【2008年9月14日に作成した<第473回>に加筆】
◇◇【真・善・美】の<道>は【神の愛=主イエス】を体感できる<香り>!◇◇
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!
たとえ【聖書】や【神の愛=主イエス】を知らずとも、認めずとも、理解しなくても、
【神の愛=主イエス】を体感できる<知識の香り>に<歓喜!感動!感謝!>できます。
●神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、
わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせて
くださいます(コリント後書2-14)
世界中の民族が大切に愛する独自の【真・善・美】を体現する<道:文化・技能>には
【神の愛=隣人愛】で光り輝く【神の愛=主イエス】の<香り・気配>を感じれらます。
●【どこに至るも真理を吸収する力:Universal Absorbing Power(内村鑑三)】
★すべて真実なこと、すべて敬い尊ぶべきこと、すべて正しき(公義な)こ と
⇔【宗教的真理】<真>
★すべて純真(清潔)なこと、すべて愛すべきこと、すべて誉れあること
⇔【道徳的善行】<善>
★すべて愛すべき(人の心を引き付ける)こと、また徳といわれるもの、
称賛に値する(耳に善き響きある)もの
⇔【審美的美事】<美>
それらのものを心にとめなさい(聞き捨てにおかず思想の材料とせよ(ピリピ書4-8)
たとえば、日本の伝統的な【真・善・美】を体現している<武道>や<相撲>にも
【神の愛=主イエス】の<香り・品性>を体感できます。
●【愛の讃歌】(コリント前書13-4~8)
【愛=主イエス】は耐え忍び寛容である。【愛】は情が深く人の益を図る
【愛】はねたまない、誇らない、高ぶらない、非礼を行わない。
【愛】は己の利を求めない、軽々しく怒らない、人の悪を念(オモ)わない。
【愛】は不義を喜ばないで真理を喜ぶ
全てをおおい包み、全てを信じ、全てを望み、全てを耐えて支える
【愛】はいつまでも絶えることがない
御存知のように、従来の<武道:剣道・柔道>や<相撲>と「欧米のスポーツ競技」の
<勝利者>との態度には明らかな違いがありました。
<勝利者>は、勝っても敗者の前で、誇り高ぶらず非礼を行なわない、気品があります。
国際化して欧米のスポーツ的になってしまった柔道や相撲では変化してしまいましたが、
今でも<剣道>の世界では、勝利者が静かにこぶしを握る「ガッツ・ポーズ」をしても
<反則行為>として判定負けになるシーンを見て驚きました。
今や日本の国技の<相撲>が権威も威信も誇りさえも失われつつあるように感じます。
本来の<相撲>とは「強ければよい」といった「勝ち敗け」だけの競技というよりも、
チャンピオンである「横綱」は強くて優しい「横綱相撲」を取る<風格>が重んじられ、
「弱いものいじめ」をするような態度や卑怯な技を使って勝つことは「恥じ」でした。
他の格闘技と異なり、重量無差別なので、小さくても大きな相手に勇敢に立ち向かう
<心意気>こそが、ただ勝負に勝つことよりも、価値があることを自然に学べました。
つまり、<強大な者>が勝つことは当たり前ですが、一方で、<弱小な者>であっても
負けても堂々とした「負けっぷり」にも【真・善・美】を見出せるのが<相撲>ですね。
日本民族が誇る「武士道」や「大和魂」や【神の愛=隣人愛】にも通じる<美徳>です。
●戦いに勝って勝つのではない、真理に従って勝つのである。
戦いに負けて負けるのではない。真理に反して負けるのである(内村鑑三)
●武士道(内村鑑三)
-正直なること
-高潔なること
-寛大なること
-約束を守る事
-借金をせざること
-逃げる敵を逐(オ)わざること
-人の窮境に陥るを見て喜ばざること
既に欧米・アジア諸地域では存在している<24時間宗教専門チャンネル>の創設は
私の【ビジョン:理想・夢・志】の一つですが、日本にも匹敵する番組が現存します!
教会や寺院で高名な聖職者に説教を受けなくても、小さい頃からTV番組で放映される
相撲中継を観続けるだけでも、勝利者としての<品格>や挑戦者としての<心意気>を
具体的に体感できることは、日本の素晴らしい<伝統的教育文化>だと思いませんか?
国技である<相撲>とは【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】の<香り>です。
●語るための真理にあらず、信じて行なうための真理なり(内村鑑三)
●やって見せ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かぬ
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず (山本五十六)
これまで<相撲>が具体的に体現してくれた【神の愛=主イエス】の<香り>である
【神の愛=隣人愛】に光輝く素晴らしい【真・善・美】ですが、賞味期限が来ました。
日本民族が愛する【真・善・美】が体現された<相撲><武道>が<香り>を失っても
【神の愛=隣人愛】の<香り・気配>の本源である【神の愛=主イエス】を知っている
私たちは心配御無用です!
日本民族が誇り愛する【真・善・美】の<香り>や<光>が失われつつある現代にこそ
【光:真・善・美】そのものであり、<真理・正義の道>であり、待ちに待った待望の
【神の愛=主イエス】が歓迎される<最善の時代>の到来です!ハレルヤ!
●天の下では、何事にも定まった時期あり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えたものを抜くのに時がある。
殺すのに時があり、癒すのに時がある。
崩すのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、微笑むのに時がある。
嘆くのに時があり、躍るのに時がある。(伝道の書3-1~5)
●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)
●魂のよろこびに
まさる喜びはなし。
これによりて枯骨も芽をふく。
この喜びを、わが主は常に、
われらのために増したもう(ヒルティ)
●日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。
才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。
日本に欠けているのは「生きた確信」である。
真理そのものを愛する「情熱」である。
この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である(内村鑑三)
社会も自己も<闇:不義・不正>と【悪:無知・無関心・無責任】に支配される事で
【神の愛=隣人愛】の<光・熱気>や<香り・気配>が弱まり失われつつあろうとも
<世の光・香り>の源泉である【神の愛=主イエス】が、<暗闇>に生きる私たちを
【御言葉】である【ビジョン:理想・夢・志】によって照らし導いてくれます!
●あなた方は、以前は闇であったが、今は主にあって光となっている。
光の子らしく歩きなさい。光はあらゆる善意と正義と真実との実を
結ばせるものである(エペソ書5-8~9)
●暗闇の中に歩んでいた民は大いなる光を見た。
死の陰の地に住んでいた人々の上に光が輝いた(イザヤ書9-2)
●イエスは人々に言われた。
「私は世の光である。私に従う者は決して暗闇の中を歩むことなく、命の光を持つ。」
(ヨハネ伝8-12)
●こうして預言の言葉は、私たちにいっそう確実なものとなった。
あなた方も、夜が明け、明星がのぼって、あなた方の心の中を照らすまで、
この預言の言葉を暗闇に輝くともしびとして、それに目を留めているがよい
(ペテロ第ニ書1‐19)
●主よ、あなたは私の灯りを輝かし、神よ、あなたは私の闇を照らしてくださる
(イザヤ書42-16)
●神に従う人のためには光を、心のまっすぐな人のために喜びを種まいて下さる
(詩篇97-11)
●主よ、あなたは私の灯で、私の闇を輝かせて下さるのは主だからである
(サムエル後書22-29)
●暗闇と死の陰に座している者たちを光で照らし、我らの歩みを平和の道に導く
(ルカ伝1-79)
●光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった(ヨハネ伝1‐5)
●私は言う。「闇の中でも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す。」
あなたには、闇も暗くなく、夜も昼も共に光を放ち、夜は昼のように明るく輝く。
あなたには、闇も光も同じで異なることはない(詩篇139-11~12)
日本民族が愛する【真・善・美】の体現である「恥の文化」「武士道」「大和魂」が
自分の中にも社会全体でも、堕落崩壊し弱体化しているなら、私たちの<出番>です!
<熱き思い燃える心>である【青春:幼な心・青年の心】に【神の愛=隣人愛】で輝く
私たちの【ビジョン:理想・夢・志】も【真・善・美】である【神の愛=主イエス】の
導きで<香り>と<光:活気>に満ち溢れているので、闇深い自己と【隣人・社会】を
【ビジョン:理想・夢・志】を<旗印>に高く掲げて明るく元気にさせましょう!
●暗闇を不安に思うより、1本のろうそくに火を灯しなさい(エリノア・ルーズベルト)
●暗いと不平をいうよりもすすんであかりをつけましょう!(心のともしび)
●一灯を下げて暗夜を行く、暗夜を憂うることなかれ、ただ一灯を頼め(佐藤一斎)
●たった一つのロウソクなどと考えてはなりません。すべての人が自分のロウソクに
火を灯せば、真っ暗な夜を明るい昼に変えることができるのです(オグ・マンディーノ)
たとえ【聖書】や【神の愛=主イエス】とは無関係に思われようとも、皆さん自身が
心から信じ望み愛する【真・善・美】を体現化した<道:文化・技能>にあろうとも、
【神の愛=主イエス】の<香り・気配>である【神の愛=隣人愛】を体感できるなら
たった独りでも挑戦し続け【御言葉】である【ビジョン:理想・夢・志】に前進する
【愛と自由の戦士・神の僕】となって活躍されることを心より応援しています!
●神への信仰は本能である。それは二本の足で歩くのと同じく、
人間に生来備わっているものだ(リヒテンベルク)
●神を感じるのは心情であって、理性ではない。信仰とは、そのようなものである
(パスカル)
●神を信仰するといっても、自分の悟性で推測する事のできるものしか信仰しないのは、
神の理念を極小化する人間である(ライプニッツ)
●認識は信仰の報酬なり。ゆえに信ぜんがために認識せんとするにあらず、
認識せんがために信じよ(アウグスティヌス
●もっとも深い真理は、ただもっとも深い愛のみにひらく(ハイネ)
●真理は生み続ける。いかなるものも、これを止めることはできない(ゾラ)
●人生の意義は偽をにくみ、真を愛することを学ぶにある(ブラウニング)
●私は、あなたの行ないを知っている。見よ。私は、誰も閉じることのできない門を、
あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたは力が弱かったが、私の言葉を守り、
私の名を知らないと否まなかったからである(黙示録3-8)
ハレルヤ!主の恵みに感謝します!
栄光を主に帰します!アーメン!
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)