■<一日一生:9月22日>(内村鑑三)
●わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とを、あなたがたに知らせた時、
わたしたちは、巧みな作り話を用いることはしなかった。
わたしたちが、そのご威光の目撃者なのだからである。
イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けになったが、
その時、おごそかな栄光の中から次のようなみ声がかかったのである、
「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天から出たこの声を聞いたのである。
(ペテロ後書1-16~18)
世間一般の人のいうように、
奇跡は全くないものとすればいかがですか。
これは宗教上の信仰をその根本(ねもと)より破毀することであると思います。
宗教が世に存在する理由は、
すなわちわたしくしどもがこれを要求するの理由は、
その中に超自然的、超人間的の勢力があるからでございます。
もじ自然以上にわたしくしどもの頼るべき勢力がないとすれば、
わたしくしどもは科学をさえ研究すれば、
別に宗教を学ぶの必要はございません。
もしまた人よりほかに頼るべき存在者がないとするばらば、
わたしくしどもがいかほど人の世の無情を唱えても無益のことであります。
人の天性がおのずと宗教を要求する所以は、
彼におのずと超自然的の勢力、
すなわち奇跡のあることを信ずるの本心があるからではございませんか。
★★★
●キリスト教は奇蹟の宗教である。それだけでなく聖書から、もし奇蹟を除くなら、
聖書は皮の2枚だけが残るだろう(内村鑑三)
●全ての歴史は、その皮をむいてみると、結局霊的なことである!外側には皮があっても、
全てその中には神様の奇蹟がある(トインビー)
●大きな愛のあるところ、常に奇跡がある(ウィラ・ギャザー)
私の人生にとって<最高!最善!最美!>の超自然的、超人間的経験とは、【神の愛=主イエス】と【信仰:信愛・信頼・信従】で結ばれていると体感できることです!ハレルヤ!主の恵みに感謝します!栄光を主に帰します!
皆さんの人生にも、【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】な【神の愛=主イエス】との<出遭い>で【神の愛=主イエス】と熱烈夢中の<相思相愛の関係>に結ばれて、超自然的、超人間的勢力である<神助:祝福・恩恵>と【神の愛の奇蹟】に導かれて、心に抱く【ビジョン:理想・夢念・大志】に【ミッション:使命・天職】を自覚する【愛と自由の戦士:神の僕・忠義の愛子・光の子】となって、<成功&勝利>を確信する<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で勇進される事を心より応援しています!
●見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、
わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得て
わたしの父と共にその御座についたのと同様である(黙示録3-20~21)
●<成功の期待>(内村鑑三)
成功を期して進めよ、失敗を期するなかれ。
万事をその最善において解せよ、最悪において解するなかれ。
神の治め給うこの世にありて神を信じて事を成す、
永久の失敗あるべき理なし。失敗は一時の現象なり、
永久の事実にあらざるなり。
「誠に善を行うに弛(う)むことなかれ、そはもじ倦(う)むことなくば
われら時にいたりて穫り取るべければなり(ガラテヤ書6-9)」
●奇跡は誰にでも毎日起きている。本当のチャレンジは、それに気づいて、受け入れること
(エレン・スー・スターン)
●奇跡は、それを信じるものに起こる(バーナード・ベレンソン)
●あなたらしく生きる、そのための道は、後にも先にも二つだけです。
一つは、奇跡などありえない、とする道。もう一つは、すべてが奇跡である、とする道
(アインシュタイン)
●実際、これまでも多くの試練は初め予期したよりも速く、
しかも奇跡的な仕方ですべて終ってしまったのである(ヒルティ)
●私達が最善を尽くす時、どんな奇跡が私達の人生、もしくは他の人の人生に起こるかはわからない
(ヘレン・ケラー)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい!
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!