◇◇ <闇・悪>に<光・善>を発見できる愛のパワー!(その1) ◇◇
【2002年3月1日に作成した<第224回>に加筆】
2002年2月28日(木)朝日新聞夕刊一面「核の時計残り7分に」の記事を読んで
●神は善きを視るに敏くして、悪魔は悪を探るに巧みなり
神は奨励する者にして、悪魔は失望せしむる者なり(内村鑑三)
●神の神たるは人の善きを思うて悪しきを思わざるにあり。
悪魔たるは人の悪しきをのみ思いえて人の善きを思いえざるにあり(内村鑑三)
●人の心を見て慈悲をもて、行いだけを見て責めるな(キングスレー)
神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。
世間的常識から見れば、私たち被造物の価値観で、どんなに【闇:悪徳・不完全・不可能】と思われる
ことでも、<この世>創り主であり、守り支えている【神の愛=主イエス】から見れば、【闇】も時に応じて必要不可欠なものとして造られ、【光:善良・完全性・可能性】に満ち溢れていて、この世の万事万物は、どんな最悪も最善へと善循環させることができます。
●私(主)は光を造り出し、闇を創造し、平和と繁栄をもたらし、災いを創造する。私は主、これら全てを
造る者である(イザヤ書45-7)
●神の造られたものは、みな善いものであって、感謝して受けいれるなら何一つ捨てるべきものはない
(テモテ第1書4‐4)
●目を高く上げて、誰が天の万象を創られたかを見よ
この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つその名をもって呼ばれる。
この方は、勢力に満ち、その力は強い、一つも、もれるものはない(イザヤ書40-26)
●私は言う。「闇の中でも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す。」
あなたには、闇も暗くなく、夜も昼も共に光を放ち、夜は昼のように明るく輝く。
あなたには、闇も光も同じで異なることはない(詩篇139-11~12)
私たちも【神の愛=隣人愛】や【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】の立場で注意して見つめるならば、【神の愛=主イエス】の造られた万事万物に<完全悪>は存在しないことが理解できるようになります。
●事物の光明的半面に着眼する者、これ信者なり。
暗黒的半面に注目する者、これ不信者なり。
信者は 常に健康を祝し、成功を讃え、 聖徳をよろこぶ
不信者は 常に疾病を語り、失敗をなげき、悪徳・罪悪を憤る(内村鑑三)
●悪い事の中にもなにほどかの善の魂がまじっている。人が注意ぶかくそれをさがし出すならば(シェークスピア)
●善の勝利についての絶望は常に個人的勇気の欠乏である(ヒルティ)
つまり、自己やこの世の万事万物に存在する【闇:罪悪:不完全・マイナス・不可能】にも、最善である
【神の愛=主イエス】の【御心:意志と計画】である<最善の最後>が示されていることを発見するでしょう。
●You are good and do good!
あなたは善なる方、いつくしみ深くあられ、すべてを善とする方で慈しみを施されます(詩篇119-68)
●神は善なり(マタイ伝19-16)
●私は初めから、以上のことを確信し、思い巡らした後、こう書き残した。
「主の御業はすべて良く、時が来れば、主は必要なことをすべて満たされる。」
「これはあれよりも悪い」と言ってはならない。どんなものも時が来ればその良さが証明される。
さあ、心から、声高らかに賛美の歌をうたえ。主の御名をほめたたえよ(シラ書〔集会の書〕39-32~35)
●私たちは善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると時が来れば刈取るようになる
(ガラテヤ書6‐9)
●希望は時々刻々この世に臨みつつあり、腐敗の累積はあえて恐るるに足らざるなり(内村鑑三)
●神への信頼を失わずに、その試練を切り抜けるならば、他のいかなる道でも達せられないほど、神に近づく事ができる(ヒルティ)
●すべて彼(主イエス)を信じる者は失望に終わることがない(ロマ書10―11)
●The Best is yet to come!<最善の時はこれからだ!>(ブラウニング)
●【最善の最後(内村鑑三)】
信者の生涯は始めは悪くして、終わりは善くある。
終わりに近づくほど、ますます善くある。
最後(ラスト)が最善(ベスト)である。
【闇の勢力】が強い時代だからこそ、私たちは【光:善良・完全性・可能性】を捜し求めて【神の愛=主イエス】に喜んでもらいましょう!闇を光に転じる【神の愛=主イエス】に捧げましょう!
●私(主)は目の見えない人たちを導き、彼らがまだ知らない大路に行かせ、通ったことのない道を歩ませる。彼らの前で、行く手の闇を光に変え、でこぼこの曲がった道を平らにまっすぐにする。
私はこれらのことを成就させ見捨てることはない。(イザヤ書42-16)
●彼らの目を開き、彼らを闇から光へ、悪魔の支配から神のもとへ帰らせ、また、彼らが罪の赦しを得、
私(主)を信じる信仰によって聖別された人々に加わるためである(使徒行伝26‐18)
●善を信じなければならない。善なるものがこの世には存在すること、そして、それは悪に対して勝利を
おさめる力をもつことを信じなければならない(ヒルティ)
●万事をその最善をもって解せよ、最悪において解するなかれ(内村鑑三)
例えば、米国社会の【ミッション:使命・天職】を考えてみましょう。
現在の世界は米国の一国支配と横暴によって紛争激化の危機にあるように映ります。今日のニュースでは
核戦争による人類の終末までを象徴的に示す「核の時計」は今の米国の行動により2分進んで7分前と
なりました。
2度の世界大戦や大量虐殺や原爆の恐怖を世界がイヤと言うほど味わった20世紀に別れを告げて21世紀は
<愛のパワー>による和解と平和の時代をみんなが願っていたはずです。
それなのに、米国代表者のブッシュ大統領は世界に向けて間違ったメッセージを発信し続けました。神の命じる<愛敵精神>の【福音】と対極にある、<仇敵精神>による<報復の挑戦状>だからです。世界の多くの人々は米国に失望していることでしょう。
一方で21世紀になっていよいよインターネットや衛星放送・IT先端技術のおかげで世界が同時に情報を共有できる情報ネットワークを世界の地の果てまで普及させることができたのです。その先頭に立ったのは米国です。
まさに【神の愛=主イエス】の【福音伝道事業】のための、この<プラット・フォーム>を完成させることこそが米国の本当の【ミッション:使命・天職】だったと私は考えます。20世紀に活躍した米国以外では、恐らく世界中の他のどんな民族・国家でも実現できなかった見事なチャレンジだと思います。
●全世界に出て行って、全ての造られたものに福音を述べ伝えよ(マルコ伝16‐15)
●聖霊があなた方にくだる時にあなた方は力を受けてエルサレム、ユダヤ、サマリヤ全土、さらに地の果てまで私の証人となるであろう(使徒行伝1‐8)
興味深いことは、20世紀の初めまで【聖書】の【主イエスの再臨】の記述は、あまりにも現実離れしていて荒唐無稽であると教会関係者や神学者の中にあっても、「まさか、そんなことはあり得ないだろう・・・」と軽視されていたそうです。
何故なら、【主イエスの再臨】は全世界の人々が「同時に目撃する」と記されているからです。ご存知のように地球は広大であり時差があって、世界の隅々まで公平に、同時に、【同じ光景:再臨】を見ることなど不可能と思われていたのは当然です。
しかし、今日では、衛星通信やインターネットの普及により、南極でも北極の果てであろうとも、太平洋の真ん中であろうとも、エレベストの頂上であろうとも、世界のどこでも、誰でもが、同時期に、【同じ光景:再臨】を観られる環境(プラットフォーム)が実現したのです!
●そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る(マタイ伝24-30、マルコ伝13-26、ルカ伝21-27)
★★【その2】につづく★★