【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【神の愛】で<心のリフォーム>!

【2006年4月12日に作成した<第402回>に加筆】
◇◇【神の愛=主イエス】への【礼拝:★讃美★祈り★感謝】によって【我が心】を【リフォーム】しよう!◇◇<改訂版・再掲載>

●ああ神よ、我が為に清き心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新たに興したまえ(詩篇51‐10)
●心ぞ我の王国なれ(キングスレー)[⇔●己れに与えられしものによって満足する!(内村鑑三)〕

皆さんの多くの方が、TVで住空間【リフォーム】の番組を観られたのではないでしょうか。私も好きでした。

住空間を改善する【リフォーム】において共通することは、家族や自分たちでは不可能であったことです。
同じように【我が心】を【改心・リフォーム】させることもまた、自力だけで実現するのは困難だと思います。

特に私のように飽きっぽくて、怠け者で、不精者には、修験道仏道修行に代表されるような難行苦行や災害ボランティアや慈善活動などの<善行>によった【心】の【改心・リフォーム】などあり得ません。

以前も話したように、私は何故か小学校の頃の信条として「広い心を持つ!」という言葉が好きでした。
その理由は当時の私自身にも解りませんでしたが、【広い心】に憧れていたことだけは確かでした。

そして20歳の頃、NHK教育で放映されていたので、何気なく観ていた映画の中のワン・シーンのセリフが、私にとって生涯を決めるほどに大きな【預言】を与えてくれたのです。

実はその映画自体のタイトルも内容も今日現在まで正確に想い出せなかったのですが、インターネットで今日調べてみて、ようやく解りました。

ソ連ニキータ・ミハルコフ監督初の文芸作品である『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』です。

チェーホフの大学時代の戯曲「プラトーノフ」に「地主屋敷で」「文学教師」「三年」「わが人生」などの短篇のモチーフを加えて、1977年に映画化した作品だそうです。世界中で注目された作品でもありました。

★1978年サン・セバスチャン国際映画祭“金の貝殻"賞
★シカゴ国際映画祭金賞他
★昭和55年度芸術祭優秀賞受賞

私自身にとっては内容に感動したというより、最も印象深くて【心の奥】まで入り込んで刻まれたセリフとは、恐らく私の記憶するセリフも正確ではありませんが、その伝えたい【メッセージ】とは次のような内容でした。

 「もし、歴史に残るような功績を残したければ、35歳までには【光】を見出す必要があるんだ。
 歴史に残った偉人も天才も皆35歳までに【光】を見つけたし、35歳を過ぎたら間に合わないんだ」

映画の中でセリフを語った若者は恐らく35歳を直前にして焦っていたのか、35歳を過ぎていて嘆いていたのかは思い出せませんが、映画を観ていた20歳の私自身にとって、<35歳>はまだまだずっと先のように思えるものの、一方ではノンビリもしていられないなと思わされるほどに、何か衝撃を与える【愛のメッセージ】となったのです。

確かに、それ以降の私は「35歳迄に【光】を見出す!」が【ビジョン:理想・夢・志】の一つとなったのです。私は社会人になってから<35歳>が近づくにつれ、自然と【自己探求】に目覚めて行きました。

例えば、将来「生き仏(大阿闍梨)」となる比叡山の千日廻峰行者と寝食を共にさせてもらったりすることにも挑みました。

また、高額な自己啓発セミナーや健康食品や新興宗教やスピリチュアル世界にも色々と試みましたが、多くの善き経験となったものの、結局は【エゴ・自己愛】が強く<目立ちたがり屋>の自己中心の私には【光】を見出せるほどの衝撃はなく、【心】も広く大きくすることもできなかったのです。

いよいよ私にとっての恐るべき<35歳>が迫ってきた時に、私の手元に残されていたものは【聖書】でした!
そうです!私の二つの願いを同時に満たす、【広き心】に【リフォーム】してくれる【光】を発見できたのです!
これは私自身の自力でも努力でもなく【神の愛の奇蹟】のおかげです!ハレルヤ!栄光を主に帰します!

●汝らも心を広くして我に応ぜよ(我れ我が子に対する如く言うなり)(コリント後書6-13)
●苦しみ悩みのうちから、私の主を呼び求めた
 主は私に応えて、私を広いところに置かれた(Set me free)
 主は私の味方、私は恐れない
 人は私に何ができようか(詩篇118-5~6)
●私はあなたの仰せの道を走ります。あなたが、私の心を広くしてくださるからです(詩篇119-32)
●主を愛する者たちよ、悪を憎め。主は聖徒たちの魂を守り、神に逆らう者の手から救い出だされる。光は、神に従う人のために、種のように蒔かれている。喜びは、心のまっすぐな人のために蒔かれる。神に従う人よ、主にあって喜び祝え。聖なる御名に感謝をささげよ。(詩篇97-10~12)
●神は光であって、神には少しの暗いところもない(ヨハネ第1書1‐5)
●私(主イエス)は世の光である。私に従って来る者は、闇の内を歩くことがなく、命の光をもつであろう(ヨハネ伝8‐12)

だからこそ、皆さんの心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】についても、忘れずに、いつも大切にしてください!
特に、私たちの熱き【青年の心】の【心の奥】に刻まれた【ビジョン:理想・夢・志】は私自身の所有物ではなく、【神の愛】からの素敵な【賜物・無償ギフト・神恵】であり、【御旨:神の愛の意思と計画】であると確信するからです。

●人の心には多くの計画がある。されど主の御旨のみ堅く立つべし(箴言19-21)
●あなた方の内に働きかけて、その願い(志望)を起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神が善しとされるところだからである。何事も、つぶやかず疑わないで(不平や理屈を言わずに)行いなさい(ピリピ書2-13~14)
●青年の夢を軽んじてはならない。それは大抵、その人のまだ自覚しない素質に応じたものであり、したがって、またその人の使命とも一致することが多い。つまり、人の使命も最初はただ空想的な未来像として現われてくるものである(ヒルティ)

現代は【心】を萎縮させて冷たくクールに生きるには過ごしやすく、熱き広き【心】を維持するのは困難です。
個人個人の【心】が燃えることなく熱くないと【神の愛=主イエス】の【預言】通りの【愛の冷却】時代といえるでしょう。

●多くの人がつまずき、互いに裏切り憎みあい、多くの偽預言者が起って、多くの人を惑わし、不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう(マタイ伝24‐10~12)

社会にとって最悪の時代であっても、【神の愛=主イエス】を知る私たち【個人】には【絶好のチャンス】です!
萎縮し冷めた【心】を、熱く燃え盛らせて大聖堂のように天井高く荘厳な【広大な心】に【リフォーム】しようとして、【この世の勢力:富・権威・名声】の何者かに頼ってしまうと、失望と不信が増大してさらに悪化するかもしれません。

もし【神の愛=主イエス】に【心】の【リフォーム】を求めるならば、紹介状も金銭も資格も実績も一切不要です。

赤ちゃんが好き勝手に遊んで【泥まみれ】になって倒れた時に、「お父ちゃん!お母ちゃん!」と泣き叫びながら、助けを求めるように、私たちもまた薄汚く真っ黒けの【泥んこ人生】のままに【神の愛=主イエス】に助けを求めましょう!

私自身のねじ曲がった【最悪の心】でも、教会活動の実績もなく、誰かの推薦状もなくても、助けに来てくれます!

【神の愛=主イエス】は私のような【最悪な心】でも【リフォーム】してくれるおかげで、私自身はどんな【心】であっても、【神の愛=隣人愛】によって【リフォーム】できる実感と確信を抱けるようになりました!

●人の心を見て慈悲をもて、行いだけを見て責めるな(キングスレー)

【心】を素直にしたから【神の愛=主イエス】に出会えるのでなく、【神の愛=主イエス】によって【リフォーム】されて【心】も素直になれる【道】が示されているからこそ、【聖書】は【福音:GoodNews・神恵】だと私は実感します。

●様々に異なった教えに惑わされてはならない。食べ物ではなく、恵みによって心が強健に定まるのはまことによいことである(ヘブル書13-9)

私たちが【心】の【リフォーム】を【神の愛=主イエス】にお願いするということは、どういう【手段〕があるのでしょうか?
私の経験で言うならば、無理に教会信者にならずとも、義務感で寄付行為や慈善活動をしなくても可能です。
ただ【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を毎日いつでも、どこでも、朝起きてから寝る迄、好きな時に独り静かに捧げたのです。

始めの頃は、誰にも見られず独りだけの【礼拝:★讃美★祈り★感謝】でも、何か不自然さを感じたり恥ずかしかったものの、やがて、私の【一日一生】の人生にとって、始めと終わりには絶対に欠かすことのできない【貴重な実践】となっていたのです。

皆さんも感じられると思いますが、私の【内なる心】は確かに【リフォーム】されていても、私の外観は薄汚い悪党のままです。
【神の愛=主イエス】に完全依頼してお任せした【リフォーム】なのですから、【完成図】も完成時期も、私には不明です。

私にとって【心】が【リフォーム】されている唯一の証しであり、実感とは、自己計画にも世間的にも最悪な境遇でも、いつでも、どんな状況にあろうとも、私の【心】には壮大な【ビジョン:理想・夢・志】が存在し続けていることです!

私自身は今でも薄汚くて卑怯者で不義不正の<人格的失格者>なので、以前の私のままなら自己嫌悪に陥っていたでしょう。

しかし、【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を毎日の習慣とするうちに、私の【心】は萎縮するどころか、日々新たに広大荘厳に拡張して【心】にはいつも【光:神の愛】が注がれているので、暗さもまた魅力となって、【泥んこ】のままでの私でも大好きとなりました!

驚くべきことは、どんなに【我が心】が乱れ腐っても【ビジョン:理想・夢・志】だけは汚れることも腐ることもありません。
【私の心】で【ビジョン:理想・夢・志】だけは【正しい思い】として【神の愛=主イエス】の【光】に守られているからです。

●心が正しい思いに満たされている限り、どんな悪事も決して入り込むすきがない(仏陀

皆さんが【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を習慣として【神の愛=主イエス】を【心】に招き入れて、【心】の【リフォーム】を実現しつつ、壮大な【ビジョン:理想・夢・志】を守り育てて、世界を舞台に大活躍されることを心より応援しています!

●主が家を建てるのでなければ、建つる者の働きはむなしい。
 主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい
 あなた方が早く起きるのも、遅く休むのも、辛苦の糧を食べるのもそれはむなしい。
 主は、その愛する者には、眠っている間にも、なくてはならないものを与え備えて下さる(詩篇127‐1~2)
●先ず大切なのは信じようとする意志である。そこからして信仰は始まる。その意志があれば、信仰はたやすく、おのずから成長する。さもなければ、信仰を見出しがたく、また、ほとんど教えることもできない(ヒルティ)
●我に糧あり、聖書なり。我に力あり、祈祷に存在す。我は単独にして世界を相手に戦いを得るなり(内村鑑三

ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主の恵みに感謝します!アーメン

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
 
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)