【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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個人主義の理想⇔【キリスト精神】①

◇◇【個人主義社会】が目指す理想 ⇔ 【キリスト精神】(その1)◇◇
【2003年9月17に作成した<第318回>に加筆】<改訂版・再掲載>

●キリストが心にかけた事は民衆自身のことと一致する(クロムウエル)

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは!ご愛読に感謝します!

最近では【個人の自立】や自由競争や実力主義を尊重する欧米の【個人主義】を重視する意見が盛んです。

日本で急激な市民革命が起きないのは欧米型の【個人主義】が育っていなからだと唱える有識者もいるようです。

ルネサンスについて【教会権威】の思想弾圧に抵抗した人間性解放運動だと論じる人々もいるようですが、それは一面だけを観察していると私には感じます。

ルネサンス宗教改革も市民革命も共通した【衝動】から起きた解放運動であると私は考えます。

それは【権威】が少数意見に耳を傾けず、少数派を【異端】として排斥するなど【神の愛=主イエス】に反する傲慢にあるから、【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】の個人が起ち上がる【モーゼの自由解放運動】であると理解します。

つまり、せっかく【神の愛=主イエス】から授けられた【権威】を無駄使いしているからこそ、【権威】を【個人】に取戻す必要があり、【神の愛=隣人愛】を個人に取戻す為に、【教会的信仰】から【個人的信仰】に立ち帰る、原点回帰の【復興運動】であると思います。

20世紀を代表する音楽家メニュー・インは自由な【コスモポリタン精神】の立場で、世界経済フォーラムで発言した言葉が先日テレビで紹介されていて感動しました。

●弱い人の声に耳を傾けないと人間社会は堕落する(メニュー・イン)

欧米型の【個人主義】が目指す【ビジョン:理想・夢・志】とは何なのでしょうか?
私は単なる私利私欲や個人的欲求の充足だけを目指すことではないと信じています。

社会主義が「社会全体で弱き人々を守り助ける」ことを理想として目指すのであれば、【個人主義】は「個人個人が【隣人・社会】を守り助ける」ということになると思います。

「公的分野(パブリック)は官(お上・行政)がやる」という「お任せ」でなく、「パブリックは個人(市民)がコミット(参画)する」という考えが根底にあると思います。

個人主義】には<説明責任(Responsibility)>と<結果責任(Accountability)>とが伴うということも聞きます。
一見すれば、責任重大のようですが、【隣人・社会】全体が【自主独立:自由・独立】を尊重しているからだと思います。

たとえば、【チャレンジド(身体挑戦者)】の人に対して社会が「貴方には無理です」と決めつけるのは、もし社会(官・行政)が、許可して何か問題が起きてしまった時に、社会(官・行政)が【説明責任】と【結果責任】を負えないからだといえるでしょう。

【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】の【個人主義】では、個人の自由意志と決断を尊重する証明として、自己責任を負いますが、個人が最善発揮して挑戦できるように、【隣人・社会】の誰かが必ず<相愛互助・互助友愛>の心意気で共に喜び、共に悲しんで協力支援くれるから、素晴らしいのだと実感します。

●独立とは必ずしも他の援助を絶つということではなく、自己の有するすべての実力を活用することをいうのである(内村鑑三
●私たち一人びとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである(ロマ書15-2)
●ある程度は他人のために心配したり、はたらいたりしなければ、どんな人も精神的に健康を保つことはできない(ヒルティ)
●おのおの自分のことばかりでなく、他人のことを考えなさい(ピりピ書2‐4)
●今の時を活かして用い、外に人に対して賢く行動しなさい(コロサイ書4‐5)

つまり、【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】の【ゴールデン・ルール(黄金律)】を実現させる【隣人・社会】が根底にあります。

●全て人に為(セ)られんと欲することは、汝等神が汝等に為し給う如くに汝等また人にもその如くせよ(黄金律:マタイ伝7‐12)
●自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい(マタイ伝22‐39、マルコ伝12‐31、ルカ伝10‐27)
●神とは何ぞや、人間にとって神とは同胞を助ける事である(大プリニウス・作者不明)
●あなた(主)は恵み深い者には、恵み深く、全き者には全くあられ、 清い者には、清く、曲がった者にはねじ曲げられる方、あなたは悩む民をこそ救われますが、高ぶる目は低くされます(詩篇18‐26~27)

女性消防士が活躍する米国事情を紹介するTVドキュメンタリーを観て感動しました。

米国で消防士はいつの時代も子供たちのヒーローであり「ファイヤー・ファイター」と呼ばれて尊敬されるそうです。

興味深いことは、「命がけの聖職」という近寄りがたい<特権・権威>としてではなく、市民に開かれていて密接で、市民が喜んで参加したくなる<身近な魅力>を持たせていることです。

その一つのイベントが「コンバット・チャレンジ」という全米各地で開催する消防士競技大会です。
現役の消防士の日常の救助・消火活動をスポーツ競技に見立てて、タイムを競うのです。

種目には素早く目標物に消火ホースの水で射当てる競技や80キロ以上の人間の形をした人形を数メートル一人で運ぶ競技など、実践的な種目を一つ一つ行ないながら、能力を高めて人命救助のスピード・アップにつなげるという合理的な考えだと思います。

地元市民は観客となって、喜んで応援することで、市民と消防士には一体感が生まれます。

日本で行なわれている「官:役所」が真面目に考えるような定期的消火訓練とは異なり、観る人も実演する人も心楽しくて、しかも実践的で、一体感と親近感をも抱けるような「コンバット・チャレンジ」にしても、その背景には【個人主義】に基づいた【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】の価値観が根ざしていると感じます。

●完全なる職業とは他人を喜ばして、我もまた喜ぶの職なり(内村鑑三
●何を与えるかということよりも、大切なのはどう与えるかということだ(ゲーテ
●受けるより与えることの方が幸いなり(使徒行伝20‐35)

さらに、感動的だったのは、米国最高峰の消防士訓練学校での優れた指導方法でした。
テレビ取材チームが注目した女性は、幼い頃から消防士に憧れていて、3度目にようやく合格します。

しかし、彼女の体力では厳しい実践訓練に着いて行くのは困難なものばかりでした。

「消防士になって人々を助けたい!」という彼女の【ビジョン:理想・夢・志】は、9・11テロ事件で300人以上も殉職した消防士の姿を観て、さらに強くなったほどに消防士になりたい!という熱意なら誰にも負けないのに、体力が着いて行きません。

最も苛酷な訓練を前にして、彼女は不安を感じます。もし、そこで気絶でもしたら、学校規則では不合格(退学)になるからです。彼女の予想通りに気絶してしまいます。

可愛そうに、やる気があっても、やっぱり無理だったのか…と、私だけでなく本人も思ったことでしょう。しかし、教官の判断を違っていました!

 「彼女は確かに活動中に気絶した。しかし、チームの支えによって最後まで放棄せず、やり遂げようとした。何が必要であるかを気づいてくれればそれで良い(合格)」

さすが!【個人主義】に根ざした【実力主義】の米国そのものではありませんか!
本来、消防士の世界では女性の立場はマイノリティ(少数派)であり、女性の参加は困難なのです。にもかかわらず、挑んできた【少数意見】を規則だけで無視するのは簡単なことでしょう。「やっぱり女性には無理なのです。あきらめてください」

訓練(試験)は、単に規則通りに行わせ、官僚的・事務的に「当落・合否を決める」ことではなくて、各自の現状の実力レベルを「気づかせる(自覚させる)」ことにあることは有意義です。テスト(訓練)で失敗を重ねるほど、本番で強いことを知っているからだと
言えるでしょう。

●勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身に至る(徳川家訓)
●神さまは(お前)を欺くことはない。あまり自信の強すぎる者が失敗するのだ。神は素直な人々の道連れとなり身をへりくだる者に自身をお現わしになるのだ(トマス・ア・ケンピス)

【ビジョン:理想・夢・志】と【ミッション:使命・天職】を抱いているからこそ、本来ならば無理だと思われる学校を2度も不合格しても、あきらめずに尚も進み続けている【挑戦者】が、どんなに【少数派・少数意見】であっても評価できるからこそ、全米でも名門であり最高峰の訓練学校である証明だと私は感動しました。

●成功の秘訣とは目的に対する不動の心である(ディスレリー)
●大切なのは、偉大な意欲をもち、それを貫くだけの技量と堅忍力とをもつことだ(ゲーテ
●後ろにあるものを忘れ、前にあるものを望め(ピリピ書3-13)
●罪を忘れ、疾病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、神と、生命と、成功と、愛とに向かいて進まんのみ(内村鑑三
●前に進まんのみ、餓死を恐れず、単独を恐れず、失敗を恐れず、破滅を恐れず、前に進まんのみ(内村鑑三:シ出エジプト記14‐15)

★★【その2】につづく★★