◇◇ 我々が目指すべきもの(その1)◇◇<改訂版・再掲載>
【2001年1月14日に作成した<第57回>に加筆】
●我々は結局何を目指すべきか、世の中を知り、これを軽蔑しない事だ(ゲーテ)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なるみなさん、こんにちは!ご愛読に感謝します!
最近のテレビ報道は惨殺事件、医療現場の不祥事、乳児誘拐などの様々な出来事で、
不信感、不安感、憤り、絶望感をあおることばかりのようです。
根底で共通していることは【隣人愛の冷却】による【悪:無知・無関心・無責任】が
社会全体に蔓延しているのだと思います。
●多くの人がつまずき、互いに裏切り憎みあい、多くの偽預言者が起って、多くの人を惑わし、
不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう(マタイ伝24‐10~12)
●愛の反対は憎悪でなく無関心である(マザー・テレサ)
いわゆる、人類愛や博愛、寛容と赦し、同胞への優しさ、感謝、礼節、人道的援助などは、
人間独自の<人間力>だけで充分発揮できると思う事こそが、傲慢であり忘恩であることを
【聖書】や【神の愛=主イエス】が導く【キリスト精神】は教えてくれます。
【隣人愛】とは<愛の本源>である【神の愛=主イエス】との<相思相愛の関係>によって
【神の愛=主イエス】から与えられる<霊的パワー>であるということです。
●イエスは言われた、
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、主なるあなたの神を愛せよ(申命記6‐5)』
これが一番大切な、第一の戒めである。第二もこれと同様である。
『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』
これらの二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているこの二つの戒めに優る掟はない
(マタイ伝22‐37~40、マルコ伝12‐29‐31、ルカ伝10‐26~28)
●【愛の順序(内村鑑三)】
第一に神を愛すべし、第二に世界と人類を愛すべし、
第三に国と国人を愛すべし、第四に自己と家族を愛すべし
●神への愛だけが、我々を徹底的にエゴイズムから解放することができ、また全ての本当の
自己改善の始まりである(ヒルティ)
●いわゆる人間愛はすべて神に対する強い愛という根底がなければ単なる幻想である(ヒルティ)
【聖書】には【主イエス】が教えられた「十人のおとめ(マタイ伝25-1~30)」という
有名なたとえ話があります。
それによると【隣人愛】(善行)は≪ランプの光≫に、【神への信愛】を≪ランプの油≫に
たとえています。
≪ランプの光≫なる【隣人愛】(善行)の【光】を絶やさず常に熱く強く光り輝かすためには、
≪ランプの油≫として【神の愛】への【信・望・愛】と【礼拝:★讃美★祈り★感謝】こそが
必要不可欠であると解りやすく教えています。
現代の日本で、暗く冷酷に感じる人物・組織・社会でも、≪ランプの油≫不足なだけであり、
<油>である【神の愛=主イエス】への【信・望・愛】と【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を
強化させれば、再生して活き活きと光り輝くので【神の愛=主イエス】を知る私たちには、
一切の心配ご無用!ともいえます。
以前の私なら【神の愛=主イエス】への【信・望・愛】と【礼拝:★讃美★祈り★感謝】が
不足した現代日本社会に対して憤りと不満で一杯でした。
しかし、様々な信仰体験を通じて、日本社会がキリスト教社会でなく、クリスチャンも教会も
弱小である現状に【信仰】と【礼拝:★讃美★祈り★感謝】が不足している事を責めることは
気の毒だと思うようになりました。
そして、【神の愛】への【信・望・愛】と【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を強化したければ、
簡単であることも知りました。そうです!先ずは私自身が日々強化すれば善いのです!
私個人の【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】によって【隣人・社会】までも明るくします!
●暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう!(心のともしび)
●いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
(テサロニケ前書5‐16~18)
●あなた方は、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい
(コリント前書10-31)
●この世における人間の主な目的は神の栄光をたたえ、永遠にわたって神を歓ぶことである。
(クロムウエル時代の簡略教理問答書)
●たった一つのロウソクなどと考えてはなりません。すべての人が自分のロウソクに火を灯せば、
真っ暗な夜を明るい昼に変えることができるのです(オグ・マンディーノ)
【神の愛=主イエス】が最も歓ばれる【礼拝:★讃美★祈り★感謝】は苦情や懇願ではなく
【先回りの愛】に対し<超歓喜!超感動!超感謝!の大讃美!大絶賛!大称賛!>であると
体感できた私は、それまでの陰気くさい陳情・儀礼的・形式的礼拝を止めました!
●<感謝と祈祷>(内村鑑三)
喜べよ。感謝せよ。しかしてさらに大なる恩恵を仰げよ。
感謝は有効なる祈祷の要素なり。
神は感謝なき祈祷にその耳を傾けたまわず。
★それ持てる者は与えられてなお余りあり。持たぬ者はその持てるものをも奪わるるなり
(マタイ伝13-12)
感謝は、「持てる」を証明す。
感謝する者は、恩恵の上にさらに恩恵を加えらるべし。
われらは聖父の前に貧困を訴えて
彼の憐愍(れんびん)を乞わんと欲すべからず。
むしろ富有を述べて、恩恵の加増にあずからんと欲すべし。
さらに気づかされた事があります。未だ【救世主】として正式に迎えられない日本社会は
<旧約の時代>です。従ってなるべく早く新約時代を開幕させる≪ファンファーレ!≫が
必要だと霊的に教えられたのです!
【聖書】の「エルサレムの入城」の記述を思い出してください!
●大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を
切って来て道に敷いた。そして、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、我らの父ダビデの来るべき国に、
祝福があるように、イスラエルの王に、祝福があるように。
いと高きところにホサナ。」
(マタイ伝11-9~10、マルコ伝21-8~9、ヨハネ伝12-12~13)
★「ホサナ」は元来は<救いたまえ>の意味で、後には<神をたたえる言葉>として
典礼で使われるようになったそうです。
私たち日本でも【リバイバル(信仰復興)】を起こすには、聖歌隊の進軍ラッパによる歓喜の
≪ファンファーレ!≫が必要だと思いませんか?ホサナ!ホサナ!ハレルヤ!
もう今までの「早く来てください!」「救ってください!」のような<悲嘆・直訴の祈り>は
卒業しましょう。これからは、「常に楽しみ歓び感謝しています!ハレルヤ!」というような
必ず時にかなって実現される!と確信して、前もって<歓喜!感動!感謝!>で迎えましょう!
●私は初めから、以上のことを確信し、思い巡らした後、こう書き残した。
「主の御業はすべて良く、時が来れば、主は必要なことをすべて満たされる。」
「これはあれよりも悪い」と言ってはならない。どんなものも時が来ればその良さが
証明される。さあ、心から、声高らかに賛美の歌をうたえ。主の御名をほめたたえよ
(シラ書〔集会の書〕39-32~35)
●何事でも神の御心に適うことを私たちが願うなら、神は聞き入れてくださる。
これが神に対する私たちの確信である(ヨハネ第1書5-14)
●キリストをあなたがもっていれば、あなたはもう裕かであり、不足を覚えることが
ないのだ。彼はみずからあなたのために慮(ハカ)り、人に望みをかける必要のないよう、
万事につけての忠実な世話役となるであろう。
まことに人間は直ぐに変ってゆき、たちまち、(あなたを)見捨てるものだが、キリストは
永遠に(あなたの)傍を去らず、終りにいたるまで確固として守護されるのである
(トマス・ア・ケンピス)
●愛する人たち、このことだけは忘れてはならない。主のもとでは、一日は千年のようで、
千年は一日のようである。ある人たちは、遅いと考えているようですが、
主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。
そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐して
おられるのです(ペテロ後書3-8~9)
●我らのなお滅びざるは主の慈悲・仁愛(いつくしみ)による。
その憐憫(あわれみ)の尽きざるによる。
これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大いなるかな(エレミヤ哀歌3-22~23)
★★【その2】につづく★★