【2015年2月28日に作成した<第645回>に加筆】
◇◇【マリア信心】で<神助精神>に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
皆さんも御存知のビートルスの名曲「LET IT BE(レット・イット・ビー)」は、
ゴスペルであることを、私自身は21世紀初めまで知りませんでした。
「レット・イット・ビー/LET IT BE」は「なるようになるさ/あるがまま」的な
現実生活の過酷・悲惨・不条理に直面して「仕方ない<NO WAY>」と思う様な
理想主義より現実主義処世術の気分を歌ったているのだと思い込んでいました。
しかし、この「レット・イット・ビー/LET IT BE」は【聖書】から由来していて
込められた【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】に通じます!
●マリアは言った
「私は主のはしためです。御言葉どおり、この身に成りますように」
(ルカ伝1-38)
<"Behold, I am the servant of the Lord;
let it be to me according to your word.">
あの美しく物悲しいようでいて、霊的パワフルさを感じる旋律・曲調の名曲が
現実がどんなに過酷で悲惨で不安で不条理でも、思い通り行かず連戦連敗でも、
どん底で希望を見出す!【ゴスペル:霊的讃美歌】であったことは感激です!
●これは私たちの神の憐れみ深い御心による。また、そのあわれみによって、
日の光が 上から私たちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を照らし、
私たちの足を平和の道へ導くであろう
●私は切なる思いで耐え忍び主を待ち望んだ
主は耳を傾け、身を傾けて私の叫びを聞かれた
主は私を滅びの穴から、泥沼から引き上げてくださった
そして、私の足を岩の上に置き、私の歩みを確かにされた
主は私の口に新しい歌、我らの神への讃美を授けられた
多くの者はこれを見て、そして恐れ、主に信頼するであろう(詩篇40‐1~3)
●主の栄光がとこしえに続くようにありますように
主が御自分の御業を喜び祝われるように
命ある限り、私は主に向かって歌い
永らえる限り、私の神にほめ歌を歌おう
どうか、私の心の思いの歌が御心にかないますように
私は主によって喜び祝う(詩篇104‐31・33~34)
●言葉と讃美と霊的な歌とをもって語り合い、
主に向かって心から讃美の歌を歌いなさい
そして、いつも、あらゆることについて、
私たちの主イエス・キリストの御名によって
父なる神に感謝しなさい(エペソ書5‐19~20)
●この地上には、永遠の都はない
来たらんとする都こそ、私たちの求めているものである
だからこそ、私たちはイエスによって、賛美のいけにえ、すなわち、
彼の御名をたたえる唇の実を、絶えず神にささげようではないか
(ヘブル書13-14~15)
【ビジョン:理想・夢念・大志】に【御言葉】【御心:聖意・聖旨】を体感する
【福音の戦士・福音の勢力】<ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩>にとって
「レット・イット・ビー/LET IT BE」は<神愛道:神の国・神の義>を突き進み
現実の患難辛苦<荒れ野・砂漠>を乗り越えるために、自力・世間力に頼るよりも
人生一切お任せする【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】で
【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】する<生き様・死に様>そのものです!
●荒れ野と、かわいた地とは、楽しみ、
砂漠は喜びで花咲き
サフランのように、盛んに花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う
(イザヤ書35-1)
●見よ、私は新しいことをする。今もうそれが芽生え起ころうとしている。
あなた方はそれを悟らないのか。
確かに私は荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる(イザヤ書43-19)
●野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。
荒れ野に水を沸き立たせ、砂漠に大河を流れさせ、
私の選んだ民に水を飲ませるからだ(イザヤ書43-20)
偶像崇拝であると簡単に片付けているように感じられます。私自身もそうでした。
しかし、「暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう」で有名な
TV・ラジオ・ネット放送伝道「カトリックアワー心のともしび運動」創設者の
ハヤット神父<2009年帰天>との出遭いとメールによる霊的交流によって
「マリア信仰」というより【マリア信心】の意義を確信できるようになりました!
【聖母マリア】が現実に過酷境遇にあろうと【ビジョン:理想・夢念・大志】を
死守し人類史上<最高!最善!最美!>の【ミッション:大義・使命・天職】を
見事に完遂できたのは、「レット・イット・ビー/LET IT BE」の心意気である
一切お任せの【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】を体得して
【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】の<生き様・死に様>を貫き通したことを
現在の私には霊的に体感できるからです。
●何事も思いわずらってはならない。ただ事々に感謝と祈りと願いとをささげ、
あなた方の求めるところを神に申し上げるがよい(ピリピ書4‐6)
●思い煩いは何もかも神にお任せしなさい。
神があなた方のことを心にかけていて下さるからでる(ペテロ前書5-7)
●夕べに、朝に、真昼に、私が嘆き、うめけば、 主は私の声を聞かれる
たとい私を攻める者が多くとも、主は私が戦う戦いから、
私を平和のうちに救い出してくださる
私と争い挑む者が多いから(詩篇55-17~18)
●【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】
いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
(テサロニケ前書5‐16~18)
●望みて喜び、患難に耐え、常に祈れ(ロマ書12-12)
●熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え
望みを抱いて喜び、患難に耐え忍び、常に祈りなさい
(ロマ書12-11~12)
●絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、
目を覚まして、うむことなく根気よく
全ての聖徒のために祈り続けなさい(エペソ書6-18)
●目を覚まして、感謝を込めて、ひたすら祈り続けなさい(コロサイ書4-2)
私がどこかの既成教会に帰属して洗礼を受けた「クリスチャン」だったなら、
現在の私が信愛する【マリア信心】に至ることは困難だったかもしれません。
私には現実の患難辛苦や<重荷>【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】を
一切お任せする【マリア信心】は信仰目的でなく<最愛の我が子・我が分身>の
【ビジョン:理想・夢念・大志】を守り育て<自己実現&神愛実現>に挑戦する
<ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩><福音の戦士・福音の勢力>として
<最高!最善!最美!>の<具現化手段:神愛武器・神愛武装>だからです。
●すべて労する者、重荷を負う者、我れに来たれ。我れ汝らを休ません
(マタイ伝11-28)
●あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。
主に従う者を支え、とこしえに動揺しないように、はからって下さる
(詩篇55-22)
●あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。
主は計らい、主が成し遂げてくださる。
あなたの正しさを光のように明らかにし、
あなたのための裁きを真昼の光のように輝かせてくださる
(詩篇37-5~6)
●わが魂よ。なぜ、おまえは絶望しているのか。
なぜ、御前で思い乱れているのか。
神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。
私の救い、私の神を(詩篇43-5)
私が体得する【マリア信心】とは具体的には、聖女カタリナが【聖母マリア】と
<霊的交流>したことから生まれたという「不思議のメダイ」に体現されます。
●神がひとたび人間の意志を所有されるならば、
神はその人の中でみずから全ての事を行ない彼を完全へと導き給う
(聖女カタリナ)
ハヤット神父の主催のカトリック「心のともしび運動」では申し込めば、
誰にでも無料で提供してくれます。
★★詳しくは以下のサイトを是非ともご覧下さい!★★
私は97年から肌身離さず身に着けている<十字架>と一緒に、2006年から
その貴重な「不思議なメダイ」で霊的に<神愛武装・神愛武具>にすることで、
私自身の【信仰:信愛・信頼・信従】精神も、【礼拝:★讃美★祈求★感謝】も
霊感<神助体得能力(セレンディピティ):霊能活気・自由想念・独立決起>も
<パワー・アップ&アップ・グレード>されました!
【マリア信心】を活かすためには「メダイ」を身に着けることと同時に、
次のような特別な【祈祷:霊的呼吸・霊的栄養源】を実践することが条件です。
●原罪なくして、やどり給いし聖マリア、
御身に依(よ)り頼み奉る
我らのために祈りたまえ
アーメン
<O Mary, conceived without sin,pray for us who have recourse to thee.>
私の霊的理解は【天の父・創造主】に【礼拝:★讃美★祈求★感謝】するには、
<主の祈り>が<最高!最善!最美!>の【祈祷:霊的呼吸・霊的栄養源】ですが
<不義・不正・不実>不純・不潔の私一人では、恐れ多くて安心満足できないので
私のために一緒に祈ってもらう、取り次ぎ役の【マリア信心】による【祈祷】が
【チームワーク&チームスピリット】の【礼拝:★讃美★祈求★感謝】となって
●あなた方のうちの二人が、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、
天にいます私の父はそれをかなえて下さるであろう。
二人、三人が私の名によって集まっているところには私(主イエス)も
その中にいる (マタイ伝18-19~20)
●二人はひとりよりも優っている。
二人が共に労苦すれば、良い報いを得るからである。
どちらかが倒れるとき、ひとりがその友<仲間>を助け起こす。
しかしひとりぼっちであって、その倒れる時、
これを助け起す者のない者は不幸である。
また、二人が一緒に寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。
もしひとりなら、打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。
三つよりの綱はたやすくは切れない(伝道の書4-9~12)
●二人による証言は真実である(ヨハネ伝8-17)
●十二人の弟子を呼び寄せ、二人ずつ組みにして遣わす(マルコ伝6-7)
現実的患難辛苦や悲惨・不条理で個人から世界全体までを霊的危機に追い詰める
強大な<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>に<対戦・応戦・抗戦>する為に
皆さんが「レット・イット・ビー/LET IT BE」に示される【マリア信心】を
一切お任せの【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】として、
【ビジョン:理想・夢念・大志】の<具現化手段:神愛武装・神愛武具>として
体得して、<神助体得能力(セレンディピティ):霊能活気・自由想念・独立決起>と
<パワー・アップ&アップ・グレード>させながら<神愛道:神の国・神の義>を
突進む<ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩>【福音の戦士・福音の勢力】に
決起して【神愛事業=隣人愛&奇蹟】に活躍される事を心より応援しています!
●この動揺する時代に自分までぐらつくのは、ただ災いを増すばかり、
おのれの志を守ってゆずらぬ者だけが世の中をつくりあげて行くのだ
(ゲーテ)
●私は勇気を持って、はばからずに言おう
「主は私の助け主、私は恐れない。人が私に何をなし得よう」
(ヘブル書13-6、詩篇56-11、118-6、ダニエル書3-17、
ルカ伝12-4)
●あなた方のうち、だれが主を恐れ、そのしもべの声に聞き従うのか。
暗やみの中を歩き、光を持たない者は、
主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め(イザヤ書50-10)
●私は人に用いる索(ツナ)、すなわち愛のきずなで彼らを引いた。
私は彼らにとっては、そのあごの「くびき」をはずす者のようになり、
やさしくこれに食べさせてきた(ホセア書11-4)
●私が、どんなことがあっても恥じることなく、
かえって、試練の時も、いつものように、
キリストのために、大胆に語ることによって
キリストのすばらしさが現わされて,
生きるにも死ぬにも、
私の身によってキリストが公然とあがめられるようにと
切に願い、希望している。
私にとって、生きることは、
キリストのために良い機会を得たことを意味し、
死ぬことは、さらにすばらしいことを意味する(ピリピ書1-20~21)
●万の受造物(被造物すべて)は今に至るまで、常に共にうめき共に労苦し、
生みの苦しみにあることを私たちは知っている(ロマ書8-22)
●それだけではなく、御霊の初穂(最初の実)を持っている私たち自身も、
心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること
すなわち、身体のあがなわれることを待ち望んでいる(ロマ書8-23)
●御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。
なぜなら、私たちはどう祈ったらよいかわからないが、
御霊自ら言葉にあらわせない切なるうめきをもって、
私たちのためにとりなし祈ってくださる(ロマ書8-26)
●神を待つ心に啓示は与えられる(賀川豊彦)
●信仰を持って祈る者に新世界が開かれる。
信仰ある祈りによって理想は必ず実現せられる(賀川豊彦)
●あなたは知らないのか、聞いていないのか、
主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、その叡智ははかり知れない。
疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は、新しく力を得て、
ワシのごとく、翼を張りてのぼり
走れども疲れず、歩めども倦まざる者となる(イザヤ書40‐28~31)
●信仰の道はなんとたやすいことか、ただお任せすれば足りる。
そうすれば光明が私に臨み、能力が私に加わり、汚穢は私を去り、
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)