【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【ビジョン】直視の【ノーブル】②

◇◇【ビジョン:理想・夢・志】直視の【ノーブル(高気な品性)】で前進!(その2)◇◇【2003年6月17日に作成した<第307回>に加筆】<改訂版・再掲載>

★★【その1】のつづき★★

常に【ビジョン:理想・夢・志】直視である【ノーブル(高気な品性)】を保つ事は容易ではありません。
【キリスト精神】の【ノーブル(高気な品性)】とは、貴族的な贅沢さと甘美さのような、単に上品なマナーや会話ができる教養があるということではないと私は理解します。

自己の現存する【タレント:個性・才能・可能性】を出し惜しみせずに、最善発揮できる【ビジョン:理想・夢・志】を大切にして実現を確信して、前進し続ける【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気骨】こそが【ノーブル(高気な品性)】だと思うからです。

●自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります(ヘブル書10-35)
●私たちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです(ヘブル書3-14)
キリスト教は理想ではない、事実である。理想が事実となって顕れたるものである。
 すなわち真個の理想である。「なすべき」はキリスト教ではない、「なしうる」がキリスト教である(内村鑑三

オペラ歌手の世界ならではの興味深い話しを聞いた事があります。オペラ歌手は歌声が命です。そのため、少しでもコンディションが悪いと感じたら、舞台には上がりません。たとえ長い経験のある主役級のトップ・クラスも、出演当日でも
急きょ舞台に出ないことも普通のようです。

実際に私のオペラ鑑賞の時にも起きたのです。NYメトロポリタン劇場でのワーグナー作曲の「リング」はご存知の通り、長編作のために4日間連夜の公演でした。

私にとってハプニングに思える出来事とは、三日目の第2幕の幕開け直前に突然に主役の交代が会場で説明されたのです。
どうやら主役の腹痛が原因のようでした。そして、翌日の公演には何も無かったように彼が再度出演していました。

オペラ鑑賞に詳しい友人によれば、こんな事態は驚くべき事ではなく、よくある事だと教えてくれました。
そのため舞台裏には有事危急に備えて「交代役」が常に待機しているのだそうです。

オペラ歌手は舞台の善し悪しだけで評価されます。自分の【ビジョン:理想・夢・志】に少しでも反するコンディションならば、出演しないことを選択できる【自由意志】を尊重する体制が用意されているともいえるのです。

【舞台のピンチ】を救うのは、パンフレットにも記入されなかった代役(新人)であり、彼等にとって表舞台は観客や批評家にアピールして活躍できる【最大のチャンス】になるのです。

観客もまた当日のハプニングに期待するようです。何故なら、将来スターになるかも知れないような新人や代役の初舞台を鑑賞できる【チャンス】に遭遇できるからです。

日本ならどうでしょうか?、主役級になればなるほどに、何があろうとも舞台・現場を離れない事が【プロ意識】と考えがちです。声や具合の悪い悪条件であっても、【ビジョン:理想・夢・志】に程遠い不完全でも舞台を演じる主役と、そんな<悪条件>の舞台を見せられる観客がいるとしたなら、何とも悲しむべき【悪循環】しか生まれません。

一方で、オペラ界は何と素晴らしい【善循環】の【スター誕生】の仕組みであるとは思いませんか?一見すれば【自分勝手】のようですが、自己の可能性を尊重することで、【隣人・社会】にチャンスを与えて可能性を広げることになることは感動的です。

曽野綾子さんの近著で聞いた言葉を思い出します。

 「エゴを他人の為に使え!」

オペラ界がいつまでも活気に満ちて光り輝いているのは、演技者だけでなく、観客も批評家も舞台関係者が、<心を一つ思いを一つ>にした【チーム・スピリット&チーム・ワーク】で【最善の舞台】を望む、【ビジョン:理想・夢・志】があるからではないでしょうか。

●失敗は罪ではない、目的が低い事が罪なのである(内村鑑三
●汝の車を星につなげ(エマーソン)

【ビジョン:理想・夢・志】直視の【ノーブル(高気なる品性)】であり続けるためには、【ビジョン:理想・夢・志】に共感する<心を一つ思いを一つ>にできる【同労者:同志・霊的兄弟】との【チーム・スピリット&チーム・ワーク】が不可欠であるといえるでしょう。

●いつどこでも愛をもって真理の味方をすること、これがまことに我々の日常の活動的生活の課題である(ヒルティ)
●私たちは神の同労者である。あなた方は神の畑であり、神の建物である(コリント前書3-9)
●私たちは真理のための同労者となるように、こういう人々を助けなければならない(ヨハネ第3書8)

米国大リーグ野球が毎日中継されています。米国の野球界もオペラ界に通じるような【ノーブル(高気な品性)】の態度があると思います。

一見すれば、彼等は常に高額を要求して【ビジョン:理想・夢・志】よりも金銭のために働いているように映ります。しかし、ご存知のように、欧米のプロ選手は契約や金銭交渉一切を契約交渉のプロであるエージェントに任せているようです。

エージェントに任せるのは、競技や<本分>である試合にのみ集中し専念できるようにと考えられた仕組みだと思います。
職業として金銭を追い求めるのでなく、自分の【理想の姿】を求めて挑戦できる環境を社会全体で用意してくれるのです。

欧米の選手は家族に問題があると試合を放棄して、直ぐに帰国します。それは彼等には家族の父親として当然の義務と責任であるからなのでしょう。

身近で一番の理解者である家族を大切に尊重して、家族に問題があれば、直ぐに試合を放棄してでも帰国できるのは、彼等にとって余計な心配までして、わざわざ不完全なコンディションで【試合】には臨みたくないからだと理解するべきでしょう。

以前も紹介したように、米国の球場は天然芝が中心で、外野の壁にはクッションがはられて安全第一の環境にあります。
それは超ファイン・プレーが実現できるように【理想の野球】を目指す環境が用意されているといえるでしょう。

実際の試合を観戦すれば、いつも超ファイン・プレーばかりではありません。時には日本選手よりも下手なプレーさえあります。もしかしたら大半はそうかもしれません。

にもかかわらず、球団側はわざわざコストを負担してでも【最高の環境】を準備する事こそ【ノーブル(高気な品性】の態度だといえるのです。

●人間のうちに善をのばしてやり、彼等の心に善に対する愛好心を注ぎ込むことが必要である(ヒルティ)

一方で、日本ではほとんど全ての球場では、管理コスト削減のためにか、わざわざ天然芝を止めて人工芝へと切り替えました。
人工芝はどんなに工夫しようとも、足腰への負担が激しいために故障しやすく、しかもボールを捕球しようとして飛び込むのには、とても危険です。外野の壁も内野のフェンスも固くて壁際のボールを取りに行くのは命がけのように見えます。実際、毎年のように
球場の悪環境の為に怪我人が生まれています。

日本の考え方は、恐らく日頃は少ない超ファイン・プレーを期待し、わざわざ球場にコストを負担するのは「もったいない・無駄使い」であり、選手の年俸に回した方が、よほど選手の為になると考えているのではないでしょうか。これこそ悪循環なのです。

従って、【ビジョン:理想・夢・志】を直視する【ノーブル(高気な品性)】である態度は【悪循環】を【善循環】に転換させる素晴らしい【神の愛のパワー】であると私は考えるのです。

目先の利害損得に心が奪われて、【現実】直視に妥協して【悪循環】に陥ったとしても、【ビジョン:理想・夢・志】直視に目覚めさせ【善循環】へと大転換させる<心意気>もまた【ノーブル(高気な品性品)】だと言えるのではないでしょうか。

●自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず神の僕にふさわしく行動しなさい(ペテロ第1書2‐16)
●善の勝利についての絶望は、常に個人的勇気の欠乏である(ヒルティ)

私たちもまた常に【ビジョン:理想・夢・志】直視の【ノーブル(高気な品性)】を目指しましょう!【神の愛=主イエス】に信愛するならば、たとえ愚劣で下品なる私でも、【ビジョン:理想・夢・志】に挑戦しようとする【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気骨】で前進できます!

●強いられてするのでなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためでなく、本心からそれをしなさい(ペテロ前書5-2)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)
●野心からも、単なる義務感からも、本当に価値あるものは生まれてきません。本当に価値あるものは、むしろ、人や事物を深く愛する心から生まれてくるのです(アインシュタイン

私たちには敬愛する【聖書】や【先人・偉人の教え:名言・格言】が【同労者:心の友・ソウルメイト】として身近にいてくれ安心です!
【聖書】と【先人・偉人の教え:名言・格言】は私たちの【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を励まして【神の愛=聖霊】と共に働いて【勝利の勇士】となってくれます!

●汝が遭遇する最も高気なる人と交われよ、最も善き書を読むべし、世界の偉人を友とせよ、 同時に単独にして幸福なる道を学べよ(トマス・デビッドソン)
●あなたの神、主は、あなたのただ中におられる救いを施す勝利の勇士だ。
 主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与え新しくされる。主は高らかに歌って、あなたのことを喜び給う(ゼパニヤ書3-17)
●ただ偉大な理念の召使と考えるようになったら、その人はすでに確実な頂きに達したといえる。聖書は、これを「神のしもべ」と呼んでいる(ヒルティ)
●絶えず偉大な思想に生き、ささいなことを顧みないように努めなさい(ヒルティ)

【神の愛=主イエス】に信愛して、敬愛する【聖書】や【先人・偉人の教え:名言・格言】を【同労者:心の友・ソウルメイト】にして、皆さんが【ビジョン:理想・夢・志】直視の【ノーブル(高気な品性)】で活躍されることを心より応援しています!

●有益にして仁慈なる行為はその難きと嫌はしきとに関わらず、これを避けんとするなかれ。行為の価値はこれを行なう精神の如何によりて定まるなり(トマス・デビッドソン)
●もし汝が世俗の方法を採らざるの汝をもって世の迫害する所となるも、汝の心を悩ますなかれ。ただ汝が執る道の正義の道なることを確かめよ(トマス・デビッドソン)
●汝の計画がことごとく失敗に終わるも落胆するなかれ。汝の目的の正しき間は汝自身は失敗せざりしなり(トマス・デビッドソン)
●長生きすればするほど、私は確信するようになった。強者と弱者、大人物と小人物とを分けるものは、才能でも環境でもチャンスでもない。それは「根性」であり、「底力」だ。つまり決めたあとは、何があっても不退転で進む、「勝利にあらずんば死」という断固たる一念だ(イギリスの政治家トマス・バクストン卿)
●汝は王者なれば ただ一人征(ゆ)け 自由の大道を自在なる英知もて進め。その尊き偉業の報いを欲せず 自らが愛する思想の実をば結びゆけ(プーシキン