◇◇【神の愛】と共にあれば、<死線>を越えた<圧倒的勝利>!(その1)◇◇<改訂版・再掲載>【2006年11月6日に作成した<第418回>に加筆】
【圧倒的勝利!】
●誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができようか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。「神様のためには、いつでも死ねる心がまえでいなければならない。私たちは殺されるのを待つ羊のようだ」(詩篇44-22)と書いてある通りである。しかし、私たちは、私たちを(命を投げ出してまで)愛して下さったキリストによって、これらすべてのことの中にあっても、輝かしい圧倒的な勝利者となるのです(ロマ書8-35~37)
●私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力ある者も、高い者も深い者も、その他どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から私たちを引き離すことはできないのである (ロマ書8‐38~39)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは!ご愛読に感謝します!
私たちの人生は日々大小様々な【患難辛苦】に直面します。時には生きるか死ぬかの<死線>を越えなくてはならないような耐え難い【苦難・大試練】にも出遭うことでしょう。
そんな<死線>を越えるような【苦難・大試練】にも、耐え忍び前進し続けようと努力しますが、最後には疲れ果て倒れても、【神の愛=主イエス】だけは、決して見捨てず、助け支えていることを、私たちは日々の中で実感でき目撃することができます。
●主は人の一歩一歩を定め、主は御旨にかなう道を備え、その行く道を喜ばれる。
人は倒れても、まっさかさまに倒されはしない。全く打ち捨てられることもない。主がその手を助け支えられるからである。
若いときにも老いた今も、わたしは見ていない。
主に従う人が捨てられ、あるいはその子孫が食物を請い歩くのを見たことがない。(詩篇37-23~25)
●私たちは四方から患難を受けても、窮しない
途方にくれても、行き詰まらない
迫害にあっても、見捨てられない
倒されても、滅びない(コリント後書4-8~9)
●人に知られていないようで 認められ
死にかかっているようで 生きており
こらしめられているようで 殺されず
悲しんでいるようで 常に喜んでおり
貧しいようであるが 多くの人を富ませ
何も持たざるようで 全てのものを持っている(コリント後書6‐9~10)
たとえば、今日のTV報道のことですが、米国で起こった非常に興味深い「出来事」がが紹介されていました。
それは、日本でもよく見かける悲惨で可愛そうな光景です。食肉用の牛が搬送中の車から脱走したのです。
百キロを越える牛は、大勢の人間が捕まえようとしましたが、必死に逃れながら丸一日逃げ回ったそうです。
しかし、結局は麻酔銃で捕まえられました。哀れなる「ドナドナ」の歌を思い出させます。
ところが、驚くべき計らいが行われたのです!何とその勇敢な牛は食肉として殺されず、動物園に運ぶことに決めたというのです!
さすが!<西部開拓魂>の国民ではありませんか!勇敢にも戦った「牛」に敬意を表したのだと思います。
そして、あの「ドナドナ」は【主イエス】であることを肌で知っている欧米人の心を打ったのだと私は信じています。
以前に紹介した英国での子牛の<フェニックス>のエピソードも思い出されます。
それは、英国で狂牛病根絶のために、政府は止む終えず健康な牛も含めて大量処分するという決断をします。
あの忌まわしい「ホロコースト」のガス室と同じような処理方法だったので、誰も生存することなどは不可能でした。
ところが驚くべきことに、ガス室のドアを開いたところ、そこには1頭の<かわいい子牛>が元気に発見されるのです。
その無防備で無抵抗の<子牛>の姿を改めて見せつけられた時に多くの英国人の心の中には【主イエス】の姿に映ったのではないでしょうか。
英国ではメディアで話題にされて、ついに子牛の命は救われます。そして、子牛は見事に生還し復活できたことを祝して「フェニックス」と名づけられます。そして、多くの健康な牛の殺害処理を回避しようとする方針になったことも報じられています。
無垢で幼な子の「フェニックス」は巨人ゴリアテに独り起ち上がって、ユダヤ民族を救ってくれた<ダビデ>であり、民族を奴隷から自由解放させた<モーゼ>そのものです。
いかなる富や権威や名声や叡智があろうとも、英国女王でもローマ法王でも、どんな権力者・有識者であろうとも、誰も停止することができなかったのに、たった1頭のかわいい無垢な子牛が、人類の身勝手な叡智や【自己愛】の暴走を止めさせ、恐るべき【苦難・大試練】の<死線>を越えることで、英国人の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を呼び覚ませ、【神の愛=隣人愛】を取り戻させてくれました。ハレルヤ!栄光を主に帰します!
虐殺・横暴によって人道的有罪となった独裁者フセインに対して、イラク人は「死刑」を喜んだようですが、死刑廃止の欧州世論は「死刑」判決には否定的であることは、単なる政治的メッセージとしてだけではなく、私には<【神の愛】のメッセージ>であるとも思います。
当然の覚悟をしていた「死刑」を免れた時には、あのフセインにも復活・再起への【絶好のチャンス】が与えられるからです。
【主イエス】が身代わりになってくれた、あの<バラバ>のように・・・。いや、フセインもバラバも<私自身>そのものです!
●主はあなたの罪・不義をことごとく赦し、病をすべて癒し
あなたの命を墓穴から贖い出してくださる。
あなたに慈しみと憐れみの冠を授け
あなたが生きながらえる限り一生を善いものに満ち足らせる。
こうしてあなたは若返って、鷲のように新たになる(詩篇103-3~5)
現代の日本社会では、極端な過剰報道のせいもあってか、「いじめ問題」「履修問題」で騒然となり、毎日のように生徒や先生や校長の自殺が続いているようです。
もはや人間の作る法律・制度や叡智や努力だけでは、この悪循環の<死線>から逃れることは困難であると私は思います。
現在の日本社会は、狂牛病を恐れてヒステリック状態になった英国人全体が、心を奪われて、【神の愛=隣人愛】を見失い大量虐殺にまで暴走してしまった時のように、私自身を含めて、日本人全体が、【神の愛=隣人愛】が冷却しているのだと感じられるからです。
今こそ【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を取り戻させてくれた<子牛フェニックス>のように【善き羊飼い】である【救世主イエス】が必要な時代だと痛感します。
●主は私の羊飼い、主は必要なものはみな与えて下さり、私には何も欠けることがない。
主は私を牧草地にいこわせ、ゆるやかな流れのほとりに連れて行かれる。
傷ついたこの身を立ち直らせ、魂を生き返らせ、主の御名にふさわしい義の道に導き、
私が最高の主の栄光を現す仕事ができるよう、手を貸してくださる
たとい死の陰の谷を行くときも、私は災いを恐れません。
主なるあなたが私のすぐそばにいて、道中ずっとお守りくださるから。
あなたのむち、あなたの杖、それが私を慰め力づける。
主なるあなたは私を苦しめる敵を前にしても、私に食卓を整えてくださる。
私の頭に香油を注ぎ、私の杯を溢れさせてくださる
生きている限り、恵みと慈しみは、私についてきます。
やがて、私は主の宮に着き、いつまでもおそばで暮らすことでしょう(詩篇23-1~6)
●主の御霊が私に宿っている。
貧しい者に素晴らしい福音を宣(ノ)べ伝えるために
私を聖別し任命された。 主は私を遣わして
霊的な囚人を釈放し
霊的な盲人の目を開かせ
虐げられ打ちひしがれた者に自由を得させて
主の恵みの年を告げられる。(ルカ伝4-18~19、イザヤ書61-1)
国内外において、日本民族全体が現在直面していることは生きるか死ぬかの<死線>を乗り越えなくてはならないほどの【苦難・大試練】であっても、今だからこそ、本物の光輝く【神の愛=主イエス】を見出せる【絶好のチャンス】だと」信じます!
●主よ、あなたは私を探り究め、私を知っておられる。
あなたこそは私が座るのも立つのも知り、遠くから私の思い計らいを読み取り悟っておられる。
歩くのも伏すのも見守れら、私の道にことごとく通じ知っておられる。
私の舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる。
前からも後ろからも私を囲み、御手を私の上に置いていてくださる。
その驚くべき知識は私を超え、あまりにも高くて到達できない(詩篇139-1~6)
★★【その2】につづく★★