【2015年7月28日に作成した<第650回>に加筆】
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
今日現在、病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
<対戦・応戦・抗戦>意欲に導びく<最高!最善!最美!>の<無限の源泉>が
現在日本で争論となっている「集団的自衛権」は独立民族国家の<存亡>として、
当然の権利であり、先進国として国際的義務でもあると理解できます。
絶対平和主義も本心から覚悟があれば素晴らしい決意表明だと思います。
私としては、私達個人の自由と生命と財産の死守のためなら、国防・安全保障に
政府・政治家が真剣に徹底的に議論し改善強化することに大賛成です。
ところで、たとえ<国力:天然国土・国民・軍事力・政治力・経済力・文化力>や憲法・法律で<万全!最善!完全!>の国防・安全保障体制が構築されたとしても
それは、国民百匹のうち99匹<多数派>を死守する個別・集団的自衛権であり、
どうしても1匹<見捨てられた国民・少数派>が生まれることを覚悟する必要が
あります。
例えば、日本では拉致家族や人質や国家的被害者・竹島問題など1匹<少数派>を
死守しようとすれば、残りの99匹<国民多数>を巻き込む危険性があるために、
国家的意思として踏み込むためには99匹<国民多数>の同意賛同が不可欠です。
従って、世界最大の国力を持つ米国でさえも、1匹の犠牲やむなしという決断を
取ることがよくあります。
そこで特に米国では興味深い自衛権があると最近私は理解するようになりました。
まさに、【主イエス】が唱えた「良き羊飼いの喩え話」に示されています。
●「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、その内一匹をなくしたら、
その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで
捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、
『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』
と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、
ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の
正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカ伝15-4~7)
なろうとも、それが自分勝手の自己責任の自業自得の放蕩息子状態であろうとも
病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>で背信・自暴自棄になろうと
私たち貴重な個人<1匹>は、求めれば公平にいつどこでも救済され死守される
【御心:聖意・聖旨】で約束された<神助的自衛権>があるのです!
●個人とは個々の霊魂(たましい)である。
英語では【individual】分かつべからざるものの意である
(内村鑑三)
●個人は分かつべからざる者で、人そのままである。
神の子、永久の存在者、自由独立、
不滅の固有性を有し全世界を代価に払うても贖(アガナ)う事のできないほど
貴いものである(内村鑑三)
●これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい(マタイ伝18‐10)
●これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなた方の天の父の御心ではない
(マタイ伝18‐14)
●神は人を分け隔てはしない(ロマ書2-11)
●神はその独り子を賜うほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである
(ヨハネ伝3-16)
●律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
しかし、今や神の義が律法とは別に、
しかも律法と預言者とによって証しされて現われた。
それはイエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、
すべて信じる人に与えられるものである。
そこには何らの差別もない(ロマ書3-21~23)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、
これに対抗することはできるであろう。
私は神のおかげで困難になれてきた。
神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)
いつでもどこでも、幸福でも不幸でも、たとえ喜怒哀楽どんな気分であろうとも
<主の祈り>を唱えるだけで<神助的自衛権>は完全行使できるのです!
●【主の祈り】(マタイ伝6-9~13、ルカ伝11-2~4)
天に在(マ)します我等の父よ
願わくは聖名(ミナ)を崇(アガ)めさせ給(タマ)え
聖国(ミクニ)を臨(キタ)らせ給え
聖旨(ミココロ)の天に成るごとく地にも成させ給え
我等の日用の糧を今日も与え給え
我等に負債(オイメ)ある者を我等が赦(ユル)す如く我等の負債をも赦し給え
我等を試探(ココロミ)に遭(ア)わせ給うなかれ
悪より救い出し給え
国と権(チカラ)と栄えとは窮(カギリ)なく汝の有(モノ)なればなり
アーメン
●あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、
隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる
あなた方が祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。
異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
彼らのまねをしてはならない。あなた方の父は、願う前から、
あなた方に必要なものをご存じなのだ。
だから、こう祈りなさい。(マタイ伝6-6~9)
何度も紹介しましたが、<主の祈り>とは単なる自己防衛・自己救済ではなくて
【御心:聖意・聖旨】である【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】が具現化されて、
<我等:人類・万事・万物>の救済の為、【この世の勢力:富・権威・名声】が
また重要な視点として恐るべき強大な<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>の
<試練・誘惑><邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>の攻撃侵略に
ただ受け身的に専守防衛するのではなく、積極的に遠ざけて遭遇させないように
先制防御することまで<主の祈り><神助的自衛権>で保証されているのです!
<主の祈り>の【聖徳・聖愛・聖善】宣言も<神愛武具・神愛武装>となります!
●キリストの愛神主義は利他・利己両主義の上に、
超越して最も多く他を利して、
最も多く己を利するの道を我に教えたり(内村鑑三)
●「エゴ」を生かして、人に尽くせ(曽野綾子)
●ある程度は、他人のために心配したり、はたらいたりしなければ、
どんな人も精神的に健康を保つ事はできない(ヒルティ)
●生きるという事は、神の栄光のために、また全ての人の幸せのために、
できる事をやることです(マザー・テレサ)
●イエスに対する【貴い愛】は人を促して大きな仕事をなしとげさせ、
人を励まし、いつもいっそう完全な徳を望むように仕向けさせる。
愛は常に向上を欲して、いかなる、いと低い事物によっても
引き停められることを望まない(トマス・ア・ケンピス)
●彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神の御もとに立ち帰らせ、
こうして彼らが私(主)への信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた
人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである
(使徒行伝26-18)
●夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を
身に着けましょう(ロマ書13-12)
●悪魔の策略に対抗して立つ事ができるように、神の武具を身に着けなさい
(エペソ書6-11)
●だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、
しっかりと立つ事ができるように、神の武具を身に着けなさい
(エペソ書6-13)
米国映画では戦争・災害・事故など生命的危機や精神的パニック状態に在る時に、
よく<主の祈り>を唱えるシーンが観られます。主人公や登場人物は冷静になり、
直面する<患難辛苦>に勇猛果敢に立ち向かったり、または穏やかに受け入れる
協働的【神愛事業=隣人愛&奇蹟】に導く<神助的自衛権>が行使されています。
●幸福とは神と共にある事である。それに到達する力は魂の声なる勇気である
(ヒルティ)
●御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。
なぜなら、私たちはどう祈ったらよいかわからないが、
御霊自ら言葉にあらわせない切なるうめきをもって、
私たちのためにとりなし祈ってくださる(ロマ書8-26)
●夕べに、朝に、真昼に、私が嘆き、うめけば、主は私の声を聞かれる。
たとい私を攻める者が多くとも、主は私が戦う戦いから、
私を平和のうちに救い出してくださる。
私と争い挑む者が多いから(詩篇55-17~18)
●苦難の中で、私が叫ぶと、主は答えてくださった。
陰府の底から、助けを求めると私の声を聞いてくださった(ヨナ書 2-3)
●何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとを
ささげ、あなたがたの求めるところを神に打ち明けなさい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、
あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう
(ピリピ書4-6~7)
●思案したり、心配したりせずに、祈りかつ働くことが、
どんな困難な状況にあっても、正しいやり方である(ヒルティ)
●私たちの生きた祈りと賛美が少しでもあるなら、
神様は千里の道をかけてでも私たちに会いに来てくださるだろう
(アーロンド)
●神様は天高く遠くにおられるが、祈るなら神様がこの地に降りてこられ、
さらに神様の能力と私たちの努力を結び付ける(ガースパリン)
●何事も思い煩ってはならない。
ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、
あなたがたの求めるところを神に打ち明けなさい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、
あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう
(ピリピ書4-6~7)
●悲しみ憂えてはならない。主を喜び祝うことこそ、
あなた方の力の源であるからだ(ネヘミヤ記8-10)
●あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通して
あなた方を永遠の栄光へ招き入れて下さったあふるる恵みの神御自身が、
しばらくの苦しみの後、あなた方を癒し、完全な者とし、強め、力づけ、
堅く立たせ、揺らぐことがない不動の者にしてくださる(ペテロ前書5-10)
●私の敵よ、私のことで喜ぶな。たとえ倒れても、私は起き上がる。
たとえ闇の中に座っていても、主こそ我が光なり(ミカ書7-8)
●光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった(ヨハネ伝1‐5)
●主よ、あなたは私の灯りを輝かし、神よ、あなたは私の闇を照らして下さる
(イザヤ書42-16)
●暗闇と死の陰に座している者たちを光で照らし、我らの歩みを平和の道に導く
(ルカ伝1-79)
●暗闇の中に歩んでいた民は大いなる光を見た。
死の陰の地に住んでいた人々の上に光が輝いた(イザヤ書9-2)
これから、天変地異による大災害や、分裂対立に伴う事故事件が多発する中で、
国際的政略再編と紛争激化による国家的危機や個人的な病苦・経済苦・社会苦の
<患難辛苦>に直面して、国家的・社会的・世間的に孤立無援に追い込まれて、
1匹<少数派>になろうと、あの7年間も暗闇の中で生き延びれた金魚のように、
私たち個人もまた、【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】の
協働救済方法である【神愛事業=隣人愛&奇蹟】を具現化させましょう!
●<神の救済法>(内村鑑三)
死に勝つに生をもってし、
暗(ヤミ)に逐つに光をもってし、
怨を滅ぼすに愛をもってす、
これ神の救済法なり
●怨に酬ゆるに徳をもってし
憎に対するに愛をもってし
悪に対するに善をもってする (内村鑑三)
●悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい(ロマ書12‐20)
●泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる
(詩篇30-6)<夕方に泣き悲しむことが宿っても朝には歓呼の声がある>
●苦しみ悩みのうちから、私の主を呼び求めた
主は私に応えて、私を広いところに置かれた(Set me free)
主は私の味方、私は恐れない
人は私に何ができようか(詩篇118-5~6
●絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、目を覚まして、
うむことなく根気よく全ての聖徒のために祈り続けなさい(エペソ書6-18)
●【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】
いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
(テサロニケ前書5‐16~18)
●熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みを抱いて喜び、
患難に耐え忍び、常に祈りなさい(ロマ書12-11~12)
●絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、
目を覚まして、うむことなく根気よく全ての聖徒のために祈り続けなさい
(エペソ書6-18)
●目を覚まして、感謝を込めて、ひたすら祈り続けなさい(コロサイ書4-2)
●あなた方の中で苦しんでいる人は、祈りなさい。
喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい(ヤコブ書5-13)
●思案したり、心配したりせずに、祈りかつ働くことが、
どんな困難な状況にあっても、正しいやり方である(ヒルティ)
皆様がお任せ人生の【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】で
<神助的自衛権>行使である<主の祈り>をいつでもどこでも唱え続けることで
人生様々な<患難辛苦>や国家的危機も素直に受け入れて勇猛果敢に立ち向かい
<最愛の我が子・十字架>【ビジョン:理想・夢念・大志】を<人生の旗印>を
【大希望:聖望!聖願!聖欲!】<大確信:必勝・必決・必現>として掲げながら
【救国:民族精神復興&国家再建】【世界平和:自由&正義<隣人愛>の結実】に
●<最も貴きもの>(内村鑑三)
富と糧とに優って貴きものは知識なり
知識に優って貴きものは道徳なり
道徳に優って貴きものは信仰なり
信仰に優って貴きものは愛心なり
●<最大の能力>(内村鑑三)
確信と称する活動力ではない、信仰と称する一種の依頼心である。
これが世界を動かした力である。
先ず我の無能を覚って、しかる後に神の大能に頼る、かくて自己は死して
神、我にありて生きるに及んで、我は真個の勇者となる。
●<世界最大の者>(内村鑑三)
知識をもって腕力に克つべし
信仰をもって知識に克つべし
愛をもって信仰に克つべし
愛は進化の終局なり、最大の能力なり。
愛に達して我らは世界最大の者となるなり。
●<希望>(ヒルティ)
十字架は重いが、ふしぎなことに
おまえがそれを担うやいなや。それがおまえを担ってくれる
初めは闇夜だが、行く手は真昼の明るさ
その道を進む者は「勇者」と呼ばれる
おまえの力は小さくとも
おまえが帰依した主の力は偉大だ
おまえの星は暗い夜空に輝きわたり
今日は死に、明日はいのちによみがえる
●何事でも神の御心に適うことを私たちが願うなら、
神は聞き入れて下さる。これが神に対する私たちの確信である。
私たちは、願い事は何でも聞き入れて下さると分かるなら、
神に願ったことは既にかなえられていることも分かる
(ヨハネ第1書5-14~15)
●真の祈りはただの祈りではない。一種の預言である。
即ち必ず成就すべき事を
前もって語に表することである(内村鑑三)
●心からの祈りによって、成し遂げられないものは、この世には無い
(ガンジー)
●何でも祈り求めることは既にかなえられたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになるであろう(マルコ伝11‐24)
●神は約束したことを成就することができると確信した(ロマ書4-21)
●何事でも神の御心に適うことを私たちが願うなら、神は聞き入れてくださる。
これが神に対する私たちの確信である(ヨハネ第1書5-14)
●私は初めから、以上のことを確信し、思い巡らした後、こう書き残した。
「主の御業はすべて良く、時が来れば、主は必要なことをすべて満たされる。」
「これはあれよりも悪い」と言ってはならない。
どんなものも時が来ればその良さが証明される。
さあ、心から、声高らかに賛美の歌をうたえ。主の御名をほめたたえよ
(シラ書〔集会の書〕39-32~35)
●あなたに備えられているものをすべて生かし抜きなさい。
神はあなたの、その善き意志を助けてくださるだろう(トマス・ア・ケンピス)
●光の子らというのは、たしかに、尋常ならぬものに対して敏感であり、
かつ求めてやまぬ人たちのことである。
彼等はまず、飲み、食い、そして明日は死ぬということ以外に、
もうすこし良いものが地上にあることを願い、
このやみがたい願いと意志とから出発して、次第に信仰に、
そして最後には確信に、到達する人たちである(ヒルティ)
●元気を失うな、勇敢であれ、慰めはしかるべき時に必ず来るであろう
(ヒルティ)
●【遠大の事業】(内村鑑三)
余輩は今の人のみ救わんと欲せず、また後の人をも救わんと欲す。
余輩は日本人のみを救わんと欲せず、全人類を救わんと欲す。
余輩の事業は小なりといえども永久的にしてまた宇宙的なり。
余輩は今時をのみ目的として働くものにあらず。
●<聖 望>(内村鑑三)
われは神によりて、われと同時に消えざるの事業をなさん。
われは今日の人に聞かれざるも後世の人に聞かるるの言を述べん。
われはわが事業を永遠の上に築いて、短きわれのこの一生をして
万世を益するものとならしめん。キリスト信者たる栄誉の一は、
荏弱(じんじゃく)取るに足らざるこの身をもってして、
なお大望をいだいてその一部分を遂行し得るにあり
●望み得ないことを、なおも望み信じ続ける!(ロマ書4‐16~18)
●我らのなお亡びざるはエホバの仁慈(イツクシミ)により、
あわれみの尽きざるによる。
これは朝ごとに新しく、あなたの真実はそれほどに大きく深く力強い
(エレミヤ哀歌3‐22~23)
●摂理と確かな知恵とは、私にある。
私は分別であって、私には威力がある。
私によって、王たる者は世を治め、
君主たちは正しい掟を定める。
君侯、自由人、正しい裁きを行う人は皆、私によって治める。
私を愛する者を、私は愛する。私を熱心に捜す者は、私を見つける
(箴言8-14~17)
●魂の喜びにまさる喜びなし。これによりて枯骨もなお芽をふく。
この喜びを我が主は常に我らのために増したもう(ヒルティ)
●神は、キリスト・イエスにおいて私たちが賜わった慈愛による、
限りなく優れた豊かな、神の御恵みの絶大なる富を、
来るべき世々に現そうとされた。
事実、あなた方は、恵みにより、信仰によって救われた。
このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物である
(エペソ書2-7~8)
●キリスト教は理想ではない、事実である。
理想が事実となって顕れたるものである。すなわち真個の理想である。
(内村鑑三)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)