◇◇<the Light of the Body(からだの【ともし火・あかり】)>⇔
【ビジョン:理想・夢・志】を抱く【世の光・光の子】を目指そう!(その1)◇◇
【2003年10月2日に作成した<第319号>に加筆】
●誰もあかりをともして、それを倉の中や枡(マス)の下に置く事はしない。
むしろ入いって来る人たちに、そのあかりが見えるように、燭台の上に
置く。
●あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、
全身も明るいが、目が悪ければ、からだも暗い。
だから、あなた方の内なる光が暗くならないように注意しなさい
(ルカ伝11‐33~35、マタイ伝6-22~23)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!
<この世>には【光の領域】と【闇の領域】が存在していることは誰もが実感できます。
【光の領域】は【神の愛=主イエス】と共にある【神の愛=隣人愛】に満たされています。
●神は光であって、神には少しの暗いところもない(ヨハネ第1書1-5、イザヤ書2-5)
●私は世の光である。私に従って来る者は、闇の内を歩くことがなく、
命の光をもつであろう(ヨハネ伝8‐12)【助け手】である
【神の愛=御霊】は無限大の【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】と
日々新たな【バイタリティ:生活力=生命力+活力】で<パワー・アップ>してくれて
私たちの【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を【内なる光=隣人愛】で満たしてくれます!
●神は神の聖霊を役立てたいと思う人々にだけ、それを授け給うのであって、
ただそれを所有して楽しむためには与えられない (ヒルティ)
●助け主、すなわち、父が私の名によってつかわされる聖霊はあなた方に全ての
事を教え、また私の話しておいた事をことごとく思い起こさせるであろう(ヨハネ伝14‐26)
●聖霊、汝等に臨みてのち、汝能力を受くべし(使徒行伝1‐8)
●私が父のみもとからあなた方に、つかわそうとしている助け主、すなわち、
父のもとから来る真理の御霊が下る時、それは私について証しするであろう(ヨハネ伝15‐26)
●真理の御霊が来る時には、あなた方をあらゆる真理に導いてくれるであろう。
それは、自分から語るのではなく、その聞くところを語り、来たるべき事を
あなた方に知らせるであろう(ヨハネ伝16-13)
<闇の領域>を支配する【この世の君・悪魔】は【この世の勢力:富・権威・名声】で
私たちを誘惑して<この世>に未練をもたせて、自己保身と【自己愛】に執着させます。
【この世の君・悪魔】は【神の愛=主イエス】を誰よりも愛して独り占めしたくなって
万事万物を【神の愛=主イエス】の【光】から遠ざけることを考えているのだと思います。
何故<闇の領域>と【この世の君・悪魔】の存在が許されているのか?と疑問視する人が
いるでしょう。以前の私自身もそのような疑問を何度も抱き悩みました。
しかし【神の愛=主イエス】から観て、愛する【神の愛=主イエス】を独り占めしたくて
憎み逆恨みする【この世の君・悪魔】と、【神の愛=主イエス】を軽視して全く無関心で
忘恩な私とを比較したならば、【この世の君・悪魔】の方が可愛いとは思いませんか?
●愛の反対は憎しみではない。愛の反対とは無関心なことである(マザー・テレサ)
【神の愛=主イエス】に忘恩で無関心な私が滅ぼされずに生かされているのですから、
私よりも【神の愛=主イエス】の存在を確実に認めて憎み逆恨みする<闇の領域>が
私よりも先に滅ぼされるはずはありえませんね。惠み深き【神の愛】に感謝します!
●我らのなお滅びざるは主の慈悲・仁愛(いつくしみ)による。その憐憫(あわれみ)の
尽きざるによる。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大いなるかな
(エレミヤ哀歌3-22~23)
●愛する人たち、この事だけは忘れてはならない。主のもとでは、一日は千年のようで、
千年は一日のようである。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の
実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が
悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです
(ペテロ後書3-8~9)
●神はその独り子を賜うほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者が
一人も滅びないで永遠の命を得るためである(ヨハネ伝3-16)
●私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している
「Very Important Person in God' Eye」(イザヤ書43‐4:V.I.P.の語源)
●これらの小さい者の一人が滅びることは、天に在ますあなた方の父の御心ではない
(マタイ伝18‐14)
【神の愛=主イエス】は【この世の君・悪魔】や<闇の領域>よりも最悪な状況である
私のように【神の愛=主イエス】を無視し無関心で忘恩である<迷える子羊・罪人>を
最優先して救出することから着手されたことは感謝感激です!
●「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来て下さった」という言葉は、確実で、
そのまま受け入れるに値するものである(テモテ第1書1-15)
●イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である。
私が来たのは義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」
(ルカ伝5-31~32)
●私がこの世に来たのは、さばくためである。すなわち見えない人たちが
見えるようになり、見える人たちが見えないようにするためである(ヨハネ伝9‐39)
●人の子(救世主)が来たのは、失われたものを尋ね出して救うためである
(ルカ伝19‐10)
●私は失われたものを捜し、迷い出た者を連れ出し、傷ついた者を包み、病気の者を
力づける。私は肥えた者と強い者を滅ぼす。私は正しい裁きを持って彼等を養う
(エゼキエル書34‐16)
●父がその子に対してするように、あなた方の一人一人に呼びかけて、神の御心に
そって歩むように励まし、慰め、強く諭し勧めたのである。御自身の御国と栄光に
預からせるようと、神はあなた方を招いておられる(テサロニケ前書2‐11~12)
●神である主の御告げ-「私(神)は決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者が
その態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。
イスラエルの家よ、何故、あなた方は死のうとするのか(エゼキエル書33-11)
優先的に【神の愛=主イエス】に救出された<悪者>の私は、報恩感謝の心意気で、
<闇の領域>を<光の領域>に導く【ミッション:使命・天職】が与えられたのです。
●神はどんな悪も行われないようにするよりも、むしろ悪から善を生じさせるように
する方が善いと考えられたのである(アウグスティヌス)
●悪の克服、その後の罪のつぐない、悪からの脱出、新生、これが表現の天分を
解放するのである(ヒルティ)
●主は人の行ないを喜ぶ時、その人の敵をもその人と和らがせる。
正義によって得たるわずかのものは不義によって得た多くの収穫にまさる
(箴言16-7~8)
【この世の君・悪魔】が支配する<闇の領域>と【この世の勢力:富・権威・名声】は
多数派勢力であり、皆さんもよく御存知のように強力で強大でありとても魅力的です。
一方で【神の愛=主イエス】の支配する<光の領域>と【福音の勢力】は少数派ですが、
<この世>の誕生でも、私自身でも、【闇】から【光】に転じたので心配御無用です!
●「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、私たちの心の内に働いて、
イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださる(コリント後書4-6)
●あなた方は以前は闇であったが、今は主にあって光となっている。
光の子らしく歩きなさい(エペソ書5-8)
●私は以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。 しかし私はこれらの
事を信仰がなかった時、無知なためにしたのだからあわれみをこうむったのである
(テモテ前書1-13)
●あなた方は、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。
しかし今や、神は御子の肉の体においてその死を通して、あなた方を神と和解させ、
あなた方を聖なる、傷のない、責められるところのない者として、御前に立たせて
下さったのである。ただし、あなた方は揺るぐ事なく、しっかりと信仰に踏み留まり、
あなた方が聞いた福音の希望から離れる事のないようにすべきである
(コロサイ書1-21~23)
★★【その2】につづく★★