【2011年5月21日に作成した<第562回>に加筆】
◇◇先取りの<<歓喜!感動!感謝!>に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
●悲しみ憂えてはならない。主を喜び祝うことこそ、あなた方の力の源であるからだ
(ネヘミヤ記8-10)
●すべてのことは、あなたがたの益であって、
恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、
感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。だから、私たちは落胆しない。
たとい私たちの外なる人は滅びても、 内なる人は日々新たにされていく。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は私たちの内に働いて、永遠の重い栄光を、
あふれるばかりに私たちに得させるからである(コリント後書4-15~17)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します!
私のように教会と無縁で教会で洗礼を受けた「クリスチャン」でない者が思い描く
「敬虔なクリスチャン」とは、自分が一番!という<自己愛>自己実現を後回しに、
生きる悪口や不品行や争いを嫌う真面目な姿でした。
つまり、私のように自分が一番大好き!の自己中心で、他者批判や論争を好む者は
教会の認めるクリスチャンと正反対の態度だといえます。実際に、私の掲示板には
教会信者から「やめなさい!」「資格がない!」という批判や説教の連発でした。
しかし、TV伝道番組での奥山牧師の説教のおかげで、私のような教会信者として
落伍者にも【神の愛=主イエス】はビッグ・チャンスを与えている事に気づきました!
皆さんもご存知の、【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】の【御言葉】です。
●【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】
いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
(テサロニケ前書5‐16~18)
【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】の<生き様・死に様>が【神の愛=主イエス】が
喜ばれる<キリスト者>の態度であるならば、落ちこぼれの私でも実践可能です!
私は家族や世間に対して、いつも明るく前向きに元気で誠実に信頼して、感謝することは、
苦手ですが、【神の愛=主イエス】に対してならば、喜んで真剣に努力できます。
私は世界の誰よりもエゴイストで<不義・不正・不実>の不純・不潔の汚らわしく
真っ黒の泥だらけで、忘恩・背信の恥知らずの最悪・最強・最大の<裏切り者>です。
しかし、世界の誰よりも【神の愛=主イエス】を【信仰:信愛・信頼・信従】する
<熱き思い燃える心>の<キリスト熱愛者>であることを自慢できます。
【神の愛=主イエス】は私のような知恵遅れで、霊的歩みの遅い<裏切り者>にも、
<先回りの愛>である【神の愛の力=隣人愛&奇蹟】<神助:祝福・恩恵>によって
導いてくれます。
ですから【神の愛=主イエス】の【神の愛の特訓:オーディション!リハーサル!】は
当初は理解できず<患難辛苦>にしか思えず、後になって感謝できるものばかりです。
●我が子よ、
主の訓練を軽んじてはならない
主の叱責をいとうな
父がかわいがる子をしかるように
主は愛する者をしかる(箴言3‐11~12、ヘブル書12‐5~6)
●あなた方は訓練として耐え忍びなさい。神はあなた方を、子として扱って
おられるのである。いったい父に訓練されない子があろうか(ヘブル書12‐7)
●我(主)が為すことを汝今は知らず、後に悟るべし(ヨハネ伝13-7)
●私(神)の思いはあなた方の思いと異なり、
私の道はあなた方の道と異なる。
天の地よりも高いように、
私の道はあなた方の道より高く、
私の思いはあなた方の思いよりも高い(イザヤ書55-8~9)
そこで、私は常に<超歓喜!超感動!超感謝!の大讃美!大絶賛!大称賛!>による
<先取りの【礼拝:★讃美★祈求★感謝】>を実践できる習慣を身につけました。
●悲しめる心よ、落ちついて悔ゆるのをやめよ。雲の後ろには太陽が照っている
(ロングフェロー)
たとえば、「~して下さい!」といったお願い口調や嘆き・要求することがあれば、
現実が最悪のどん底状況でも、既に完全に望みどおりに実現したことを前提にした
[先取りの<歓喜!感動!感謝!>]で【礼拝:★讃美★祈求★感謝】しています。
<一般の祈り> ⇒ <【先取りの信仰】による礼拝始めは>
⇔<歓喜!感動!感謝!>
★~をお願いします ⇒ ★~して下さり感謝します!
★お助け下さい ⇒ ★守られていることを感謝します!
★お導き下さい ⇒ ★お導きに感謝します!
初めは肉体的激痛の最中や経済的困窮の時や精神的大混乱の中では、冷静になって
先取りの<歓喜!感動!感謝!>の【礼拝:★讃美★祈求★感謝】は困難でした。
そんな時は、<超歓喜!超感動!超感謝!の大讃美!大絶賛!大称賛!>の
<讃美歌>の【御言葉】を独り口ずさむことで、恐怖や不安や苦悩を忘れることが
できました。まさに【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】【聖書の御言葉】は
<不屈の楽観・楽天主義>【パッション:受難覚悟の情熱・熱血・気迫】の源泉です!、
●かつて書かれた事柄は、すべて私たちを教え導くためのものです。それで私たちは、
聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです(ロマ書15-4)
●暗闇と死の陰に座している者たちを光で照らし、我らの歩みを平和の道に導く
(ルカ伝1-79)
●願わくは、あなたの僕への御言葉を思い出し給え。
あなたは私がその御言葉を待ち望むようになさいました。
これこそ悩みのときの私の慰め、まことに御言葉は私を生かします
(詩篇119-49~50)
皆さんが現実生活の中で意に反する大小様々な<患難辛苦>を目の前にしながらも、
<万事・万物>の背後に必ず存在する【神の愛=主イエス】の<先回りの愛>である
【御心:聖意・聖旨】【神の愛の力=隣人愛&奇蹟】<神助:祝福・恩恵>を信じて
<歓喜!感動!感謝!>の<先取りの【礼拝:★讃美★祈求★感謝】>をされる事を
習慣にして、皆さんの心に抱く【ビジョン:理想・夢念・大志】を<人生の旗印>に
高く掲げて【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】の<心意気>で勇進し続けることを
心より応援しています!
苦しみに出会ったら、
まず感謝するがよい。
それから、
その苦しみが何のために役立つかをたずね給え。
あなたがそれをただ避けようとせず、
その苦しみの意味を理解しようと真剣に願うならば、
やがて必ずそれを発見するであろう。
そうしたら、
あまり言訳をしたりこぼしたりせずに、
この道を踏んで進み給え。
それは、
あらゆる他の研究や修養にもまして、
あなたをずっと先きへ、
しかもずっと速く導くにちがいない。
これこそ、高きをめざす一番の近道である。
ひたすら神のみむねに従い。
いかなる時にも神に望みをかくる者、
もろもろのなやみと悲しみにとざさるるとも
神はその人を不思議にも守り給わん。
いと高きものなる神に依り頼む人は
砂の上にその家を建てしにあらず (同胞教会讃美歌第172番)
<『幸福論』(ヒルティ)より>
■<神を信ぜんのみ>(内村鑑三)
いかなる境遇に遭遇するも神を信ぜんのみ、
富むも貧するも、
成功するも失敗するも、
徳を建つるも罪に陥るも、
世に迎えらるるも友に捨てらるるも、
生きるも死するも、
天に昇るも冥府(よみ)に降るも、
われは神を信ぜんのみ。
かくてわれに未来あるなく、
過去あるなく、
悲哀あるなく
失望あるなく、
時はすべて現在となり、
事はすべて歓喜となり、
我が生涯は信、望、愛の相連不絶と化すべし、
欣(よろこ)ぶべきかな。
●主に自らをゆだね、おのれの喜びとなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる
(詩篇37-4)
●私が、どんなことがあっても恥じることなく、
かえって、試練の時も、いつものように、
キリストのために、大胆に語ることによってキリストのすばらしさが現わされて,
生きるにも死ぬにも、
私の身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望している。
私にとって、生きることは、キリストのために良い機会を得たことを意味し、
死ぬことは、さらにすばらしいことを意味する(ピリピ書1-20~21)
●沈黙せよ、苦しめ、耐えよ、おまえの苦しみは誰にも訴えるな、
決して神に絶望するな、おまえの助けは日毎に来るのだ(ルター)
●何事でも神の御心に適うことを私たちが願うなら、
神は聞き入れて下さる。これが神に対する私たちの確信である。
私たちは、願い事は何でも聞き入れて下さると分かるなら、
神に願ったことは既にかなえられていることも分かる(ヨハネ第1書5-14~15)
●真心からの感謝を神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。
苦難の日には私を呼び求めよ。私はあなたを助け出そう。
あなたは私をあがめ、私の栄光を輝かすであろう
(詩篇50-15)<ロビンソン・クルーソー救霊の聖句>
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)