<一日一生:7月15日>(内村鑑三)
●神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。
第一日である(創世記1-3~5)
暗黒をもって始まり、光明をもって終わり、
絶望をもって始まり、希望をもって終わる。
神の行為にすべてこの順序あり。
希望を約して希望に終わらしむるがごとき、
栄光の冠(カンムリ)を戴きて後に恥辱の死をとぐるがごとき、
平和と繁栄とを宣言して戦乱と貧困とを来たすがごときは、
神の決してなしたまわざるところなり。
「歓びは朝来たる」Joy cometh in the morning.(詩篇30-5)
戦闘(タタカイ)の暗夜去りて後に平和の昼は来るなり。
若年を貧苦の中に過ごして老年を喜楽の中に送る。
夕をもって始まり朝をもって終わる。
これ善人の生涯にして、また神の事業の順序なり。
夕陽西山に没して、暗黒天地に臨む時に、
吾人の新紀元は臨(キタ)るなり。
夜は長からん、その戦闘は激しからん。
されど歓喜(ヨロコビ)は朝とともに来たる。
夕あり朝ありて、宇宙も吾人も歩一歩進めしなり。
★★★
●夜のあとには 朝が来る。
冬のあとには 春が来る。
嵐のあとには 日光にあふれた世界が来る。
敗北のあとには チャンスが来る(ロバート・シュラー)
●【物の前後<The Divine Order(ホレ―シャス・ボナー)>】(内村鑑三)
◆真(マコト)なることは先にして美なる事は後なり。
美なることが先にして、真なることが後なるにあらず。
先ずありのままの森と岩と沢とありて、しかる後に香しき美しき園はあるなり。
◆善なることは先にして美なることは後なり。
美なることは先にして善なることは後なるにあらず。
先ず荒き野に固き種を下して、しかる後に花は開き枝は茂るなり。
◆喜ばしきは先にして悲しき事は後なるにあらず、悲しき事は先にして喜ばしき事は後に来るなり。
一度は涙にむせびて(泣かざる者とては世になければ)、しかる後に憂いを忘れて踊り喜ぶなり。
◆光は先にして暗闇は後に来るべきものにあらず、先ず暗黒を経過して、しかる後に光明は臨むなり。
先ず黒雲天を覆うて、しかる後に虹顕れる。先ず一度墓に降りて、しかる後に天に昇るなり。
私たちが【神の愛=主イエス】に信愛するならば、私たちの心に抱く<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】は、今日現在がどんなに世間的に<実現不可能:未完・未熟>であろうとも<最善>に導く【神の愛=主イエス】のおかげで<明るい未来>を確信することができます!ハレルヤ!
●The Best is yet to come!<最善の時はこれからだ!>(ブラウニング)
●【最善の最後(内村鑑三)】
信者の生涯は始めは悪くして、終わりは善くある。
終わりに近づくほど、ますます善くある。
最後(ラスト)が最善(ベスト)である。
【神の愛=主イエス】は、私たち一人一人を、いつでもどこでも<最善の最後!>へと導いていることに信頼して<熱き思い燃える心>に抱く<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】の実現を<確信>に導く<歓喜!感動!感謝!>と<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で雄々しく前進し続けることを心より応援しています!
●私は確信しているが、神の語られる事はみな成就し、神の言葉は一つとして無駄になることはない
(トピト記14-4)
●自分の見解には確信を抱き、発言には一貫性を持たせよ(シラ書〔集会の書〕5-10)
●【最大の能力】(内村鑑三)
確信と称する活動力ではない、信仰と称する一種の依頼心である。
これが世界を動かした力である。
先ず我の無能を覚って、しかる後に神の大能に頼る、かくて自己は死して
神、我にありて生きるに及んで、我は真個の勇者となる。
●自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります(ヘブル書10-35)
●私たちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです
(ヘブル書3-14)
●信仰は人によっては迷信のごとくに見える。信仰は確かに一種の冒険である。
これに従って、あるいは失敗におわるかもしれない。
しかしながら、信ずる者は信仰の迷信でないことを知る(内村鑑三)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!