【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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<個人主義>に導く【神の愛】!①

◇◇【自己本位】の【個人主義】&【キリスト信仰精神】を目指そう!(その1)◇◇
【2001年7月26日に作成した<第165回>に加筆】
★★<個人主義>と<利己主義>の違いについて考える★★

●個人とは個々の霊魂(たましい)である。
 英語では【individual】分かつべからざるものの意である(内村鑑三

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!

【キリスト精神】は間違い無く【個人主義】を尊重します。
しかし【個人主義】は【利己主義】と混同されやすい面があります。

●個人は分かつべからざる者で、人そのままである。神の子、永久の存在者、自由独立
 不滅の固有性を有し、全世界を代価に払うても贖(アガナイ)うことのできないほど
 貴いものである(内村鑑三

個人主義】は【個人の尊厳】を目指すことであり、それは自分と同様に【隣人・社会】の
立場をも尊重する【隣人愛精神】に通じると考えます。

【利己主義】は【エゴ:自己中心・我執】から生じるもので、自己の社会的立場からの
<自己保身>であり、【人権・自由の保証】を優先するように自己主張します。

従って【個人主義】と【利己主義】とは目指す方向が明らかに異なるのだと思います。
そして、ご存知のように欧米精神は日本よりも【個人主義】が成熟していると思います。

その事例を考えてみましょう。例えば、労働者の職場の立場を守る組合組織を見てみると、
GHQの政策もあって、日本は企業単位での組織化がされていて、自己保身と身内主義に
陥りやすい労働運動になりがちです。

一方でアメリカなどのユニオンは職域・企業内組織よりも職能・職種単位の水平組織だと
聞きます。

単に自分の立場だけでなく、同じ職種・職能にある労働者の社会的立場を尊重するために
組織化されているからだと思います。

今は活況の大リーグですが、ある球団で数名の選手が不当解雇された時に野球選手全員が
抗議のために、スーパースターや個人記録を狙っている選手も一丸となって、2年近くも
ストライキしたことを皆さんも覚えているのではないでしょうか。

当時は、何とか選手に試合に戻ってもらおうとして、ハリウッドでは野球関連の映画が
多く創られて国民全体で大リーグ野球を必要としている<ラブ・コール>を贈りました。

さらにクリントン大統領までもが、じきじきに交渉に出向きましたが、それでも一向に
解消されませんでした。

結局は球団オーナー側が野球選手の要求を受け入れ認めるまでは解決しなかったのです。

そのようにして、彼等は自分独りの生活のためだけでなく球界全体の選手の社会的立場を
守ることに成功したのです。その後、大リーグでは選手全体の年俸もはねあがりますが、
一方で球界全体が活性化したことも事実です。

彼等はよく理解しているのです。初めのわずかの犠牲者を他人事のように扱っていると、
必ずや自分自身にも同じような横暴な解雇が行われる事を。

それでは、日本ではどうでしょうか?

例えばサッカーのJリーグは当初プロ野球をしのぐ人気で活況でしたが、やがてブームも
去って、景気も後退して、スポンサー企業が続々と撤退する事態となりました。

その皮切りが横浜フリュ-ゲルスの吸収合併でした。

あの時にチームの維持のために、Jリーグの選手全員は一丸となって強烈な抗議をしたり、
ストライキをしたり、試合ボイコットもしませんでした。他人事のように扱ったために、
やがて他のクラブにも横暴な不当解雇や年俸カットなどが波及して行きました。

横浜フリューゲルスのファンは最後まで戦いました。自分の職場を守るためでもなく自分の
生活の保証のためでもありません。解散理由があまりにも企業側の利潤追求の倫理であり、
不当であったからです。

日本では個人で活躍するプロスポーツ選手であっても、まるで<奴隷>のように扱われます。
一方、欧米では、そのように不当に扱われない理由があります。

それは金銭・契約交渉には専門のエージェント(代理人)が行っている体制があるからです。
そのおかげで、選手は思う存分に<本分>であるスポーツ・プレイにのみ専念できるのです。

日本にそのような体制や仕組みが定着されにくいのは、弁護士が少ないからとか色々な原因が
あるでしょう。しかし、その根本理由として【個人主義】が成熟していないからだと思います。

個人主義】には当然ながら、自己責任や社会的義務も伴います。自己の権利や<自由>は
自然に与えられるのでなく、社会との対決もあることを私たちは覚悟するべきです。

●民衆の中にあって、真理と正義と平等のために不断に闘うこと。
 これ以上に尊い生活はおそらく望み得ないであろう(クロポトキン

日本で【個人主義】が育ちにくい理由には【キリスト精神】があまり重視されていない事が
大きな原因だと私自身は考えますが、さらに興味深い<観点>を発見しました。
それは、日米での<日常の生活習慣>の違いによるという観点です。

私は米国NYに長く生活する人から興味深い話を聞きました。

日本は「たんす文化」です。従ってスペースに制限があるために夏・冬など季節に応じて
衣服の入替えが必要です。それが自然と国民全体が同時期に行う「衣替え」という風習を
生んできたのだと思います。

そのため、服装は個人のライフ・スタイルからではなく、タンス・スペースと暦に応じた
世間的常識が生まれ、学生服も会社の制服やスーツも夏服や冬服へと、ほぼ自動的に切り
替わってしまいます。

一方で、欧米では「クローゼット文化」です。衣服は季節と無関係に大きなクローゼットに
まとめてしまうので、季節に応じての「衣替え」といった社会的風習は特にはありません。

たとえ真冬でも、その日が本人にとって暑ければ季節など無関係にTシャツ一枚で歩きます。
たとえ真夏でも、その日が本人にとって寒ければ皮ジャンや毛皮のコートを着て外出します。
要するに、米国では「クローゼット文化」のおかげで、服装は個人の<自由意志と判断>で
選ぶものという【個人主義】の生活習慣やライフ・スタイルが生まれるのだと実感しました。

レストランや食堂の食事メニューにしても日米では違いがあります。欧米では個人のお好みを
選択できるアラカルトやオプションがたくさん用意されています。肉の焼き具合一つにしても
選択しなくてはなりません。

一方で、日本では定食メニューなど「お任せコース」が主流です。自分で取捨選択するよりも
便利だからかもしれません。私も定食コースやお任せコースを選んでしまいます。

この取るに足らぬ小さい生活習慣でも実はとても大きな違いを生んでいるように思えるのです。

個性の第一歩である服装が、暦に無関係で世間体を意識せずに、自分のその日の体調や感性で
選べて、<個性>を発揮しやすくオリジナルでクリエイティブな価値観が自然に日常生活から
育てられているのではないでしょうか。

また食事ひとつにも【選択の自由】があって、ベジタリアンも宗教的食文化にも対応していて、
動物愛護や自然保護などの【隣人愛精神】を通じて【神の愛=真理】の実現も可能となります!

●あなた方は、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、
 忍耐には信心を、信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらのものが備わり、
 ますます豊かになるならば、あなた方は怠惰で実を結ばない者とはならず、
 私たちの主イエス・キリストを知るようになるでしょう。
 これらを備えていない者は、視力を失っています。近くのものしか見えず、
 以前の罪が清められたことを忘れています。
 だから兄弟たち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、
 いっそう努めなさい。これらのことを実践すれば、決して罪に陥りません
(ペテロ後書1-5~10)
●よい精神を持つだけでは十分ではなく、肝心なのは、これをよく用いることである(デカルト
●人類は絶えず進歩する。この前進運動は信仰の分野にもあらねばならない(トルストイ
●自由を愛することは他者を愛すること(ウイリアム・ハズリット)
●自由とは、あらゆる特権を有効に発揮させる特権である(カント)
●恐れなき冒険は自由の精神で、打ち負かされない力を生みなさい(ヘレン・ケラー
●あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた
 運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である(フランクル)
●真の自由とは、すべてのことを己の基準でなしうることである(モンテー二ュ)

★★【その2】につづく★★