【2005年4月29日に作成した<第372回>に加筆】
◇◇失敗や挑戦に【優しい社会】に導く【神の愛=主イエス】!<その1>◇◇
★★何故ニューヨーク・マンハッタンは世界で一番エキサイティングなのか?★★
★★【その1】のつづき★★
日本では小・中学生から社会参加させて、販売員などの経験をさせて、
金を稼ぐことの厳しさを体験させようとしています。
日本では販売員が「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました!」
と大声を上げて敬礼させるような光景が一般的です。
一方でNYでは店員は必要以上の気配りはしません。
客の方が「ありがとう(Thank you)」と先に声をかけるのが常識です。
先日の石原東京都知事の記者会見で興味深いエピソードを聞きました。
彼にも映画会社に勤めるサラリーマン経験がわずかながらあったらしく、
その時の新入社員研修で映画館の「チケット売り場」の店員を
体験させられた時のことです。
アメリカの映画が上映されていて、アメリカ人の観客も来たそうです。
日本客と異なり、彼らは「ありがとう!」と声をかけてくれたことが、
とてもうれしかったそうです。
それ以来今日現在でも、映画館では店員に「ありがとう」と声をかけるそうです。
米国のホームレスは哀れみでなく、先に勝手に車の窓拭きをしたりして、
成果報酬として堂々と対価の金銭を求めます。
つまり、必要以上の「へりくだり」を客は店員に求めることなく、
かえって【感謝の言葉】をかけることが常識となっています。
「気配り」は目下(部下)が目上(上司)にするのが日本の常識ですが、
米国では【主イエス】の【洗足の教え】が浸透しているようです。
●たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、
腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、
「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか」と言った(ヨハネ伝13-5~6)
●イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。
「私があなた方にしたことが分かるか」(ヨハネ伝13-12)
●主であり、師である私があなた方の足を洗ったのだから、
あなた方も互いに足を洗い合わなければならない。私があなた方にしたとおりに、
あなた方もするようにと、模範を示したのである(ヨハネ伝13-14)
「<富める者、強き者、先にいる者>が<貧しき者、弱き者、後にくる者>に対して」
が基本中の基本であるようです。
「レィディー・ファースト」のマナーも、一般的に「か弱き女性」を優先するということから
生まれたのだと思います。
さらに、米国は何事にも緊張感を嫌います。
「リラックス」を周囲が心がけてくれるのもチャレンジには大いに励ましになるのです。
米国人は誰にでも「あいさつ」してくれるので、陽気で外交的で気さくで天性の
<社交的性格>だと私も思っていました。
ところが、そんな米国人に「貴方が恐れることは何ですか?」と質問すると
上位3番目くらいに「人前で話すことが怖い」といった興味深いアンケート結果を
聞いたことがあります。
だからこそ、目上・先輩から優先してリラックスさせることに気を使ってくれるのです。
無駄な緊張感は失敗を生むだけだからです。
クリントン大統領が演説でポケットに手を入れて話すのも、
無礼であると見るのではなく、自分から率先して「リラックス」の態度を示すことは
謙虚で高慢でない態度であり、かえって聴衆の心もリラックスさせて善循環させる
効果があるのです。
どんな分野でも「初めての挑戦」において、失敗するなよ!と緊張させるではなく、
成功してもらうようにリラックスさせることの方がうまく行くことは、米国の成功物語が
証明しています。
初めての面接・会議でも「メルティング・アイス」といって、雰囲気を和らげるのは、
優秀な上司・先輩の役割です。部下・新人に服従を強要したり、緊張させるのは
社会全体にとって危険な事を、今回の事故で私たちは改めて知る事になりました。
●おのおの自分のことばかりでなく、他人のことを考えなさい(ピりピ書2‐4)
以前お話したように、夢を実現しやすいアメリカの特質とは【アメリカの良心】にあると
私は感じています。
それは、誰でも時と場合によっては「Accidenntal Hiro(思いがけないヒーロー)」に
なれる精神風土であり、【優しい社会】であるからだと思います。
以前にも紹介した米国の空港内で起こった私自身のエピソードは
今でも感動的印象があります。
私が、待合いロビーで座っていた時に突如、非常ベルがけたたましく鳴り響きました。
一瞬緊張感が走りましたが、それは誤動作であることは周囲の気配でわかりました。
しかし、すぐには警備員も駆けつけることなく3分位大きなベルが鳴り響き続けました。
やがて大柄な警備員がゆっくりと歩いてやって来ました。彼は静かにベルのスイッチを
切りました。
その時です。周囲の一般市民が「スタンディング・オべーション」をしたり、
指笛を吹いたりして、彼に感謝と祝福のエールを贈ったのです。
男は照れくさそうに笑みを浮かべて、軽く会釈しながらゆっくりと立ち去って行きました。
彼はその時間違い無く「ヒーロー」でした。
そして、彼は自分の仕事に喜びと誇りを持ったに違いありません。
ベルが止み静かになったロビーには、感動的で、さわやかな空気に充たされました。
日本ではあまり考えられない光景だと思います。
先ず、3分間も鳴りっぱなしだと、誰かが係員に苦情を言うでしょう。
もし、係員がノソノソ歩いて来たならどうでしょうか。
日本だと恐らく、走って来るはずです。
係員がベルを停めても拍手喝采となるでしょうか?
係員も、苦情を言った人も、周囲の市民も、皆不快や不安な気持ちになるだけで、
そこには<勝利者>はいないかもしれません・・・
あの日の経験をしてから、あの警備員は注意されなくても、
彼はもっと迅速にもっと気を配るような警備員になったと私は信じます。
何故なら、自分が期待していない時に【思いがけないヒーロー】になれたからです。
彼はもっと多くの人々を喜ばせて、自分も誇れて喜べる道を目指すはずです!
ハレルヤ!
●あなた方が召されたのは、実に自由を得るためである。
ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい
(ガラテヤ書5‐13)
以前にも紹介しましたが、最後に、私が経験したとても印象深いユーモアある話を
させてください。
それは、まだNYの道路事情に精通しないままに、車を運転して、
誤って一方通行の道を逆走した時の事です。
日本ならば、「気をつけろ!!」とか怒鳴られるところです。
そんな、おろおろしている私に対して、車の窓を開けて笑顔で叫ぶ人がいました。
「NYへようこそ!!(Welcome to NY!!)」
私たちが参加・形成している社会を堅く厳しくするのも、優しく活き活きとさせるのも、
政治や経済や法制度ではありません。
私たち個人個人が身近なところから【神の愛=隣人愛】である【優しい思いやり】を
示し行うだけで【悪循環】が【善循環】へと大転換することを体感しましょう!
●<最も貴きもの>(内村鑑三)
富と糧とに優って貴きものは知識なり
知識に優って貴きものは道徳なり
道徳に優って貴きものは信仰なり
信仰に優って貴きものは愛心なり
●人が天から心を授かったのは愛するためにのみである(ボワロー)
●自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい
(マタイ伝22‐39、マルコ伝12‐31、ルカ伝10‐27)
皆さんが【神の愛=隣人愛】に満ち溢れさせて、失敗やチャレンジに【優しい社会】を
造ることに活躍される事を心より応援しています!
●目の前の一人を救える者が、世界をも救える(ユダヤの格言)
●人間の無私の献身によって隣人たちの幸福を生み出したり、
それを固めたり、または増進したりするためにはたらく時、初めて真の人間、
つまり神の似姿になり始める。ただ自分のために存在するならば、
人間とはいったい何であろうか(ヒルシェ)
●幸いなことよ、弱っている者に心を配る人は。
主は災いの日のその人を助け出される(詩篇41‐1)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主の恵みに感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します。
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田中 聡(さとし)