【2015年7月6日に作成した<第648回>に加筆】
◇◇<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
●神の力強い活動によって働く力が、私たち信じる者にとって、いかに
絶大なるものであるかを、あなた方が知るに至るようにと祈っている
(エペソ書1-19)
●<最大の能力>(内村鑑三)
確信と称する活動力ではない、信仰と称する一種の依頼心である。
これが世界を動かした力である。
先ず我の無能を覚って、しかる後に神の大能に頼る、
かくて自己は死して神、我にありて生きるに及んで、我は真個の勇者となる。
●<世界最大の者>(内村鑑三)
★知識をもって腕力に克つべし
★信仰をもって知識に克つべし
★愛をもって信仰に克つべし
★愛は進化の終局なり、最大の能力なり
★愛に達して我らは世界最大の者となるなり。
●神の無限の力に頼りて、我等は我等の信じるが如くに全ての事をなすをうるなり
(ピリピ書4‐13) ⇔ 私を強くして下さる方によって何事もすることができる
【神の愛=主イエス】は【神の愛の力=隣人愛&奇蹟】に満ち溢れ光輝く無限大の
【ダイナミック・パワー:堅信力・耐望力・熱愛力】と<一日一生!日々新た>な
【バイタリティ:生活力=生命力+活力】で【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を
霊的<パワー・アップ&アップ・グレード>してくれます!
●<神の力>(内村鑑三)
神はただ愛と生命と精力とあるのみ。
「これゆえに、我ら臆せず、我らが外なる人は壊(こぼ)たるとも、内なる人は
日々に新たなり(コリント後書4‐16)」
神にありて我が失敗は失敗にあらず、我が弱きは弱きならず!
「(弱った者には力を与え、勢いのない者には強きを増し加えられる。
年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる。しかし、)
我が神にありて新たなる力を獲、ワシの如く翼を張りて昇り、走れども疲れず、
歩めども倦まざるなり(内村鑑三:イザヤ40‐31)」
◎【神の生命=神の愛の力⇔新生命力・新活力・新思想】(内村鑑三より)
◆すべて信じる者を救わんとする神の大なる能力(ロマ書1-16)
◆神の国は言葉にあらず、能力に在り(コリント前書4-20)
◆大能をもって我が内に働くもの(コロサイ書1-29)
◆【神の生命】は心の内に【光】となって
【新生命力】と【新活力】を加える【生活力(バイタリティ)】を提供する!
◆信仰により救われるのは、信仰により【この能力=生活力】を我らの
能力とする事ができるからであり、死は【生活力】が欠乏してやって来る。
◆【キリスト教(キリスト精神)】は【神の大なる能力=神の生命=生活力】を
豊かに供給して人を永遠にまで救わんとする、キリストなる【神の生命】を
もって【不朽の生命】を与えんとするものである!
●汝ら立ち帰りて静かにせば救いを得、
平穏(オダ)やかにして依り頼まば力を得べし
(イザヤ書30‐15:ルター特愛の聖句)
私の実体験で体得した【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】の
<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>という【礼拝:★讃美★祈求★感謝】です!
●【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】(テサロニケ前書5‐16~18)
いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
●熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、
望みを抱いて喜び、患難に耐え忍び、常に祈りなさい
(ロマ書12-11~12)
●絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、
目を覚まして、うむことなく根気よく全ての聖徒のために祈り続けなさい
(エペソ書6-18)
●何事も思い煩ってはならない。
ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、
あなたがたの求めるところを神に打ち明けなさい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、
あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう
(ピリピ書4-6~7)
●目を覚まして、感謝を込めて、ひたすら祈り続けなさい(コロサイ書4-2)
一般的に「お祈り」とは具体的な<嘆願:願望・陳情・苦情>を直訴することだと
最悪のどん底状態でも、明るく元気に<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>だけを
一日中どこでも唱え続けることが最善の【礼拝:★讃美★祈求★感謝】である事を
【神の愛=聖霊】は私達の声にもならず、祈りもできないほどの絶望的状態でも
一切ご存知の【先回りの神愛】で<最高!最善!最美!>に導き続けているので
たとえ今日現在が、<患難辛苦>未解決でお先真っ暗の最悪状況に見えようとも
目の前に不安や失望や恐るべき<患難辛苦>が迫り来る危機状態が訪れようとも、
<歓喜!感動!感謝!>で応える態度をお奨めします!
それが先ずは<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>と声高らかに唱える習慣です。
<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>宣言こそが自力・世間力・偶然に頼らずに
【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】の一切お任せ人生です!
■<先回りの神愛>
●私の思いは、あなた方の思いと異なり
私の道は、あなた方の道と異なる
主の御告げ
天が地よりも高いように
私の道は、あなた方の道よりも高い
私の思いは、あなた方の思いよりも高い(イザヤ書55-8~9)
●我が為すことを汝今は知らず、後に悟るべし(ヨハネ伝13-7)
●見よ、侮る者たちよ、驚け、そして滅び去れ、
私はあなた方の時代に一つの事をする。
それは人がどんなに説明して聞かせても
あなた方のとうてい信じられないような事なのである(ハバクク書1-5)
●どんな良い事も、最初に一番良い顔をみせはしない(ヒルティ)
■<先取りの【信仰:信愛・信頼・信従】>
●あなた方の中で苦しんでいる人は、祈りなさい。
喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい(ヤコブ書5-13)
●思案したり、心配したりせずに、祈りかつ働くことが、
どんな困難な状況にあっても、正しいやり方である(ヒルティ)
●何事も思い煩ってはならない。
ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、
あなたがたの求めるところを神に打ち明けなさい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、
あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう
(ピリピ書4-6~7)
●主は助けを求める人の叫び求めることを聞き、
苦難から常に彼らを助け出される。
主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる魂、くずおれた者を救われる。
主に従う人には災いが重なるが、主はそのすべてから救い出される。
骨の一本も損なわれることのないように、彼を守ってくださる
(詩篇34-17~20)
●御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。
なぜなら、私たちはどう祈ったらよいかわからないが、
御霊自ら言葉にあらわせない切なるうめきをもって、
私たちのためにとりなし祈ってくださる(ロマ書8-26)
●夕べに、朝に、真昼に、私が嘆き、うめけば、主は私の声を聞かれる。
たとい私を攻める者が多くとも、主は私が戦う戦いから、
私を平和のうちに救い出してくださる。
私と争い挑む者が多いから(詩篇55-17~18)
皆さんも長々とした「~して下さい!」型の<嘆願:願望・陳情・苦情>でなく、
先ずは<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>だけを唱える霊的挑戦をして下さい。
もし不安なら、未実現・未完の<嘆願>や【ビジョン:理想・夢念・大志】でも
実現・完成して「~を感謝します!」型【先取りの<歓喜!感動!感謝!>】を
是非ともお奨めします!
【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】な無限大・無尽蔵の
【神の愛の力=隣人愛&奇蹟】の<神助:祝福・恩恵>を霊的体感しましょう!
●神の無限の力に頼りて我等は我等の信ずるがごとくに
全ての事を為すを得るなり。
何事も思いわずらってはならない。
ただ、事ごとに、感謝をもって、祈りと願いをささげ、
あなた方の求めるところを神に申し上げるがよい
(内村鑑三:ピリピ書4-13より)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、
これに対抗することはできるであろう。
私は神のおかげで困難になれてきた。
神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)
●人の歩みは主によって確かとされる。
主はその人の道を喜ばれる。
その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。
主がその手を支えておられるからだ(詩篇23‐24)
●<神助>(内村鑑三)
◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じて全ての善き物をもって汝を恵まん。
⇔ ★天来の思想
★外来の友人
★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。
◆汝は信仰をもって神の力を汝の力となすをうべし。
◆多くを望めよ、そは天にいます汝の父はその恩恵の宝庫を開いて
汝の来りてこれを求めんことを待ちつつあり給えばなり。
●この神は救い主、助け主。天にも地にも、不思議な御業を行い
ダニエルを獅子の力から救われた(ダニエル書6-28)
●あなたの力は人の数によるものではなく、
あなたの主権は強者に頼るものでもありません。
あなたは虐げられた者の神、
小さき者の助け主、
弱き者の支え、
見捨てられた者の守り、
希望を失った者の救い主(ユディト記9-11)
●あなたは、私の守り手、助け手となり、
私の体を滅びから、中傷の罠から、偽りを行う者の唇から
救い出してくださった。あなたは、私の反対者の目の前で、
私の助け手となり、あなたの豊かな慈しみと御名によって、
私を餌食にしようと仕掛けた罠から、私の命をねらう者の手から、
私が耐えていた数多くの苦しみから、救い出してくださった。
(シラ書〔集会の書〕51-2~3)
●神の無限の力に頼りて我等は我等の信じるが如くに全ての事をなすをうるなり
(ピリピ書4‐13)⇔ 私を強くして下さる方によって何事もすることができる
●汝等の信じるごとく汝に成るべし(マタイ伝9-29)
●全ての苦難はそれからのちに現実となった時よりも、
その前に想像された時の方が、よほど困難に思われる(ヒルティ)
●汝ら心を騒がすな。神を信じ、また我(主イエス)を信ぜよ
(ヨハネ伝14-1)
●私は平安をあなた方に残して行く。私の平安をあなた方に与える。
私が与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。
あなた方は心を騒がせるな、また、おじけるな(ヨハネ14-27)
●私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、
力ある者も、高い者も深い者も、その他どんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から
私たちを引き離すことはできないのである (ロマ書8‐38~39)
●人が信仰によって救われるというのは
信仰の結果によって救われるというのではない。
信仰そのものが既に彼の完全なる救済であるというのである(内村鑑三)
●それでもひたすら神に信頼し続けよ。
そうすれば、まもなく、また光と力を見るだろう。
おまえが信じたものを、まのあたりに見て、信じたとおりに成るであろう
(バンヤン)
先ずただひたすら<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>と唱える【神助精神】は
直面する<患難辛苦>から現実逃避の<逃げ腰・及び腰・弱腰>の降伏降参でなく
<不屈の楽天楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】で
<闇・悪・マイナス>を<光・善・プラス>に転じて<対戦・応戦・抗戦>する
霊的<パワー・アップ&アップ・グレード>をしてくれます!
●万事をその最善をもって解せよ、最悪において解するなかれ(内村鑑三)
●神はどんな悪も行われないようにするよりも、
むしろ悪から善を生じさせるようにする方が善いと考えられたのである
(アウグスティヌス)
●善の勝利についての絶望は常に個人的勇気の欠乏である(ヒルティ)
●事物の光明的半面に着眼する者、これ信者なり。
暗黒的半面に注目する者、これ不信者なり。
信者は 常に健康を祝し、成功を讃え、 聖徳をよろこぶ
不信者は 常に疾病を語り、失敗をなげき、悪徳・罪悪を憤る(内村鑑三)
●神の恵みと助けとが示されているのは、とくに困難な時期に、
いつも我々の暗い運命のどこかある一点が明るくされることによってである
(ヒルティ)
●神は善きを視るに敏くして、悪魔は悪を探るに巧みなり。
神は奨励する者にして、悪魔は失望せしむる者なり(内村鑑三)
●神の神たるは人の善きを思うて悪しきを思わざるにあり。
悪魔たるは人の悪しきをのみ思いえて人の善きを思いえざるにあり
(内村鑑三)
●世に勝つ者はだれか、イエスを神の子と信じる者ではないか
(ヨハネ第一書5-5)
●一切の仕事が神を離れては困難であり、神と共にあれば一切が可能である
(ヒルティ)
●不可能を口にしないのは万事が自分にとり可能であり、
許されていると考えるからである(トマス・ア・ケンピス)
●キリスト教は理想ではない、事実である。
理想が事実となって顕れたるものである。
すなわち真個の理想である。
(内村鑑三)
そして<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢念・大志】を
<神愛武具・神愛武器>に【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を霊的装備する事で
人生最強の宿敵である<心の闇>【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】から
<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】に導き
<福音の戦士>【福音の勢力】【愛と自由の戦士:神の僕・光の子】となります!
●悪魔の策略に対抗して立つことができるように、
神の武具を身に着けなさい。
私たちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、
支配と権威、暗闇の世界の支配者、
天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを
成し遂げて、しっかりと立つことができるように、
神の武具を身に着けなさい。
立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして
着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい(エペソ書6-11~15)
●私は言う。「闇の中でも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す。」
あなたには、闇も暗くなく、
夜も昼も共に光を放ち、夜は昼のように明るく輝く。
あなたには、闇も光も同じで異なることはない(詩篇139-11~12)
●神は光であって、神には少しの暗いところもない(ヨハネ第1書1‐5)
●私(主イエス)は世の光である。私に従って来る者は、闇の内を歩くことが
なく、命の光をもつであろう(ヨハネ伝8‐12)
●光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい(ヨハネ伝12‐36)
●光の子として歩みなさい(エペソ書5‐8、イザヤ書2‐5)
●光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせる(エペソ書5‐9)
皆さんが現実に直面する病苦・経済苦・社会苦などの<患難辛苦>に自力でなく
<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】の
【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】の一切お任せ人生で
<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢念・大志】を<人生の旗印>に
掲げ、自己や世界の<闇・悪・マイナス>を<光・善・プラス>に大転換させる
<不屈の楽天楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】で
活躍されることを心より応援しています!
●主が言われた『私の恵みはあなたに対して十分である。
私の力は弱いところに完全にあらわれる』それだから、
キリストの力が私に宿るように、むしろ喜んで私の弱さを誇ろう
(コリント後書12~9)
●神はあなた方にあらゆる恵みを豊かに与え、
あなた方を常に全てのことに満ち足らせ、
全ての善いわざに富ませる力のある方である
(コリント後書9‐8)
●嘆くのはやめて旅をし続けるがよい。
すでに与えられたものをしっかり守れ。
この午後をなお歩み続けるならば、
夕べには平和がさし招くであろう(ヒルティ)
●もしこの世の中で不可能な事を目指して粘り強くアタックしないようでは、
およそ可能なことの達成も覚束(おぼつか)ないというのは、まったく正しく、
あらゆる歴史上の経験がこれを証明している(マックス・ウェーバー)
●人生の喜びとは何か。それは人々が「お前はできない」ということを
実現してみせることである(バジョット)
●つねに行為の動機のみを重んじて、帰着する結果を思うな。
報酬への期待を行為のバネとする人々の一人になるな(ベートーヴェン)
●目標に近づくほど、困難は増大する(ゲーテ)
●失敗は罪ではない、目的が低い事が罪である(内村鑑三)
●<神意と人意>(内村鑑三)
人は止まらんとし、神は動かんとし給う
人は固執せんとし、神は溶解せんとし給う
人は制定せんとし、神は産出せんとし給う
●すべて神の約束は彼の中に是(しかり)となり、
また彼の中にアーメンとなる。
神は是なり、またアーメンなり。彼は万事において積極的なり。
しかして、人は神を信じて希望の人、歓喜の人、満足の人、
すなわち全然積極的人物たらざらんと欲するもあたわざるなり
<すべてにおいて積極的人物となる!> (内村鑑三)
●人々が「失われた」と言うところで、神は「見いだした」と言い、
人々が「裁かれた」と言うところで、神は「救われた」と言い、
人々が「否」というところで、神は「然り」と言う。
人々がなげやりな気持や、高慢から、目をそらせるようなところで、
神は他のどこにもない愛のこもった目を向けるのである(ボンヘファー)
●私たちは四方から患難を受けても、窮しない
途方にくれても、行き詰まらない
迫害にあっても、見捨てられない
倒されても、滅びない(コリント後書4-8~9)
●人に知られていないようで、認められ
死にかかっているようで、生きており
こらしめられているようで、殺されず
悲しんでいるようで、常に喜んでおり
貧しいようであるが、多くの人を富ませ
何も持たざるようで、全てのものを持っている(コリント後書6‐9~10)
●どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。
救いのない運命というものはない。
災難に合わせて、どこか一方の扉を開けて、
救いの道を残している(セルバンテス)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)