【ビジョン】を見失ったマツダは、自信と誇りまでをも
失ってしまった【どん底状態】だったといえるのでしょう。
まさに【気高き理想】を棄てて、世間の流れに身を任せようとして、かえって本来の
【あるべき姿】まで見失ってしまった実例ではないでしょうか。
日本の自動車業界で起きている出来事を単なる企業の経営問題としてだけ見るのでなく、
私たち個人の【生き方】への重要な参考例になると私は痛感しました。
つまり、個人でも組織でも社会や民族・国家であっても【ビジョン:理想・夢・志】を
常に掲げて、自己にも【隣人・社会】に対して、常に信頼と尊厳と誇りを抱けるような
【キリスト精神=隣人愛】に通じる【ノーブル(高気な品性)】が必要不可欠と信じます。
●汝の全力を尽くして汝自身の最高の理想に縋すがるべし。富、地位、人望を
称するが如き世俗の目的に迷わさるるなかれ。汝は汝自身たるべし
(トマス・デビッドソン)
●最善の労働者とは最も多くの仕事をする者でなくして
最も貴重な動機をもって仕事をする者である(二宮尊徳:内村鑑三の言葉より)
●【健全なる思念】
事業の困難を思うべからず、また我の弱きを思うべからず。
神の全能なるを思うべし、その恩恵の無限なるを念ずべし。
さらば、事業の困難は失せて我等は強き者とならん(内村鑑三)
自信や誇りを無くし【ビジョン】を見失ってしまった組織を改革・改善させるための
リーダーが為すべきことは、先ずは組織に属する個人個人の自信と誇りと互いの尊厳を
復活させることであり、【ビジョン】への【原点回帰】させることではないでしょうか。
日本の疲弊していた自動車業界の企業を立て直しにやって来た欧米人のリーダーたちは
共通して【ビジョン』直視の【原点回帰】に導いて成功に導いたといえるからです。
そして、彼等は権威者・最高権力を持つリーダーとして、【共感主義』【現場主義』を
自ら進んで推し進めたと感じます。トップだからこそ【現場の気持ち】に共感する事は
【キリスト精神】そのものであり【ノーブル】な態度といえるでしょう。
●喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
互いに思うことを一つにし、高ぶった思いを抱かず、
かえって低い者たちと交わるがよい。
自分が知者だと思いあがってはならない(愛の十戒:ロマ書12-15~16)
●あなた方の間で偉くなりたいと思う者は、仕える者となり、
あなた方の間でかしらになりたいと思う者は、全ての人の僕とならねばならない。
人の子(救世主)が来たのも、仕えられるためでなく、仕えるためであり、
また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである
(マルコ伝10‐44~45)
欧米人のトップが最前線である販売店の店員や工場の技術者個人個人の所まで出かけ
自ら近づいて彼等を直接的に励まして、トップの望む【ビジョン】を訴えたこととは
彼等個人個人が【タレント:個性・才能・可能性】を思う存分に最大発揮できる為の
充分な環境と【チャンス】を提供したのだと思います。
●私たち一人びとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばす
べきである(ロマ書15-2)
つまり、言い換えるならば、もう上司や組織のせいだと言い訳や申し開きを許さない
厳しさも兼ね備えた「優しくて強い」態度であるともいえるのではないでしょうか。
過去の一切の失敗も組織内の怨恨も忘れて、前進あるのみ!を宣告したのです。
●罪を忘れ、疾病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、神と生命と成功と愛とに
向かって進まんのみ(内村鑑三)
●汝ら前に進まんのみ(内村鑑三:出エジプト記14-15)
前に進まんのみ、餓死を恐れず、単独を恐れず、失敗を恐れず、破滅を恐れず
前に進まんのみ
●上を見よ、下を見るなかれ
前を見よ、後ろを見るなかれ
外を見よ、内を見るなかれ
しかして、人に手を貸すべし (エドワード・へール)
常に【ビジョン】直視である【ノーブル(高気な品性)】を保つ事は容易ではありません。
【キリスト精神】の【ノーブル(高気な品性)】とは、貴族的な贅沢さと甘美さのような
単に上品なマナーや会話ができる教養があるということではないと私は理解しています。
自己の現存する【タレント:個性・才能・可能性】を出し惜しみせずに最善発揮できる
【ビジョン:理想・夢・志】を常に大切にして実現を目指し続ける意欲や勇気や決断を
【ノーブル(高気な品性)】だと思うからです。
★★【その2】につづく★★