【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

<ユビキタス>の【神の愛】【3】

◇◇ユビキタス:【神の愛の摂理】はどこにでも示され現わされている(その3)◇◇
【2005年7月8日に作成した<第338回>より】

★【その2】のつづき★★

「宇宙人存在説」にも【神の愛の摂理】が示されています。宇宙人は何故に必要なのか?
あまりに人間が横暴で忘恩で高慢であり、【この世】を導き救済するには「人間」では
もはや不可能であり人間を超えた叡智と能力ある「超人」を捜し求める【心の欲求】が
「宇宙人」の存在を望んでいるのだと感じます。

両親が牧師であったニーチェが「神は死んだ」と問題提起して「超人」を求めたのも
キリスト教会主義に嫌悪感を抱いて、不義堕落の教会が独占する【救世主イエス】に
【真理】として受け入れられず、教会権威の外に【救世主】を捜し求める【衝動】が
「宇宙人」「超人」「偶像崇拝」を産み出していると私は実体験から理解します。

NASAの最先端分野では以前紹介したように、たとえ宇宙に無数にある太陽系でも
地球のような生命誕生の条件がそろっている惑星は確率的に存在しない事が判明した
ようです。

地球が誕生し維持存続するために全宇宙が必要不可欠である事を私は信じる一人です。
何故なら、この地球こそが【最善】であると【聖書】は明確に示しているからです。

●神その造りたる全てのものを観られて「はなはだ善し!」とされた(創世記1‐31)

特に「宇宙人」の存在を必要とするのは、人間社会の汚い権威とは一切無縁無関係で
潔癖で無実な【新たな存在】を【救世主】として人々が強く求めたからだと思います。

つまりどんな【個人・迷える子羊】でも【救世主・善き羊飼い】が必要不可欠である
証明だと理解できます。私たちは偶像崇拝であろうと誰かを【救世主】として求める
生まれながらに【真理】を求めて【故郷】を求めることが性分であると理解できます。

そして、私自身もそうであったように、人間や権威や超人・超能力など神秘的世界に
【魂】の救いを求め【偶像崇拝】に陥りながら、やがて【主イエス】に導かれる事を
私は自分の実体験から感謝し心から信じています。(イザヤ書42-1~4、マタイ伝12‐18~21)

●私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、
 力ある者も、高い者も深い者も、その他どんな被造物も、私たちの
 主キリスト・イエスにおける神の愛から私たちを引き離すことは
 できないのである (ロマ書8‐38~39)
●我は逃れんと欲して、我が神の恩恵の手より逃れることはできない。
 神は奈落の底にまで、神の手を拡げて我を支え我を救い給う
 (内村鑑三詩篇139‐7~8)

【神の愛の摂理】によれば、【この世】に必要不可欠な【救世主・善き羊飼い】とは
私たちと全く無関係で人間とは異なる地球外の【超人・宇宙人】を定めませんでした。
何故なら、【神の愛】は【地球】をこよなく愛し、【人間】こそが【神の似姿】にと
造り上げたからです。

●神は御自分の形において人間を型どられ、御自分に似るようにと男女を造られた
 (創世記1‐27)

私たちと同様なあらゆる【人生の苦難】を【試練】として経験しても、なおも清くて
本来の【罪無き人間】として復活できることを【先駆者】として私たちに教え示した
【新しい人間】の誕生であり、【第2(最後)のアダム】といえます。(ヘブル書6-19~20)

●主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを
 助けることができるのである(ヘブル書2‐18)
●この大祭司(主イエス)は、私たちの弱さを思いやる事のできないような
 方ではない。罪は犯さなかったが、すべてのことについて、私たちと
 同じように試練にあわれたのである(へブル書4‐15)

【神の愛の意志と計画】では完全無欠の近寄りがたき【スーパー・ヒーロー】ではなく
悪党の弱小者の私自身でも身近に思えて私も見習って信仰に生きよう!と勇気と希望を
与えてくれる世界中の老若男女にとって【最善・最強の存在】を与えてくれたのです。

私自身が弱くて無力だからこそ、日々新たに【バイタリティ:生活力=生命力+活力】が与えられて
【神の愛】と共に【ビジョン:理想・夢・志】を抱き【真・善・美】を求めて生きる事ができるのです!

●人もしキリストに在らば、新たに造られる者なり。古きは既に過ぎ去り、見よ、
 新しくなりたり(コリント後書5‐17~18)

真っ黒の【泥だらけの人生】そのままで【魂】が救われて【ビジョン】直視の生き方が
できることを信じましょう!「宇宙人」を待つことなく今すぐにチャレンジできます!
(ペテロ第1書5‐10)(テモテ前書6‐20)

●イエスと共にある者は;
  ◆青春の詩的理想を持続することができる
  ◆単純にして一貫せる生涯を完全に遂行できる
   ★平民の友★自由の主張者★理想の追求者 
 にしてその
   ★実行者★大革命家★大詩人★大預言者内村鑑三)  
●【キリストの福音】(内村鑑三
 「汝、己を潔くせよ、さらば我は汝を救わん」と言わず、
 「我すでに汝を救いたれば、汝、我が救拯(キュウジョウ)を受けよ」と言うなり。
 道徳の結果の救拯(キュウジョウ)にあらず、救拯の結果の道徳なり。
●神が私たちに下さったのは臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである(テモテ後書1‐6)
●我に糧あり、聖書にあり。我に力あり、祈祷に存ずる。我は単独にして世界を相手に戦いうるなり
 (内村鑑三

「前世・輪廻思想」「オカルト・怨霊」にも、私たちを【神の愛の摂理】の存在に
通じる【見えざる存在】が示されている点では「唯物論」よりも救いにあります。

何故、「前世」や「この世での生まれ変わり」「怨霊」などが必要なのでしょうか?

それは自分の人生が「自分の思い通りにならない」「人生に不条理を感じる」からだと
思います。私たちがコントロールできない「宿命・怨霊」を感じたり「前世の因縁」と
考えるのは、この世は「自分勝手に生きられない」理由を捜した結果だと思えます。

「前世」には運・不運があって、自分の都合では決められない「不条理領域」であり、
結局あきらめるしかありません。「よし!来世で生れ変わって人生やり直そう!」と
思う事で前世のマイナスを来世のプラスに転じさせるならば、前向きな【生き方】も
可能ですが、消極的・悲観的・厭世的で用心深い【生き方】になる危険も一杯です。

「前世」は【神の愛】を感じる【入り口】であって【神の愛】から遠ざかる方向では
ないと私は理解しています。「前世・怨霊」を突き抜けて【神の愛】に至りましょう!

【キリスト精神】においても「前世」に通じる【アダムの原罪】の存在があります。
ご存知のように【神の愛】に背を向けて【善悪の判断】を得た【アダムの原罪】は
私たちが生まれつき持っている【エゴ:自己愛・自己中心】として現われています。

しかし、「前世」のように自分では身に覚えが無いまま運・不運が決定された境遇で
自分ではコントロール不能の「宿命」や「怨霊」とは異なる存在だといえるでしょう。

【アダムの原罪】である【エゴ:自己愛・自己中心】は【神の愛】に反するのでなく
「自分が大切で大好き!」という強健な【エゴ:自己愛・自己中心】にまで育てれば、
一度の人生を華々しく自分を最善発揮したい!衝動が【神の愛】に導いてくれます。

●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりに
 すべきである。神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)
●あらゆる存在は、その特性に従って自己を発展させ自己を実現する生まれつきの
 衝動を自分のうちに持っている(ヒルティ)
●【忘己利他】
 悪事(アシキコト)は己に受け
 好事(ヨキコト)は人に与う
 己れを忘れて他を利する
 慈悲の極みなり (最澄) 
●キリストの愛神主義は利他・利己両主義の上に超越し、最も多く他を利して
 最も多く己を利する道を我に教えたり(内村鑑三

【この世】での高慢・忘恩・独善的【エゴの生き方】の「戒め」に有効な存在こそが
「前世・怨霊」であるように思われます。まさに【十戒】に通じる存在だと思えます。

【神の愛】は【ミッション:使命・天職】と【タレント:個性・才能・可能性】とを
私たち各自に【完全・最善の賜物】であり【無償ギフト】として提供してくれている!
ことを信じましょう!そうすれば一切の心配ご無用です!安心して前進あるのみです。
(ヤコブ書1‐22)

●あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から光の源である天の父から来る
 (ヤコブ書1‐17)
●心に植えつけられた御言葉を素直に受け入れなさい。御言葉にはあなた方の魂を
 救う力がある(ヤコブ書1‐21)
●成功の秘訣とは目的に対する不動の心である(ディスレリー)
●大切なのは、偉大な意欲をもち、それを貫くだけの技量と堅忍力とをもつことだ
 (ゲーテ

【罪】の報酬として与えられた「前世・怨念」の恐怖や不安に束縛されることからも
【主イエス】は私たちを自由解放してくれる最善最強の【救い主・助け主】であると
信じましょう!(出エジプト記14‐15)

●後ろにあるものを忘れ、前にあるものを望め(ピリピ書3-13)
●罪を忘れ、疾病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、
 神と、生命と、成功と、愛とに向かいて進まんのみ(内村鑑三

そして、「進化論」にも示されている「生命体」として【最善理想】の【生き方】は
世間的には愚かで無謀な【現実的不可能】の【ビジョン:理想・夢・志】を祈念して
たとえ自分の生涯で実現されずとも、後世の世界の進歩のために、平和実現のために
【不可能】を【可能】に導く【神の愛の奇蹟】を起こそうではありませんか!
(ロマ書8‐18)(使徒行伝14‐22)

●多くの人が沢山の涙と大変な労苦を重ねて、やっと得たものを、お前は
 すぐに得ようと欲するのか。主を待ち望みなさい、雄々しく振る舞い、
 勇気をしっかり持っていなさい。孤疑せずに、逃げ出さずに、心身を
 いつも変わらず神の栄光へとささげなさい(トマス・ア・ケンピス)
●我々が神の国に入って行くには多くの苦難を経なければならない
●快適な場所に着くまでにあなたは火と水の中を通り過ぎなければならない
 (トマス・ア・ケンピス:詩篇66-12)
●お前の意図に反しても、それは全くもう駄目というわけではない。目前の感じに
 よって物事を判断するのは間違いである(トマス・ア・ケンピス)

皆さんが日常の至る所で【ユビキタス】の【神の愛の摂理】の確かな存在を再発見して
【神の愛】に支えられながら【現実的不可能】な【ビジョン:理想・夢・志】を祈念し
【神の愛の奇蹟】を呼び起こすチャレンジで活躍されることを心より応援しています!