【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【ビジョン】は【公言信心】で実現!①

◇◇【ビジョン】は有言実行でも不言実行でもない【公言信心】で実現しよう!(その1)◇◇ 【2004年9月1日に作成した<第343回>に加筆】 

●まことに、御言葉は、あなたのごく身近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なう事ができる(申命記30‐14)
●御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある(ロマ書10‐8)
●口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる(ロマ書10‐9)

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します。

<営業>という言葉は仏教に由来するという興味深い説明に感動したことがあります。
<意業」><口(ク)業><身業>の三つの<業(ゴウ)>を自分の思い通りに扱う能力を<営業>であるという考えです。

心で自分が信じ思う【意思】を、口で表明しながら、身振り手振りでも表現できる能力が【営業】であり、単なる「物売り」ではないという説明に感銘を受けました。

さらに深く考えれば、自分の【ビジョン:理想・夢・志】を抱き、世間に宣言表明し、実践する【行い】が伴ってこそ、世間は評価してくれるのではないでしょうか。

いわゆる<有言実行>を世間は高く評価してくれますが、一方【熱意】だけあっても【実行力・具現化】が乏しければ<机上の空論><理想論>と相手にされず、<有言不実行>は【この世】では信用されにくいのではないでしょうか。

日本の伝統的な美徳とされるのは<不言実行>でしょう。黙って<実行>することは私自身も含めて日本人の多くは<有言実行>よりも高く評価すると思います。

そのため、特に日本では自分が実現できない崇高な【ビジョン:理想・志・夢】を公言したり表明することは、私も含め世間で発言する前から自粛しがちだと感じます。

ところで、【キリスト精神】には世間的価値観である<有言実行><不言実行>とは異なる【神の愛】の視点から評価される【新たな道】があることを発見しました!
それは、「心で信じて、口で公言せよ!」という、いわゆる【公言信心】の道です。

●人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われる(ロマ書10‐10)
●信仰とは望む所を疑わず、未だ見ざる所を信じ拠り所とすることなり(ヘブル書11‐1)
●【信仰と希望(内村鑑三:ヘブル書11-1)】
  既に見るところのものは、これを望むの要なし。解し得ることを信ずるは知識にして信仰にあらず。
  信仰の貴きは解し得ざることを信じ、理由なくしてでなく愛のゆえに信ずること
  愛の示すところの事を解し得ざる事にこれを信ずる。
  有限の我等が無限の神に対して幼心を抱くにいたって救われる。すなわち、幼子となりて救われる
●見ないで信じる者は幸いなり(ヨハネ伝20-29)
●信仰は人によっては迷信のごとくに見える。信仰は確かに一種の冒険である。これに従って、あるいは失敗におわるかもしれない。しかしながら、信ずる者は信仰の迷信でないことを知る(内村鑑三

不言実行・有言実行>は【律法(十戒)】を遵守したり善行で認められる【行為義認】に通じるといえるでしょう。一方でパウロは【主イエス】の【神の愛】に導かれて先ずは【信心】で義とされる【信仰義認】を打ち建てました。

●理想主義なるものは一つの信仰、一つの内的確信にほかならない(ヒルティ)
●私たちは、あなた方がひとり残らず最後まで望みを持ち続けるためにも同じ熱意を示し、怠ることがなく信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように、と願ってやまない(ヘブル書6‐11~12)

文頭に列挙した申命記30章、ロマ書10章の記述は、神の存在を心で信じるだけでなく「【イエス】は主である」と公言することを命じています。

教会で「信仰告白」により洗礼を受けて「クリスチャン」となることも、この命令に従って、信仰に生きる決意表明の儀式だと私は理解します。教会儀礼で「信仰告白」し「クリスチャン」になる事で「公言」は完了するのでなく、【主イエス】を【我が主】と公言するということは、人生における【対神関係】であると理解します。

例えば、あの実業家ロックフェラー鏡い鷲秧討ら幼き頃より人生の選択基準として次のように教えられていたそうです。

◆「それは神の正義にかなうことか?」
◆「それは神への義務にかなうことか?」

そして、ロックフェラー鏡い鷲秧討稼ぎ独占した<富・権力>を使って慈善事業や公共的支援を進んで行いました。それは父親の猛反対にあってもです。

つまり、「【主イエス】は【我が主】である!」と公言する事は、常に【主イエス】が【基準・行動規範・羅針盤】であることになります。

それは単なる「人道的な道徳・倫理」のような【冷酷な戒律=十戒】とは異なって、暖かい【神の愛=聖霊】に助けられ導かれ守られて共に生きることだと思います。

●【アロス・パラ・クレイトス】
 ★アロス  =(主イエスと)別で全く同質な
 ★パラ   =かたわらにいる
 ★クレイトス=助言者、慰め主、支援者、激励者、とりなし、弁護者
●それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなた方はそれを知っている。何故なら、それはあなた方と共におり、また、あなた方の内にいるからである(ヨハネ伝14‐17)
●神がひとたび人間の意志を所有されるならば、神はその人の中でみずから全てのことを行ない、彼を完全へと導き給う(聖女カタリナ)
●見よ、私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる<With You Always>(マタイ伝28‐20)

世界のオリンピック選手の中には、試合直前に十字を切って祈る姿や、優勝したりゴールした時に天を仰ぎ神に感謝して祈る姿を目にします。

勝利インタビューでも最初に「神に感謝します!」と公言表明する人もいます。

彼らの行動もまた有言実行や不言実行でない【公言信心】であると私は理解します。実行した結果は【主イエス】に任せ、ベストを尽くせるよう信仰心を公言し祈念し、そして「栄光は主に帰す!」という素晴らしき【公言信心】であると感動します。

愛すべき【ビジョン:理想・夢・志】を心に抱き、実現を信じ望むということも【神の存在】を信じる事であり【神の愛=聖霊】から注がれてきた【御言葉】を素直に心に受け入れる【信仰心】であると私は理解します。

●神は御意(ミココロ)を成さんために、汝等の内にはたらき、汝等をして志望(ココロザシ)を立て、業を行わしめ給えばなり(ピリピ書2-13)
●青年の夢を軽んじてはならない。それは大抵、その人のまだ自覚しない素質に応じたものであり、したがって、またその人の使命とも一致することが多い。 つまり、人の使命も最初はただ空想的な未来像として現われてくるものである(ヒルティ)
●私は思いをこらしつつ愛の息吹に耳をすまし、そのささやきをまことと知り、それを書き写すのみ、我が内より創るものはない(神曲・煉獄篇第24歌52節)
●クリスチャンは思想の人ではない。さらばとて、また実行の人でない。
 クリスチャンは聖霊の人である。聖霊によりて神の知恵と大能とを実得するを得し人である(内村鑑三

心に浮ぶ【ビジョン:理想・夢・志】とは自分自身の【創造物・所有物】ではなく【神の愛】から与えられた【御言葉】として大切に預かり守り育てましょう!

そして、自分の能力や境遇をはるかに超えた【ビジョン:理想・夢・志】を心に抱けたならば、心の奥に大事にしまっておかずに【隣人・社会】に向けて【公言・表明】して、私たちは【神の愛】に選ばれた【神の愛の選手】として堂々と出場しチャレンジしましょう!

●神は我をして我以上の思想を語らしめ、我以上の事をなさしめ給う。神に頼る我は小なりといえども、はなはだ大なる者なり(内村鑑三
●キリスト信者たる栄誉の一つは、よわき取るに足らざるこの身をもって、なおも大望を抱いて、その一部分を遂行しうるにあり(内村鑑三

日本のオリンピック選手の多くは「信頼できるコーチ・家族」の存在があったから、彼らの支援協力のおかげで、彼らの信頼に応えようとして実力を最善発揮できたと証言していることにも示されているように、私たちには【信頼関係】が不可欠です。

そして【キリスト精神】においては【主イエス=神の愛】と絶対的な【信頼関係】を【信仰心】で保ち【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮して【自主独立】を実現できるのです!ハレルヤ!主に栄光を帰します!

●独立とは必ずしも他の援助を起つということではなく、自己の有する全ての実力を活用することをいうのである(内村鑑三
●独立を説くなかれ、キリストを説くべし(内村鑑三
●神にすがる依頼心ありて始めて真個の独立と威厳と自尊はあるなり(内村鑑三

【神の愛】に信頼するならば、私たちには完璧な【最善最強のコーチ】も【聖家族】も存在するので、安心して【ビジョン:理想・夢・志】を直視して前進しましょう!

【ビジョン】直視する生き方とは、【実行・実現】は【神の意志と計画】【神の愛の奇蹟】に託すことであり、先ずは【ビジョン:理想・夢・志】実現を信じ愛し望み続け、【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を行うことであると私は確信しています。

●祈りの時、信じて求めるものは、みな与えられるであろう(マタイ伝21‐22)
●何でも祈り求めることは既にかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう(マルコ伝11‐24)
●聖書は祈りの歴史であり、祈りが答えられた記録(賀川豊彦
●真の祈りはただの祈りではない。一種の預言である。即ち必ず成就すべき事を前もって語に表することである(内村鑑三
●わが祈祷が聴かれないと言う時に、祈祷以上が聴かるるのである。
 祈祷が聴かれないのではない。我等が祈求むるところ、思惟うとろこよりもいたく過(マサ)りて聴かるるのである(内村鑑三
●主は人の行ないを喜ぶ時、その人の敵をもその人と和らがせる正義によって得たるわずかのものは不義によって得た多くの収穫にまさる (箴言16-7~8)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、これに対抗することはできるであろう。私は神のおかげで困難になれてきた。神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)
●一切の仕事が、神をはなれては困難であり、神とともにあれば一切が可能である(ヒルティ)

ルカが記述した【聖書】の中の『ルカ福音書』『使徒行伝』にしても、私を含めて2000年後の現代まで、時代を超えて民族風土を超えて全世界中に知られています。

しかし、当初は目の前のたった一人のローマの役人テオピロを救わんとするために書き現された書簡である事は、私にも勇気と希望が与えられます。ハレルヤ!

●偉大な事を成し遂げるのはそれ以外に為すことのできない人のみである(ヒルティ)
●大事業の端緒はまず目前の義務を果たすことなり(内村鑑三
●大いなる事業が完成されるためには、ひとつの精神があれば足りる。千の手を動かすために(ゲーテ
●すべて偉大なことは、小規模に少人数から始まるものだ。あなたはそれを覚悟しなければならない。そして、子供たちを 教育するにも彼等が少数派に属することを平気なように導かねばならない(ヒルティ)
●人数が少ないからといって世界を変える力はないと侮るなかれ。世界を変えてきたのはまさしく少数の力なのである(マーガレット・ミード)


★★【その2】につづく★★