◇◇汝の道を進め!(その1)◇◇
【2001年10月23日に作成した<第190回>に加筆】<改訂版・再掲載>
2001年10月21日日本TV「知ってるつもり・イスラエル首相ラビン」
10月22日朝日新聞夕刊8面「自分と出会う・皆川達夫」を観て
●汝の道を進め、人々をしてその言うにまかせよ(ダンテ)
●自分の仕事を知り、それをなせ。我々に大事な務めは遠くのほうにおぼろげにあるものを眺めているのではなくて手元にあって、はっきりしていることを行うことである(カーライル)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します!
平和と自由を愛する者ほど、自分が本当に目指すべき道を見誤っていることが多いことを歴史は示してくれます。
【イエスの福音】をユダヤ民族の信仰から世界的な人類救済の信仰に導いてくれた聖人パウロにしても、当初は<反キリスト>の立場こそが正義と信じて【イエスの福音】を迫害していたことにも証明されています。
私たち各自が本当に<目指すべき道>である【ミッション:使命・天職】を発見するために多くの場合は、過去の自己と決別して、生まれ変わって、人生をやり直すぐらいの覚悟を必要とするのではないでしょうか。
●誰でも新しく生まれ変わらなければ、神の国を見ることはできない(ヨハネ伝3‐3)
●ああ神よ、我が為に清き心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新たに興したまえ(詩篇51‐10)
●一切を捨てよ、そうすれば一切を見出す(トマス・ア・ケンピス)
だからこそ、人間の叡智と能力を超えた【神の愛=主イエス】に信愛し導いてもらうのが万全で心配ご無用であると感謝します!たとえ周囲の反対や引き止めなど【情実の絆】に妨害されても、自分が本当に<目指したい道>を<いつも一緒!>の【神の愛=主イエス】と共に歩むことができるからです!ハレルヤ!栄光を主に帰します!
●心を尽くして神を愛せよ、それからあなたの欲することをなすがよい(ヒルティ)
●キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っている。あなた方は、キリストにおいて満たされているのです。キリストは全ての支配や権威の頭です(コロサイ書2-9~10)
【御心:神愛の意志と計画】によって、人類最悪の困難とされる【エルサレムの地の和平】に勇敢に立ち上がって挑んだラビン首相の生涯においても、私たちは勇気と希望を与えられました。
彼の暗殺は決して不条理の悲劇ではなくて、真実の証明だと私は信じるからです。
ラビンは幼い頃からユダヤ難民として迫害された人生を送り、両親が夢見ていた<約束の地>を取り戻すことこそが平和をもたらすことだと信じこんでいました。彼は勇敢な戦士として6日戦争の指揮官として武力によってエルサレムを奪還することに成功します。
それまで友好的に仲良く生活していたユダヤ、イスラム、アルメニア、キリスト教徒たちの中に投げ込まれた【剣の力】によって、お互いの勢力争いは激しさを増して、50年間という長い紛争を引き起こすことになってしまいました。
善かれと信じていた信念に疑いを抱いたのは、英雄ラビン自身でした。彼自身の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を取り戻させたのは孫娘の一言だったそうです。
それはテレビのニュースでイスラエル軍隊がパレスチナ市民の子供たちを殴っている姿を観ていた孫娘の質問でした。
「どうしてあんなことをしているの?」
孫娘の質問にラビンはっきり答えられなかったのです。
皆さんもご存知のように、ラビンは宿敵のパレスチナPLOのアラファトと和平交渉をする決意をして、はじめて握手を交わして、和平合意に調印しました。
ラビンは平和と自由を愛する勇気によって目覚め、生まれ変わって、人生をやり直したのです。本当のリーダーとして目指すべき【ミッション:使命・天職】を発見した瞬間でした。
ラビンの家族がイスラエル民衆に呼びかけた「平和集会」にはラビンが予想していたよりも、はるかに多い20万人が結集してくれたそうです。
その日ラビンはうれしそうに微笑みながら、民衆と共に和平の歌詞を高らかに歌っている光景が映像に残されています。
♪その日がいつか来るというなら、
♪今日をその日にしよう
♪街角で平和を叫ぼう
その直後に、満足して会場を去るラビンは、背後からユダヤ人によって殺害されてしまいました。
平和と自由を取り戻そうとする勇敢な【愛と自由の勇士】ほどに、かえって同族・身内から暗殺されることを歴史で何度も私たちは観てきました。
そして、【イエスの十字架】が示してくれたことによって、そのような<愛と自由の殉教>こそが正義であることを私たちは確信できるのです。
●誠に実に汝等に告げん、一粒の麦も地に落ちて死なずば、ただ一つにて残らん。もし死なば多くの実を結ぶべし(ヨハネ伝12-24)
●正義は敗れて興り、不義は勝ちて滅ぶ(内村鑑三)
●イエス・キリストの心とは人に善をなし、善をなすがゆえに人に憎まれ、憎まれながら自在に人を赦し、死に至るまで彼等を愛するの心である(内村鑑三)
私たちの多くはラビンのような立場ではなく、そのような厳しい試練と【ミッション:使命・天職】を託されていないでしょう。
しかし、【愛と自由の戦士】として勇敢に戦う事は、私たち各自の【ミッション:使命・天職】であると私は信じています。
●人が天から心を授かったのは愛するためのみである(ボワロー)
●全ての人を愛し、わずかの人を信じ、何人にも悪をなすなかれ(シェークスピア)
世界平和や人類救済や動物保護や地球環境保全といった世界問題に取り組むことは、私たちでも参加できるのです。
何故なら、私たちは【神の愛=主イエス】から観れば、偉人と同様に世界で【オンリー・ワン】の貴重な存在であるからです。
【神の愛=主イエス】は、私だからできる!特有の【ビジョン:理想・夢・志】と【ミッション:使命・天職】と、実現するために最善発揮できる【タレント:個性・才能・可能性】が、生まれつき与えられていることを感謝します!
●青年の夢を軽んじてはならない。それは大抵、その人のまだ自覚しない素質に応じたものであり、したがって、またその人の使命とも一致することが多い。つまり、人の使命も、最初はただ空想的な未来像として現われてくるものである(ヒルティ)
●あなた方の内に働きかけて、その願い(志望)を起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神が善しとされるところだからである(ピリピ書2-13)
●我等は神に造られたる者にして、神のあらかじめ備え給いし善き業に歩むべくキリスト・イエスの中に造られたるなり(エペソ書2‐10)
●あらゆる存在は、その特性に従って自己を発展させ自己を実現する生まれつきの衝動を自分のうちに持っている(ヒルティ)
【主イエス】が人類の救世主として登場した時に、洗礼者ヨハネは直ぐにでも世界平和が実現される奇跡的大改革を期待したのでしょう。<神の子>ならば、どんな奇跡でも起こせるはずだからです。
しかし、洗礼者ヨハネは投獄され、【主イエス】によって助けれることもなく処刑されてしまいます。そのため、あの偉大な洗礼者ヨハネでも、牢獄の中で【主イエス】のことを本物であるかを疑ってしまいます。
また、裏切りのユダにしても、彼は政治的革命を望んでいたのでしょう。直ぐにでも【主イエス】がこの世の支配者として悪者を権力から追放して<イエスの王国>を築いてくれると期待していました。
ところが、【主イエス】は政治権力や【この世の勢力:富・権威・名声】に全く無関心であり、貧しく差別迫害されている病人や女性や罪人など、世間で最も小さき者や目立たぬ存在と共にいるだけでした。
そのため、ユダは【主イエス】のようなやり方では決して世直しも政治改革などできないと失望してしまい、【主イエス】を見限り、見捨てたのではないでしょうか。
しかし、現実は違いました!【主イエス】自身のわずか2年足らずの<公的活動>は中東のはずれの、わずか100キロ圏内で実践された貧困救済活動でしたが、その【福音:キリスト精神】は世界中に伝道されて2000年後の現在でも、日々新たに成長し続けて、ますます強大に真昼のように光輝いています!
●正しい者の道は夜明けの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる(箴言4‐18)
確かに、いまだに世界平和も人類救済も完全には実現されてはいませんが、私たちは各自がどうすれば世界平和や人類救済がやってくるか、【エデンの園:自由・平等・寛容・博愛】】の復活の道を、既に理解しているのです。
それは、自分に託された一見目立たないような無意味なような【ミッション:使命・天職】を実践することだと思います。
各自が進んで喜んでできる【ビジョン:理想・夢・志】の実現こそが、実は世界平和にも通じることを知ったなら、この世は着実に愛と自由の平和に向かって前進し続けています!
●天国とはどこのことでもない。人が人を愛するところである(内村鑑三)
●人々が神の力を思い起こす時、あなたの抱いたその確信が彼らの心から失われることは決してあるまい(ユディト記13-19)
●あなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます(テモテ後書3-14~15)
★★【その2】につづく★★