【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS KINGDOM! Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】

歓喜の大絶賛!大称賛!大賛美!①

◇◇大喜び!大絶賛!歓喜の【讃美:讃歌・賛美歌】でほめ称えよう!(その1)◇◇
【2007年2月9日に作成した<第424回>に加筆】

●この世における人間の主な目的は神の栄光をたたえ、永遠にわたって神をよろこぶことである
 (クロムウエル時代の簡略教理問答書)
●喜べ!喜べ!人生の事業、人生の使命は喜びだ。空に向かって、太陽に向かって、星に向かって、
 草に向かって、樹木に向かって、動物に向かって、人間に向かって喜ぶがよい(トルストイ
●喜びとは、苦悩の大木に実る果実である(ヴィクトル・ユゴー
●喜びとは、勝利それ自体にではなく、途中の戦い、努力、苦闘の中にある(ガンジー

最近心から願っていた【ビジョン:理想・夢・志】が予期せぬ<驚くべき体験>によってあっという間に実現されました!

私が心ひそかに熱く望んでいたのは、天上に住まわれる<天使>のように、この広い世界中を自由自在に飛び回って、
生きながら<天使>のように、【神の愛=主イエス】に仕える【同労者】や【神愛と自由の戦士】を霊的に励ましたい!
という、いかにも<目だちたがり屋>で図々しい私ならではの自分勝手な【ビジョン:理想・夢・志】でした。

ところが、【神の愛=主イエス】は、聞き入れていたのです!しかし、そのためには恐るべき【試練】を経験させられました。

●私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いて下さる(ミカ伝7-7)

私は15年前にサラリーマン生活に終止符を打って、それ以来は、短期間は何社かに就職したものの、基本的には、
【神の愛=主イエス】に守られお世話になりながら、今日まで独立自営で生活してきました。

そのため、15年間は病院には一度も通わず、定期的健康診断もしないままに、何とか無事にやってきていました。
しかし、私の肉体的には、4~5年前から、腹痛や背中の痛みが激しく、最近では嘔吐することもあるほどでした。
それでも、【神の愛=主イエス】に守られているから大丈夫!と信じながら、一日一日を過ごしてきて新年を迎えました。

そんな1月26日(金)の午後2時半のことです。突然にして、私のお腹と背中はピッタリとくっついたようになったのです。
筋肉が堅く緊張して、呼吸はできず、お腹には今まで経験した以上の激痛が走りました。

これはいつもの腹痛ではないことは明らかでした。私は病院に行くことを考えるよりも、先ずは【神の愛=主イエス】に
助けを頼むことを選びました。「神様!どうか私のこの痛みから解放してください!」

いつものように、苦しい時には、苦しいながらも【讃美歌】を歌い、【礼拝:讃美と祈りと感謝】しながら耐え忍びました。
しかし、今回はいつものように余裕のある状態ではありませんでした。いくらのんきで楽天的な私でも深刻さを感じました。

ついに、【神の愛=主イエス】に向かって最後の言葉を投げかけました。「神様!私の身を委ねます!」

ここまで<死>をも覚悟したはずなのに、私の肉体的にも、精神的にも、もはや堅き信仰よりも、死への恐怖が走り出し、
弱き<裏切り者>の私は、いつものことですが、【この世の勢力:富・権威・名声】に助けを求めることに決心したのです…。

私は初めて救急車を呼び、そのまま病院の救急治療室に運ばれて、即座に緊急手術を受けることになってしまいます。
私の病状は、十二指腸潰瘍が悪化して穴があき、腹膜炎状態になっていたそうです。放っておけば生死に関わっていたとも
聞かされました。

興味深いことは、手術において本来なら胃を切除する可能性もあったものの、穴をふさぐだけで、輸血もせずに済みました。
私のお腹は切られたものの、私の身体から何も切り取りだされることもなく、また他から加えられることなく成功したのです!

そして1月26日(金)から2月6日(火)までの12泊、初めての入院経験をして予定よりも早く7日(水)に無事に退院できました。
緊急手術と12日間の安静のおかげで、4~5年間のほとんど毎日痛かった腹痛も背中の痛みをすっかり解消してくれました!

私が【神の愛=主イエス】を最後の最後に裏切ったにもかかわらず、死なずに今を生かされたことについて、私は発見しました。
私が望んでいた「生きながらにして<天使>のようになりたい!」という私の【ビジョン:理想・夢・志】実現のためだということです。

命拾いして数日たった深夜に、入院ベッドの中でのことです、【霊感・神の愛の息吹】として、ひらめいたことがありました。

あの生死に関わった痛みの苦しみの中で、私を救ってくれたのは、私の【礼拝:讃美と祈りと感謝】ではなかったということです。
私を救ってくれたのは、人間の歴史上で、絶えることなく捧げられてきた歓喜に満ち溢れた【讃美:讃歌・讃美歌】ということです。

何故、【神の愛=主イエス】に向けて【礼拝:讃美と祈りと感謝】が必要なのか?
それは喜んで讃美することも祈ることも感謝することもできなくなった【隣人・社会】のために、身代わりになって行うためにこそ必要で
あったのです!

そうです!【礼拝:讃美と祈りと感謝】は進んで喜んで実践する時にこそ、最善のパワーを発揮してくれることを私は知ったのです!
世界中を自由自在に飛び回れる「生きながらの<天使>になる」ためには、歓喜に満ち溢れた【讃美:讃歌・讃美歌】でもって
【神の愛=主イエス】を称え、<神の愛の栄光>をいつでもどこでも賞賛することだと確信できました。

この世の一切の悲しみも苦しみも不安も、全て<最善>へ通じる道中に過ぎず、患難辛苦と思われる<試練>も一時的であり、
最後の最後には、望みの<恩恵>で歓喜の感謝に至ることを告げ知らせることが<天使>の大きな役割であると発見しました!
ハレルヤ!栄光を主に帰します!

●苦しい状態は「一時」のことであっても永続するものでなく、それは神によって一瞬に変えられるものであり、
 しかも、目的がとげられると間違いなく即座に変えられる(ヒルティ)

宇宙が広大無辺であるのは過去の先人から今日現在の私たちに至るまで、無数の【礼拝:讃美と祈りと感謝】が蓄積されるために
存在しているのだと思いました。夜空の星一つ一つが過去から現在の私たち、未来に届けられる為に【礼拝:讃美と祈りと感謝】が
【神の愛の結晶】となって光り輝いているとしたら素晴らしいとは思いませんか?

私たちが現実の苦難に耐え切れず、絶望したり、途方に暮れても、【神の愛=主イエス】を逆恨みしたり、見失っても、裏切ろうとも、
そして、もはや天を仰ぎ見ることも自分で祈ることさえできなくなっても、心配ご無用です!

私が体験できたように、私の命を救ってくれたのは、先人の光り輝く歓喜に満ち溢れた【礼拝:讃美と祈りと感謝】のおかげであり、
【神の愛=主イエス】は心から【神の愛=主イエス】を信愛する【礼拝:讃美と祈りと感謝】に応えて働いてくれたことを確信します!

●我らは祈りを神に捧げる、すると神は我らのために語り、かつ働き給う(ジョージ・ミラー
●自分の意志をまったく神にゆだねて、ひたすら神の道具でありたいと思う人は不思議に、どんな祈りも聞き届けられる。
 そういう人はただ願い求めればよいのだ。そうすると憂いも怖れもなく、至福の状態で、あらゆる困難を切り抜け、
 生涯の日々をすべての人々とまじって生きて行くことができる(タウラー)
●私たちが何事でも神の御旨に従って願い求めるならば、神はそれを聞き入れて下さる。私たちが願い求めることは、
 何でも聞き入れて下さるとわかれば、神に願い求めたことは既にかなえられたことを知るのである(ヨハネ第一書5‐14~15)
●求めよ、さらば与えられん。捜せよ、さらば見出さん。門を叩けよ、さらば開かれん(マタイ伝7‐7、ルカ伝11‐9)


★★【その2】につづく★★