◇◇【ビジョン:理想・夢・志】実現への道⇔【裏切り】から学ぼう!(その1)◇◇<改訂版・再掲載>
【2006年4月5日に作成した<第401回>に加筆】
●負けて勝ち、踏みつけられて立ち、殺されて活くるのがキリスト信者の生涯である(内村鑑三)
●彼らは涙の谷を過ぐれども、そこを多くの泉あるところとなす。初めの雨は多くの祝福にておおわれる(詩篇84‐6)
【神の愛】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!
熱き思い燃える心に抱く<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】に【ミッション:使命・天職】を発見するなら、【神の愛=主イエス】は喜んで【聖書・聖霊】を通じて、私たちを<実現への道>に導いてくれることが実感できます。
●あなた方の内に働きかけて、その願い(志望)を起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神が善しとされるところだからである。何事も、つぶやかず疑わないで(不平や理屈を言わずに)行いなさい(ピリピ書2-13~14)
●青年の夢を軽んじてはならない。それは大抵、その人のまだ自覚しない素質に応じたものであり、したがって、またその人の使命とも一致することが多い。つまり、人の使命も最初はただ空想的な未来像として現われてくるものである(ヒルティ)
●理想を語るは夢を語るにあらず、未来の事実を語るなり(内村鑑三)
●この世にあるやすらぎはただ一つ大いなる目標への確信だけです(タウラー)
●この動揺する時代に自分までぐらつくのは、ただ災いを増すばかり、おのれの志を守ってゆずらぬ者だけが世の中をつくりあげて行くのだ(ゲーテ)
私たちが自分の心から信愛する【ビジョン:理想・夢・志】に取り組む時に、私たちは<十二使徒>を想起できます。
自分の【ビジョン:理想・夢・志】を目指す時に、先ず誰もが経験することは【裏切りのユダ】ではないでしょうか。
【裏切りのユダ】とは成果を急ぎ、実現手法を見誤り、【神の愛=主イエス】よりも【この世の勢力:富・権威・名声】に頼ってしまう象徴だと思います。そして【聖書】は、誰でも【裏切りのユダ】となり得ることを示していると思います。
多くの場合【ビジョン:理想・夢・志】実現に挫折したり、自己都合で自粛したり、妥協したり、断念してしまう態度は【裏切りのユダ】そのものではありませんか。世間的に有識者で賢くて、損得・利害意識の高い人ほど陥る道です。
【ビジョン:理想・夢・志】の実現を本当に目指したければ、自力でも、【この世の勢力:富・権威・名声】でもなくて、先ずは【神の愛=主イエス】に信愛することを目指しましょう!
私たちが【ビジョン:理想・夢・志】を抱くにおいて、【裏切りのユダ】でない態度とは、世間的には<愚かな態度>です。
我らの【同労者・同志】である内村鑑三氏は、【神の僕】として目指すべき道を私たちのために明確に示してくれています。
●イエスと共にある者は;
◆青春の詩的理想を持続することができる
◆単純にして一貫せる生涯を完全に遂行できる
★平民の友★自由の主張者★理想の追求者
にしてその
★実行者★大革命家★大詩人★大預言者
●青年、壮者とは;
常に不可能を計画する人
常に大改革を望む人
常に詩人的にして夢想する人
常に利害にうとき人
常に危険を感ぜざる人 (内村鑑三)
世間的に、何の成果も見られず、誰からも認識されることなく、見捨てられ、枯れ果てた【ビジョン:理想・夢・志】に思われても、<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】を大切に守り育て続ける者の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】は
老いても【青年の心】のままであり、熱き思い燃える心は【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で益々燃え盛ります!
●あなたは知らないのか、聞いていないのか、主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、その叡智ははかり知れない。
疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は、新しく力を得て、ワシのごとく、翼を張りてのぼり
走れども疲れず、歩めども倦まざる者となる(イザヤ書40‐28~31)
●キリストを神として拝するも我等の良心は少しも品性の堕落を感じません。のみならず、帝王を崇拝して自由を失い、富豪を崇拝して威権を隕(オト)せし国民もイエスを神として崇め奉りて、その失いし自由と独立を回復した例は人類の歴史に幾度もあります(内村鑑三)
たとえ今日現在の【ビジョン:理想・夢・志】が将来の安定も約束もないように思われても、私たちは家族・世間の常識に従って、放棄することも妥協する必要もありません。私たちには全智全能の【神の愛=主イエス】が<最善最強の味方>だからです!
私たちが心に抱く<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】実現のために、先ずは【神の愛=主イエス】に信愛すれば、【神の愛の奇蹟】で道が拓け、どんな最悪のどん底からも<最善>に導かれることを楽しみに待ち望みましょう!
【ビジョン:理想・夢・志】実現のために障害となる、あらゆる困難は解決されることを信じましょう!何故なら私たちの心に抱く<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】もまた【神の国】であり【神の義】そのものだからです!
●何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ伝6-33)
●ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのもの(衣食住の必要)は加えて与えられる。(ルカ伝12-31)
私たちが【裏切りのユダ】になってしまうのは、【ビジョン:理想・夢・志】実現が<自力>では世間的に困難に思われるからです。
しかし、【神の愛=主イエス】から見れば、困難な【狭き門】だからこそ、我々は<自力>には頼れず、世間にも頼れないので結局は【神の愛】と共に【二人三脚】で目指す道を見出せるのです!<実現の困難>もまた【神の愛の恵み】です!
●偉人の生涯は我々に教える
我々もまた高貴に生き得ることを
そして彼亡きあとには 時の砂上に足跡を残すことを。
別の弱い、よるべなき兄弟は人生の荒海を渡りつつ
おそらく、それを目に留めて新たに勇気と奮い起こすであろう足跡を(ヒルティ)
●我々はいつも行為によって完全なものになろうとするが、神はたいてい苦しみを通して我々を前進させようとし給う(ヒルティ)
●多くの人が沢山の涙と大変な労苦を重ねて、やっと得たものを、お前はすぐに得ようと欲するのか。主を待ち望みなさい、雄々しく振る舞い、勇気をしっかり持っていなさい。孤疑せずに、逃げ出さずに、心身をいつも変わらず神の栄光へと捧げなさい(トマス・ア・ケンピス)
●我々が神の国に入って行くには多くの苦難を経なければならない(使徒行伝14‐22)
●私は思う。今この時の苦しみは、やがて私たちに現されようとする栄光に比べると言うに足りない(ロマ書8‐18)
●快適な場所に着くまでにあなたは火と水の中を通り過ぎなければならない(トマス・ア・ケンピス:詩篇66-12)
●お前の意図に反しても、それは全くもう駄目というわけではない。目前の感じによって物事を判断するのは間違いである(トマス・ア・ケンピス)
●失敗は方針を転ぜよとの神の命令である。我等は失敗を重ねて神の定め給いにし天職につくのである(内村鑑三)
●地獄への道はきれいに舗装されている(ダンテ)
★★【その2】につづく★★