【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【患難】は【神恵】の一部!②

◇◇禍(ワザワイ)を転じて福(サイワイ)とする(その2)◇◇
【2002年5月27日に作成した<第250号>より】
2002年5月25日(土)11:00NHK教育「未来への教室:全盲の科学者バーメイ」
     5月24日(金)4:00NHKラジオ「心の時代」を見聞きして

★★【その1】のつづき★★

★「障害者」というネーミングに共感できないため、この場では「受難者」と命名させていただきます。

先日のラジオ番組の「心の時代」でも、肉体的受難をバネにして見事に自己実現している山田さんが
紹介されていて感激しました。

現在50代の山田さんは10代に事故に遭って車イス生活となりました。

肉体的には【悪:不完全・マイナス】になったと思える彼の気持ちを前向きに大転換させた【神の愛】への【導き手】がありました。

それは、仲間と3人ででかけたカトリック教会の神父の言葉だそうです。

 「事故に遭って善かったね。貴方は神に近づいたからです。」

●困難は我をして神に接近せしめ、また人に鍛接せしむ。困難は我の単独を破り、我をして人類の一員たらしむ。尊むべきかな困難!(内村鑑三

それまで、山田さんに向かって「受難に遭って善かったね!」と言える人は一人もいませんでしたが、現在の彼には納得できる言葉となっています。

●おのれの罪、他人の罪に曇った良心はあなたの言葉を激しすぎると思うだろう。
 しかし、あらゆる虚偽をすてて、見たままをのべるがよい・・・
 傷あとをかゆがるものには、かかせるがいい。
 あなたの声は初めは味わい苦くとも、のちに消化(コナ)されると、みなの命の営養(ヤシナイ)となる(神曲 天国篇 第17歌124行以下)

昭和30年(1955年)当時、まだ受難者の社会進出は珍しく、車イスへの社会的認知もない時代に、中央大学法学部への入学を見事に果たします。

卒業後、当時は誰もが就職難であり、就職課の助言もあって、やむ無く故郷の名古屋に戻ります。

山田さんは自らの<マイナス体験>を活かそうとします。カトリック教会の「愛の実行運動」を参考にして、人は皆兄弟という気持ちを大切にして車イスの自分でもできる「車の運転」のボランティアを始めたそうです。

さらに、「A.J.U.(愛の-実行-運動)自立の家」という支援組織を運営しながら、受難者も自由に街に出かけられるための社会啓蒙活動を日本の草分けとして昭和48(1973)年頃から始めたそうです。

また、受難者自身が積極的前向きになれるように「自分を変える」為の自立支援活動でも活躍するようになりました。

 「世の中を変えるには、先ず自分を変えなくてはならないのです。
  自分たちが可哀想でなくて、受難者(障害者)を受け入れられない社会の方が可哀想だと思います。」

●先ず人間を改造せよ、そうすれば人間の環境はおのずから変化する(ヒルティ)

今では、公共施設の為にバリアフリー対応のコンサルティングをしたり、受難者の社会参加のためにパソコンを利用した調査業務を受託したり、従来の受難者の「施設」ではなく、受難者の「下宿」を提供しています。

 「私は多くの人々にお世話になりましたが、彼等に恩返しできなくても
  私よりもっと不自由な人々をサポートする事で恩返しになれば嬉しい。」

今年10月15日には日本の札幌に世界158カ国から集まる「受難者世界会議」で100カ国10000人を計画した日本会議の議長に選任されたそうです。

山田さんは「来てよかった!」と思ってもらえるように、具体的な成果を考えています。受難者(障害者)権利条約・差別禁止・米国受難(障害)者法の日本版などの法案締結への大きな前進を目指すことです。

山田さんは「弱者切り捨て」の社会的価値観を変えて、誰もが共生できる社会の実現を目指しています。

今は心身受難者が一番の「弱者」の対象でも、心身受難者への対策が進んで行くと、次ぎは高齢者などが新たな「弱者」の対象として排除し差別されるという、いつまでも悪循環の社会となってしまう危険を感じるからです。

どんな人でも「生まれてきて善かった!」と思える社会実現を一人一人がチャレンジして創ることが山田さんの【ビジョン:理想・夢・志】です。

 「自分で決めて、自分で責任を取るならば、自立と介助を受けることとは矛盾しないのです。福祉の人の心を変わるのは他には無い喜びです。」

●独立とは必ずしも他の援助を断つという事ではなく、自己の有する全ての実力を活用する事である(内村鑑三

ここに紹介した二人は肉体的ハンディを【悪:マイナス・不完全】として扱わずに、自己の【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮する為の【最善のプラス】として【自主独立・自己実現&愛の実現】を目指して見事なチャレンジをしています。

以前にも紹介したように、欧米では肉体的受難を「ハンディ・キャップ」と言わずに、最近では「Physically-challenged」と呼ぶそうです。最近の日本でも「チャレンジド」と呼んでいるようです。

●人生の幸福は困難に出会うことが少ないとか、全く無いとかいうことにあるのではなくて、むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利をおさめることにある(ヒルティ)

彼等にとっては、人生の幸福に通じる【ミッション:使命・天職】に目覚めるために、肉体的受難の【試練:神の導き】が不可欠であったと私は信じます。

私たちにも各自の【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮できる【ミッション:使命・天職】を発見するために各自に最適な【困難】が【試練:オーディション&リハーサル】として与えられ、実は素晴らしい【恩恵・祝福】であると受け止めましょう!

●あなた方の会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなた方を耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それを耐えられるように、逃れる道も備えて下さる(コリント前書10‐13)
●患難のための恩恵にあらず、恩恵のための患難なり。患難は手段にして、恩恵は目的なり(内村鑑三
●患難はすべて身の患難にして霊の幸福である(内村鑑三
●試練と祝福は密接に関連している(ヒルティ) 

私たちの最愛の【ビジョン:理想・夢・志】実現を目指す【困難】は自力や世間に頼って克服するのは不可能であっても、【神の愛=主イエス】に信愛して【神の愛=隣人愛】と共に実現させようとするならば一切が可能です!

●一切の仕事が、神をはなれては困難であり、神とともにあれば一切が可能である(ヒルティ)
●私はあなた方に悟りを与え行くべき道を教えよう。私はあなた方に目を留めて、助言を与えよう(詩篇32‐8)
●人が信仰によって救われるというのは信仰の結果によって救われるというのではない。
 信仰そのものが既に彼の完全なる救済であるというのである(内村鑑三
●それでもひたすら神に信頼し続けよ。そうすれば、まもなく、また光と力を見るだろう。おまえが信じたものを、まのあたりに見て、信じたとおりに成るであろう(バンヤン

【神の愛】による助けは、私たちがどんなに人生の【どん底】にあっても時には、泥だらけの人生として裏街道を歩んでいようとも、思い直して【ビジョン:理想・夢・志】に向かって再起・再出発することを決意して求めるならば、必ず聞き届けられて、驚くべき不思議な【神愛の奇蹟】によって救出してくれることを楽しみに待ち望みましょう!

●我は逃れんと欲して、我が神の恩恵の手より逃れることはできない。
 神は奈落の底にまで、神の手を拡げて我を支え我を救い給う(内村鑑三詩篇139‐7~8)
●苦しい状態は「一時」のことであっても永続するものでなく、それは神によって一瞬に変えられるものであり、しかも、目的がとげられると間違いなく即座に変えられる(ヒルティ)

私たちが【神の愛=主イエス】に信愛して、【ビジョン:理想・夢・志】実現を目指し続ける限りは、どんな危機に遭おうとも、我が【ビジョン:理想・夢・志】は不滅であり、我が心身は不死身です!

●人はその天職が終了(オワ)るまでは不滅なるがごとし(リビングストン:内村鑑三
●我が事業の成るまでは我が死なざること、そのことは確実である(内村鑑三
●私たちは四方から患難を受けても、窮しない
 途方にくれても、行き詰まらない
 迫害にあっても、見捨てられない
 倒されても、滅びない(コリント後書4-8~9)
●人に知られていないようで、認められ
 死にかかっているようで、生きており
 こらしめられているようで、殺されず
 悲しんでいるようで、常に喜んでおり
 貧しいようであるが、多くの人を富ませ
 何も持たざるようで、全てのものを持っている(コリント後書6‐9~10)

皆さん各自にとって、人生の様々な【困難】に屈することなく、【神の愛=主イエス】に祝福されていることに勇気を持って前進し続けて、【神の愛=主イエス】は<圧倒的勝利>する!希望を抱きチャレンジされることを心より応援しています!

●我、神にありて新たなる力を獲てワシのごとく、翼を張りてのぼり走れども疲れず、歩めども倦まざるなり(イザヤ書40‐31)
●力を与え強めて下さるキリストに助けられて、私は、何事も成し遂げることができる((ピリピ書4-13)
●誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができようか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。「神様のためには、いつでも死ねる心がまえでいなければならない。私たちは殺されるのを待つ羊のようだ(詩篇44-22)」 と書いてある通りである。しかし、私たちは、私たちを(命を投げ出してまで)愛して下さったキリストによって、これらすべてのことの中にあっても、輝かしい圧倒的な勝利者となるのです(ロマ書8-35~37)
●おまえの不幸に打ち負かされるな。神に頼れ、そうすれば勝つだろう。
 洪水が襲ってきても、おまえは上にあって、溺れないだろう。
 苦し過ぎる重荷を負わされたならば、主なる神が既にお前の願いを聞き給うたのだ(パウル・ゲルハルト)
●あなた方はこの世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。私(主イエス)はすでに世に勝っている(ヨハネ伝16-33)
キリスト教は世をあきらめずして、世に勝たしむるものなり(内村鑑三

ハレルヤ!栄光を主に帰します!
主の恵みに感謝します!アーメン!

それでは明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
 
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)