◇◇【キリスト精神】⇔不屈の【楽天主義・楽観論】競争!(その1)◇◇
【2005年11月4日に作成した<第390回>より】
●汝ら前に進まんのみ(内村鑑三:出エジプト記14-15)
前に進まんのみ、餓死を恐れず、単独を恐れず、失敗を恐れず、破滅を恐れず、前に進まんのみ
【聖書】の登場人物は誰でも前向きで楽天的で積極的であることに気づくはずです。信仰の祖であるアブラハムは
世間に反して、【神の愛】だけに信頼して、現状を棄てて、行き先も知らぬまま危険な【荒野】に挑んでくれたことは
【神の愛】を知る未来の私たちのためにも、万物の救済のためにも、貴重な第一歩となったことは感謝感激です!
●行きなさい、あなたのために、あなたの地(国)から、あなたの親族から、あなたの父の家から、私があなたに示す地に向けて
(創世記12-1)
【神の愛】が、世間からは酒飲みに過ぎないノアが選ばれたことも、アブラハムが選ばれたことも、若きヨセフが選ばれたことも
彼らに共通するのは、不屈の【楽観主義者・楽観論者】であったことです。
世間的常識において【最悪の状況】にあっても、【闇】の中にも【光】なる【神の愛】を見出すことこそ【キリスト精神】です!
●私は言う。「闇の中でも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す。」
あなたには、闇も暗くなく、夜も昼も共に光を放ち、夜は昼のように明るく輝く。
あなたには、闇も光も同じで異なることはない(詩篇139-11~12)
●万事をその最善をもって解せよ、最悪において解するなかれ(内村鑑三)
●神はどんな悪も行われないようにするよりも、むしろ悪から善を生じさせるようにする方が善いと考えられたのである
(アウグスティヌス「エンギリオン」)
●善の勝利についての絶望は常に個人的勇気の欠乏である(ヒルティ)
●事物の光明的半面に着眼する者、これ信者なり。
暗黒的半面に注目する者、これ不信者なり。
信者は 常に健康を祝し、成功を讃え、 聖徳をよろこぶ
不信者は 常に疾病を語り、失敗をなげき、悪徳・罪悪を憤る(内村鑑三)
●神の恵みと助けとが示されているのは、とくに困難な時期に、いつも我々の暗い運命のどこかある一点が
明るくされることによってである(ヒルティ)
●神は善きを視るに敏くして、悪魔は悪を探るに巧みなり。神は奨励する者にして、悪魔は失望せしむる者なり
(内村鑑三)
●神の神たるは人の善きを思うて悪しきを思わざるにあり。悪魔たるは人の悪しきをのみ思いえて人の善きを思いえざるにあり
(内村鑑三)
フレンツェの大聖堂のドームが誕生したのも、その後のルネサンスの繁栄を築いたミケランジェロ、ラファエロに影響を与えたのも
建築家ブルネレスキであることが紹介されていました。
もともとブルネレスキは彫刻家を目指していました。ある洗礼堂の門のデザインを競って当然自分が採用されると思っていたのに、
残念ながら競争に落選してしまうのです。彼は彫刻家を断念します。
彼は建築家として勉強しなおしして、20年後に【ビッグ・チャンス】が到来するのです。フィレンツェの大聖堂の天井ドームです。
あまりに大きなドームであったので、従来の建築工法では、建材の軽量化が不可欠であり、誰もが不可能と思われていました。
そのため大聖堂の建築において、なんと百年以上もドーム建築だけが手付かずのままになっていたのです。
彫刻家として挫折したブルネルスキだけが、アブラハムやモーゼの如くに世間の常識では【現実的不可能】な挑戦をするのです!
彼の考案した工法は見事に大天井を支えることに成功しました。それ以降の荘厳な大聖堂にも受け継がれて行くのです!
ミケランジェロやラファエロにも霊的影響を与えたからこそ、その後のルネサンスは【楽天主義競争】となったのだと私は理解します。
●人を信じさせるものは経験である。自分も経験してみたいという願望と気分とを 起こさせるものは、
その経験をした人たちの証言である(ヒルティ)
●この望みは、私たちにとって、いわば、魂を安全にし不動にしてくれる頼りある錨(イカリ)であり、
至聖所の幕内に入いり行かせるものである。その「幕の内」に、イエスは永遠にメルキゼデクに等しい大祭司として
私たちのために先駆けとなって入いられた(ヘブル書6-19~20)
ブルネレスキの【楽天主義・楽観論】がミケランジェロにも【キリスト精神】として受け継がれて偉大な功績が生まれたのです!
ミケランジェロの代表的作品とは、サンピエトロ大聖堂の横に立つシスティーナ礼拝堂の天井絵画「天地創造」といわれています。
彼の彫刻の才能が認められて彫刻の依頼をされていたのに、宿敵者の画策もあって史上最大と思われる大天井絵画の仕事に
急に変更になるのです。彫刻家ミケランジェロに恥をかかせようと企んだにもかかわらず、実績の無い天井絵画に取り組むのです。
本来なら、数人で取り組む大事業を、彼は途中から単独で、4年間の長期にわたって取り組んだそうです。
世間的常識に反するたった独りだけで、あまりにも時間がかかっているので、依頼者の教皇ユリウス2世は完成を急がせようとして
「いつ終えるのか?」と尋ねると「私自身が作品に満足した時、仕上がるでしょう」と、ミケランジェロは答えたそうです。
300人を超える人物描写により表現された壮大な【聖書の世界】の完成を見届けてから3ヶ月後にユリウスは世を去ったそうです。
彫像「少年ダビデ」においても、常識なら厚みが足りない彫刻には不向きな堅い余り物の大理石を使って見事に実現させる偉業は
私たちに【現実的不可能】だからこそ【神の愛の奇蹟】が実現される!という証明だと信じます!ハレルヤ!栄光を主に帰します!
●人は止まらんとし、神は動かんとし給う
人は固執せんとし、神は溶解せんとし給う
人は制定せんとし、神は産出せんとし給う(内村鑑三)
●青年、壮者とは;
常に不可能を計画する人
常に大改革を望む人
常に詩人的にして夢想する人
常に利害にうとき人
常に危険を感ぜざる人 (内村鑑三)
【楽天主義・楽観論】競争において、ロシア系ユダヤ人で世界的なアニメ作家のノルシュタインの挑戦にも感動させられます。
彼が日本でアニメ作家の新人発掘・育成に協力していることがTV番組で紹介されているのをきっかに発見があったのです!
彼はゴーゴリーの短編小説『外套』を20年以上前から取り込んでいますが、未だに完成していないことが紹介されていました。
私の知る限りの『外套』に対する印象とは、神も仏もない不条理で最悪の悲観的な「不幸物語」でしかありませんでした。
私の知識であり、間違っていればご容赦下さい。主人公は貧しい役人です。靴もぼろぼろ、服もぼろぼろで、周りからは
差別されるような対象です。
彼の仕事は書類を清書することであり、誰からも感謝もされず、特別に目立つことも無く、たたひたすら黙々と毎日毎日が
清書作業に取り組むだけの平凡な日々を送っているのです。
そんな彼にも【夢】がありました。コツコツ貯めたお金で「新しい外套」を買って、冷遇した周囲の皆を見返してやることでした。
やっとのことで夢は実現します。厳冬の街中に新しい外套を着て初めて外出した時に、不運にも「追いはぎ」に出会います。
彼は大切な「外套」を奪われてしまったのです。警察に申し出ても、汚ない身なりを見て信じてもらえず相手にされません。
とうとう彼は寒さで病死します。それ以来、その川辺では「外套」を狙う幽霊が出るようになったいう話です。
この話に【希望の光】を見出せといっても困難だと思っていました。この主題自体が世間の厳しさと社会批判でしかないから
常に【神の愛】を捜し求めている私でさえ、こんな作り話は【悪意】だけで【福音=神の愛】など捜しようがないに違いないと、
自分勝手に思い込んでいました。
しかし、偉大なるアニメ作家ノルシュタインは違っていました!彼は何故に24年も長き間『外套』にこだわってきたのでしょうか?
彼自身が語る【新しい解釈】には感動させられたのです!
「外套の主人公は自ら築いた場所を出た途端に病で死ぬ。人は自分の居るべき場所があり、そこを守らなければならないんだ。」
主人公の行ってきた「清書作業」は彼自身にとっては、何よりも大切で素晴らしい【ミッション:使命・天職】であったという解釈です。
主人公は世間と比較して人生の不足を感じていたのに、実は既に命よりも大切な素晴らしい【恵み】を手にしてたという解釈です。
●人に知られていないようで、認められ
死にかかっているようで、生きており
こらしめられているようで、殺されず
悲しんでいるようで、常に喜んでおり
貧しいようであるが、多くの人を富ませ
何も持たざるようで、全てのものを持っている(コリント後書6‐9~10)
つまり、ノルシュタイン自身のことであり、素晴らしいアニメ作家でありながら、【この世の勢力:権威・富・名声】に誘惑されることなく
安易に「商業的な作品」を手がけることなく、地道に時代を超えた普遍的作品にだけ取り組んできた証明です!
●あなた方はこの世に妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、
何が善であって神に喜ばれ、かつ全きことであるか、わきまえなさい(ロマ書12‐2)
●我等は神に造られたる者にして、神にあらかじめ備え給いし善き業に歩むべく、キリスト・イエスの中に造られたるなり
(エペソ書2‐10)
どうやら、『外套』の解釈を通じての、不屈の【楽天主義・楽観論】競争では、ノルシュタインには完敗です!そして感謝します!
●私たちは善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると時が来れば刈取るようになる(ガラテヤ書6‐9)
●希望は時々刻々この世に臨みつつあり、腐敗の累積はあえて恐るるに足らざるなり(内村鑑三)
●神への信頼を失わずに、その試練を切り抜けるならば、他のいかなる道でも達せられないほど、神に近づく事ができる(ヒルティ)
●すべて彼(主イエス)を信じる者は失望に終わることがない(ロマ書10―11)
●神はどんな悪も行われないようにするよりも、むしろ悪から善を生じさせるようにする方が善いと考えられたのである
(アウグスティヌス「エンギリオン」)
●悪い事の中にもなにほどかの善の魂がまじっている。人が注意ぶかくそれをさがし出すならば(シェークスピア)
★★【その2】につづく★★