◇◇【聖霊・御霊】よる【とりなし・祈り】に感謝!(その2)◇◇
【2004年11月9日<第349回>に加筆】
★★【その1】のつづき★★
たとえ【神の愛】を信愛する私たちであっても、生きている限りは、生活苦・霊的/肉体の苦難に耐え忍び《うめき》続けています。
しかし、このような現実世界の《全ての悲惨さ》を最も共感していてくれるのが【主イエス=御霊】であり、【御霊】自身が全宇宙のために、弱き私たち万物の《うめき》に応えて、私たちの正しい【祈り】にもならない切なる声をも【天の父】に届けてくれる、つまり私たちの【身代わり・代弁者】となって、【とりなしの祈り】をしていることを信じましょう!ハレルヤ!主に感謝します!
●我等は何を祈るべきか知らない。祈りても真の祈りとならぬことが多い。この足らざるを聖霊が補い給う。 聖霊、我が内にありて、我の弱きを助け、我の祈りの足らざるゆえに我のために父にとりなす(内村鑑三)
どんな過酷な状況にあっても、【神の愛】への信頼を失わず、明日に【ビジョン:理想・夢・志】を抱き続けて今日現在ある過酷・悲嘆・苦難に耐え忍ぼうとしている者がいてくれたから、私たち人類も自然環境も動植物も完全崩壊にならずに運よく生き延びられているのは単に私たち人間の「ガンバる努力」と「我慢する知恵」と偶然があったからではないと思います。
この長い人類の歴史において、絶えることのない献身的な【礼拝:祈りと感謝】と、それに応えてくれた【神の愛=主イエス】のおかげだと私は信じます!
●聖書は祈りの歴史であり、祈りが答えられた記録(賀川豊彦)
●真の祈りはただの祈りではない。一種の預言である。即ち必ず成就すべき事を前もって語に表することである(内村鑑三)
常に絶望的破壊・危機のを克服できたのは【神の愛:主イエス・聖霊】の【とりなし】のおかげです!
●我らのなお亡びざるはエホバの仁慈(イツクシミ)により、あわれみの尽きざるによる(エレミヤ哀歌3‐22)
●万物は、神により神から出で、神によって成り神に保たれ、神のために存在し、神に向かって帰する。
栄光が世々限りなく神にあるように。アーメン (ロマ書11-36)
この世では《全員無事救済》を目指すことは不可能でしょう。しかし、失望はしません!私たちには《来世信仰》があるからです!
【来世・天国・永遠の命】に招かれる【合格者:殉教・殉死】がいてくれるからこそ、この世に残された私たちは生存可能ですが、同時に生き延びている私たち各自にも【神の愛】からの【ミッション:使命・天職】があるから生かされているのだと私は信じています。私たち各自は【ミッション:使命・天職】を完遂までは不死身です!
●衣食は天職の遂行のために伴う必然の附随物である(内村鑑三)
●人はその職を終了(オワ)るまでは不滅なるがごとし(リビングストーン)
●我が事業の成るまでは我が死なざること、そのことは確実である(内村鑑三)
人間社会は犠牲者を少なくするためにと《正義の実現》を目指して、世界を共通理念の《法の支配》で包み込もうと懸命です。
国際法廷では戦争犯罪や虐殺などを追及するべく《声ある正しき訴え》に応えようとしても、米国は加盟すら拒絶しています。
一方で、【神の愛】はこの世に【神の愛の実現】を目指して【神の愛の支配】で隅々まで地の果てまでも包み込んでいてくれます。
【仲保者:裁判官・検事・弁護士】は【聖霊=主イエス】であり、一生懸命に《がんばっている人》や《我慢している人》というより、【ビジョン:理想・夢・志】を抱き【神の愛】を信じて希望を失わず耐え忍んでいる【内なる叫び】を最優先し救済し続けている事を信じましょう!
●愛は神の霊としてこの世に満ちみちている(ヒルティ)
●愛は波及す、延びて地の果てに達し世の終わりに至る(内村鑑三)
●神に愛せられるに至るが人生第一の目的なり。神は愛なり。宇宙は愛の機関なり(内村鑑三)
たとえば現在話題になっている《がけ崩れ》の車から【奇蹟的】に救出された出来事では最初に発見したプロのレスキュー隊員は生存は絶望的だと心に思ったそうです。そのため発見当日は夜になり、雨も降る危険状態もあって、断念し救出を翌日にします。
翌日に生命の可能性を気づかせたのは、いつもと違って懸命にほえ続ける《警察犬》だったという事実が一度だけ報道されました。
【神の愛】が生存者の事実を気づかせるために《警察犬》を通して教えてくれたのだと私は確信します!
残念ながら一人だけの生還であっても、【神の愛の奇蹟】だからこそ私たち全員に勇気と希望と励ましと慰めを与えてくれたのです!
●辛いことの背後(ウシロ)には最も歓ばしいことが隠れている。我らは何事にかかわらず勇んで主の命に従うべきである(内村鑑三)
●主は待っていてあなた方に恵みを施される(イザヤ書30‐18)
●我等に臨む患難は多し、されど主は我等をみなその中より援(タス)け出し給う(詩篇34‐19)
●見よ、侮る者たちよ、驚け、そして滅び去れ、私はあなた方の時代に一つの事をする。
それは人がどんなに説明して聞かせてもあなた方のとうてい信じられないような事なのである(ハバクク書1-5)
●見よ、私は新しいことをする。今もうそれが起ころうとしている。
あなた方はそれを知らないのか。確かに私は荒野に道を、荒地に川を設ける(イザヤ書43‐9)
先日のテレビ番組で紹介された人物にも感動します。8歳で片目を失明した少年は、心の痛手をクラシック音楽で癒されたそうです。
やがて音楽の世界で活躍したい!【ビジョン:理想・夢・志】を抱きます。しかし、家庭事情もあってか、サラリーマンとなり、家業を継ぐ人生を送ります。それでも【ビジョン:理想・夢・志】を忘れたことはなく、50歳になって初めて指揮者になるための勉学に励みます。
彼の天性の【タレント:個性・才能・可能性】を見出されて、現在では音楽の都ウイーンで公演できるほどに活躍しているそうです。
彼にも示されたように、【ビジョン:理想・夢・志】を抱き、いつまでも希望を捨てないことこそが【神の愛】に通じる【信仰精神】であり、誰の心にも存在していた【幼な子】の【愛好精神】【レイマンスピリット(素人根性)】だと思っています。お互いに大切にしましょう!
●有限の我等が無限の神に対して幼な心を懐くにいたって救われる。すなわち、幼な子となりて救われる(内村鑑三)
●知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子のような者にあらわした(マタイ伝11-25、ルカ伝10-21)
●幼な子をそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのを止めてはならない。天国はこのような者の国である(マタイ伝19~14)
●私たちは幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、幼な子らしく考えていた。
しかし、おとなになった今は、 幼な子らしい事を捨て去った(コリント前書13-11)
●天国とはそのような者(幼な子)の国である。幼な子のように神の国を受入れる人でなければ、決してそこに入いることはできない(マタイ伝19-14、マルコ伝10-13~16、ルカ伝18-15~17)
●意図には素直さを保ち、愛情には清らかさを保つべきである(トインビー)
生かされている私たちの【公義】とは【ビジョン:理想・夢・志】を抱き実現を信じ望み愛し守り育てることだと私は実感しています。
●主は何をあなたに求めておられるのか?それはただ公義を行ない、慈しみ・誠実を愛しへりくだって、
あなたの神と共に歩む事ではないか!(ミカ書6‐8)
●青年の夢を軽んじてはならない。それは大抵、その人のまだ自覚しない素質に応じたものであり、
したがって、またその人の使命とも一致することが多い。
つまり、人の使命も、最初はただ空想的な未来像として現われてくるものである(ヒルティ)
●神は御意(ミココロ)を成さんために、汝等の内にはたらき、汝等をして志望(ココロザシ)を立て、業を行わしめ給えばなり(ピリピ書2-13)
●我等は神に造られたる者にして、神のあらかじめ備え給いし善き業に歩むべくキリスト・イエスの中に造られたるなり(エペソ書2‐10)
●私たちはこの宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、私たちから出たものでないことが、あらわれるためである(コリント後書4‐7)
●人間の力の秘密は、神の道具であるという性質にある。何故なら、全ての永続的な真実の力は神のものであって、人間のものではないからである(ヒルティ)
●神がひとたび人間の意志を所有されるならば、神はその人の中でみずから全てのことを行ない、彼を完全へと導き給う(聖女カタリナ)
そして、時には絶望的に落ち込んでも、私たちの声にならない《うめき》をも理解して、最善へと導く【神の愛】の【とりなし】を信じて【苦難】に耐え忍びながら前進し続けましょう!
●お前の不幸に打ち負かされるな。神に頼れ、そうすれば勝つだろう。
洪水が襲ってきても、お前は上にあって溺れないだろう。
苦し過ぎる重荷を負わされたならば、主なる神がずでにお前の願いを
聞き給うたのだ(パウルゲルハルト
●試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたら神を愛する者たちに約束された命の冠を受けるであろう(ヤコブ書1‐12)
●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競争を耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか(ヘブル書12‐1~2)
私たちは【神の愛】を見失うほど悲嘆に暮れて、【礼拝:祈りと感謝】すらできなくなっても、それでも【神の愛】を仰ぎましょう!
声にならずとも説明しがたき苦難に逢おうとも、【神の愛】は私たちが完全信頼できる最善最強の味方であることを私は信じます!
●真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない(ヒルティ)
●何をするにも人に対してではなく、主に対してするように心から働きなさい(コロサイ書3‐23)
●独立を説くなかれ、キリストを説くべし(内村鑑三)
●人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、おのれを尽くし人をとがめず、我が誠の足らざるを尋ぬべし(西郷隆盛)
皆さんが世間的に「がんばれ」ず「我慢」できずとも、泥んこのまま、声にならなくても説明できなくとも泣きじゃくる【幼な子】のように【神の愛:主イエス・聖霊】にすがって、常に私たちの≪うめき≫に応えてくれる【とりなし】に感謝して、【ビジョン:理想・夢・志】を目指して活躍されることを心より応援しています!Good luck & God bless you!
●聖徒たちよ、主をほめたたえよ
その聖なる御名に感謝せよ
まことに、御怒りはつかの間
いのちは恩寵の内にある
夕暮れには涙が宿っても
朝明けには喜びの叫びがある(詩篇30‐4~5)
●恐れてはならない、私はあなたと共にいる
驚いてはならない、私はあなたの神である
私はあなたを強くし、あなたを助け
我が勝利の右の手をもって、あなたを支える(イザヤ書41‐10~14)
●神は我等の避け所また力なり、悩める時の最(イト)近き助けなり。
されば、たとえ地は変わり山は海の中央に移るとも我等は恐れじ(詩篇46‐1)