【2015年7月14日に作成した<第649回>に加筆】
◇◇★★緊急霊的体験★★に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
今日現在、病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
<対戦・応戦・抗戦>意欲に導びく最高!最善!最美!>の<無限の源泉力>が
先回報告の<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>【礼拝:★讃美★祈求★感謝】が
【神の愛の方程式=摂理】に従って<パワー・アップ&アップ・グレード>される
<奥義>を霊的体験することができました!
今日現在が病苦・経済苦・社会苦などの<患難辛苦>によって恐怖・不安・失意の
どん底状態に追い込まれた時にこそ<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>と唱える
<先取りの【信仰:信愛・信頼・信従】>には絶対ハッピーエンド!の霊的確信を
私のような意気地なしで臆病者で卑怯者の弱虫にとっては、私の苦手・弱点に向け
早速に<肉体的試練>が<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>として<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>が奇襲攻撃してきたのです。
お陰で【聖書・真理の御言葉】に示される<十字架上の言葉>を霊的解釈したので皆さんに是非紹介します!
ご存知のように【主イエス】は十字架の上で「7つの言葉」を語られていますが、
その一つに「苦痛の叫び」として「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」が有ります。
●わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか
(マタイ伝27-46)
私は従来から、この<弱気の直訴>は絶望的発言ではなく、詩篇22章の冒頭を
私達に語り伝えたのだと霊的確信する者です。
詩篇22章の前半は<患難辛苦>の恐怖・不安・怒り・悲しみなどに耐え切れず、
終ります。
●わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。
なにゆえ遠く離れて私を助けず、私の嘆きの言葉を聞かれないのですか。
わが神よ、昼は呼び求めても答えて下さらない。
夜も黙る事もできず平安を得ません(詩篇22-1~2)
●主は悩む者・貧しき者の悩み苦しみを侮らず、
さげすむことなく、いとうことなく、
御顔を隠されもしなかった。
むしろ、助けを叫び求めたとき、聞いてくださいます。
貧しき者・悩む者は、食べて、満ち足り、主を尋ね求める人々は、
主を賛美します。
いつまでも健やかな心が与えられますように。(詩篇22-24~26)
●まことに、王権は主のもの。主は、国々を統べ治めておられる
(詩篇22-28)
●子々孫々、主に仕え、人々は主のことを来たるべき代まで語り伝え、
主がなされた義とその救いと成し遂げて下さった恵みの御業を
後に生れる民にのべ伝えるでしょう(詩篇22-30~31)
そうです!私のように、いざとなると<逃げ腰・及び腰・弱腰>の<霊的弱者>が
人生で直面する様々な<十字架><重荷:自己不信・自己否定・自己嫌悪>の前で
先ず<弱気の直訴:エリ、エリ、ラマ、サバクタニ>の<敗北宣言>をしなさいと
霊的体験しました!だから<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>が活きるのです!
【神の愛の方程式=摂理】は「自助に負けて神助で勝つ!」の「敗者復活」です!
●人の計画は成りて敗れ、神の計画は敗れて成る(内村鑑三)
●正義は負けて興り、不義は勝ちて滅ぶ(内村鑑三)
●負けて勝ち、踏みつけられて立ち、
殺されて活くるのがキリスト信者の生涯である (内村鑑三)
●<凋落の希望>(内村鑑三)
葉落ちて枝空し。しかれども知る。
芽ならずして葉落ちざることを
凋落は復活の兆しなり。
世の日に日に朽ち行くは革新の準備すでに成りたるによる。
●<失敗と成功>(内村鑑三)
失敗は成功に達するの階段なり。
葉落ちて実結ぶがごとく、種死して芽出づるがごとく、
失敗を重ねて成功は来るなり。
●規則によって私たちを責め立てて不利に陥れていた債務証書を破棄し、
これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。
そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、
キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました
(コロサイ書2-14~15)
●十字架の言葉は滅び行く者には愚かであるが、
救いに預かる私たちには神の力である(コリント前書1-18)
●私たちの強さは弱さから生まれる。
秘密の力を備えた憤りは、わたしたちがこっぴどい攻撃にさらされ、
つつかれたり刺されたりするまでは目覚めない。
人間は、苦しめられ打ち負かされるとき、なにかを学ぶチャンスをえる。
才覚を発揮すること。勇気をもつこと。事実をつかむこと。
無知を知ること、節度や、生きるための本当の技術を獲得することなどを
(エマーソン)
●希望!どんな不幸におちいっても、
われわれは希望の太陽を心からすててはならない。
つねに楽天的であること。つまり天命を楽しむこと、
これこそがわれわれを幸福に導く信仰である。
今日を立派に生きることが、明日の希望を見いだすことであり、
明日の希望があってこそわれわれは明るく生きることができる。
現在を嘆き悲しむものはやがて不運を招くことになる(ヘレン・ケラー)
●なにもかも失われたときにも、未来だけはまだ残っている(ボビー)
自分の弱さを責めたり嘆くのではなく、まさに「弱さ」を誇リましょう!
●主が言われた『私の恵みはあなたに対して十分である。
私の力は弱いところに完全にあらわれる』
それだから、キリストの力が私に宿るように、むしろ喜んで私の弱さを誇ろう
(コリント後書12~9)
「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」次に<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>と
絶唱し続けるだけで、【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】は
<不屈の楽天・楽観力>に<パワー・アップ&アップ・グレード>されます!
さらに自助に負け神助で勝つ「敗者復活」だけでない驚異の霊的体験をしました。
舌を使って直接語ってくれる「聞きなれない言葉」「外国語」と記されています。
彼らは異言を語ったり、預言をしたりした(使徒行伝19-6)
●舌のようなものが、炎のように分れて現れ舌のようなものが、
炎のように分れて現れ、一人一人の上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、
いろいろの他国の言葉で語り出した(使徒行伝2-3~4)
<異言>は人間と【神の愛=天の父・主イエス】が<霊的交流・会話>する為に、
私達の<仲保者・弁護人>の【神の愛=聖霊】が<通訳・弁護・演出>する事で
私達自身が直接対話できる最善の<パフォーマンス(表現・振舞い>であることを
理解してきました。
●異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。
というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです
(コリント前書14-2)
今回の出来事まで、私には具体的「異言」体験がなくて残念で熱望してきました。
そして遂に【神の愛=主イエス】は時にかなって美しく体感させてくれました!
それは「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>を
苦痛の中で連呼し続ける内に、自然と「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」だけが
別の意味不明の響きとなって舌が勝手に動いてくれます。是非お試し下さい!
●御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。
なぜなら、私たちはどう祈ったらよいかわからないが、
御霊自ら言葉にあらわせない切なるうめきをもって、
私たちのためにとりなし祈ってくださる(ロマ書8-26)
私の人生にとって歴史的・感動的・奇蹟的な霊的体験は以上です。
先ず第一義に<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢念・大志】を
<人生の旗印>に高く掲げながら、<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>の
<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>や人生様々な<患難辛苦>に
自助で負け神助で勝つ【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】の
「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>で応じる
<敗北宣言>&<勝利宣言>で打ち勝つことを心より応援しています!
●悲しみ憂えてはならない。主を喜び祝うことこそ、
あなた方の力の源であるからだ(ネヘミヤ記8-10)
●命は恩寵のうちにある、夕暮れに涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある
(詩篇30‐5)
●恐れるな、私はあなたと共にいる。
たじろぐな、私はあなたの神である。
私はあなたを強くし、あなたを助け、私の義の右の手であなたを守る
(イザヤ書41-10~14)
●一時的なしばらくの軽い患難は働いて、
永遠の重い栄光を、溢れるばかりに私たちに得させる(生み出す)
(コリント後書4-17)
●見える所のものは暫時(シバラク)にして、見えざる所のものは永遠なり
(コリント後書4-18)
●試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、
神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう
(ヤコブ書1-12)
●<今日の患難は明日の栄光に遠く及ばず!>
現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、
取るに足りないとわたしは思います(ロマ書8-18)
●人生で最も輝かしい時はいわゆる栄光の時でなく、
落胆や絶望の中で人生への挑戦と
未来への完遂の展望がわき上がるのを感じたときだ(フローベル)
●私たちのもっともすばらしい栄光は、決してくじけないことではなく、
くじけるたびに、起きあがってくることにある(オリバー・ゴールドスミス)
●今日も、明日も、困難が待ち受けている。
しかし、それでも、わたしには、夢がある(キング牧師)
●あなたの夢は何か、あなたの目的は何か。
それが明らかならば、必ずや道は開かれる(ガンジー)
●至高の目標を持て、それが、将来の予言になる(ジェームス・アレン)
●The Best is yet to come!
<最善の時はこれからだ!>(ブラウニング)
●<最善の最後>(内村鑑三)
信者の生涯は始めは悪くして、終わりは善くある。
終わりに近づくほど、ますます善くある。
最後(ラスト)が最善(ベスト)である。
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)