【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

<憎悪の精神>を活かす【神の愛】①

◇◇【憎悪の精神】⇔【プロテスタンティズム:異議申し立て!】の<原動力>(その1)◇◇
【2008年4月11日に作成した<第456回>に加筆】 

●主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り、
 神に逆らう者の手から助け出してくださる(詩篇97-10)
●主を畏れることは、悪を憎むこと。傲慢、驕り、悪の道、暴言をはく口を、わたしは憎む
箴言8-13)。
●悪を憎み、善を愛せよ。また、町の門で正義を貫け。あるいは、万軍の神なる主が
 ヨセフの残りの者を憐れんでくださることもあろう(アモス書5-15)
●愛は偽りがあってはならない。悪を憎み退け、善には親しみ結び、
 兄弟の愛を持って互いにいつくしみ、進んで互いに尊敬し合いなさい(ロマ書12-9)

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは!ご愛読に感謝します!

【聖書】は条件付きで「憎む心」を積極的・肯定的に認めている事は興味深い事実です。
何でもかんでも「憎んで善い」のではなくて「【悪】を憎め!」と明確に命じています。

【聖書】において【神の愛=主イエス】が【善=真理】であることは明らかなことです。

●You are good and do good!
 あなたは善なる方、いつくしみ深くあられ、すべてを善とする方で慈しみを施されます
詩篇119-68)
●善は神なり(マタイ伝19-17)
●神は善なり(マタイ伝19-16)⇔神を知るは善人なり(内村鑑三
●イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、私に尋ねるのか。善い方はお一人である。
 もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」(マタイ伝19-17)
●善を信じなければならない。善なるものがこの世には存在すること、
 そして、それは悪に対して勝利をおさめる力をもつことを信じなければならない
ヒルティ)

従って【聖書】の【悪】は「【神の愛=主イエス】に反すること」であるといえるでしょう。
【悪】は「【神の愛=主イエス】を否定する事」から始まって、「愛に反すること」であり、
「愛さないこと(愛せないこと)」であるといえるでしょう。

【聖書】を学ぶまでは<愛>の反対は<憎悪>で<憎悪>は【悪】だと思っていました。
しかし実際は<憎悪>よりも対極的なことは「無関心」であることを実感できました。

●愛の反対は憎悪ではなく、無関心であることです(マザー・テレサ

そうです!【聖書】において<無関心>であることは【悪】そのものであることになります。
視点を変えれば、ある対象について<無関心>であるよりも<憎悪・嫌悪>することの方が
【神の愛:主イエス・隣人愛】に近づける<チャンス>にあると言うことになります。

たとえば、チベット弾圧問題で欧米の一般市民が中国政府に対しての激しい<抗議活動>を
していますが、「見て見ぬふりはできない!」「<無関心>でいてはいけない!」という
この<プロテスタンティズム・異議申し立て>の原動力もまた【憎悪の精神】だと思います。

キリスト教ユダヤ民族宗教に終わらせず、人類全体を救済する<世界的福音>に導いた
<先駆者>とは【神の愛=主イエス】と親密だった【十二使徒】ではありませんでした。

<無知>ゆえに誤解して【神の愛=主イエス】を激しく<憎悪>していた【聖パウロ】が
本当の【神の愛=主イエス】を体感したからこそ、【神の愛=隣人愛】に<回心>できて
最愛の【神の愛=主イエス】を世界宣教する<先駆者>となれたことは驚異ですね。

●神はどんな悪も行われないようにするよりも、むしろ悪から善を生じさせるように
 する方が善いと考えられたのである(アウグスティヌス

<無関心>である事を【悪】と感じるだけでなく積極的・実践的な【憎悪の精神】として
プロテスタンティズム・異議申し立て!>の原動力とするためには<無知>は禁物です。

<無関心>である最大の原因として「【真実】を知らされていないこと」があるからです。
<無関心>を避けるために先ず知るべき【真実】とは【神の愛=主イエス】の存在ですね。
【神の愛=主イエス】を通じ【神の愛=隣人愛】を知る事が<知識の初め>の<恩恵>だと
実感できます。

●神を恐れることは知識の始めである(箴言1‐7)
●火が光のはじめであるように、常に愛が知識のはじめである(カーライル)
●<最大の恩恵>(内村鑑三
 最大の恩恵は神を知ることなり。キリストをもって顕れたる神の奥義を識ることなり。
 知識をもってこれを了解し、また霊魂の深きところにおいて、これを実得することなり。
●<最大の賜物>(内村鑑三
 全世界にあらず、
 善知識にあらず、
 聖徳にあらず、
 長寿にあらず、
 聖霊なり。
 神を知るの知恵なり。
 死に勝つの能力(ちから)なり。
 しかして神はこの最大の賜物を、キリストによりて、われらに下したもう。
●人の生涯は、いつか突然、単純な信仰の境地が訪れて、神への愛がなければ、
 どんな信仰も、また神の意志についてのどんな歴史的な、あるいは教養的な知識も、
 魂の向上に役立たないことがわかり、反対に、心のなかに神への愛があれば、
 一切が明らかになり、やさしく、簡単になる、ということを示される。
 我々はこのような境地に達しなければならない。そうなれば、我々は全ての哲学書
 神学書を閉じてよろしいし、またそうしたくなる(ヒルティ)

歴史的にアジア諸民族やアラブ民族の方が、現在のヨーロッパ系民族よりも、文化的には
発展していたことは事実です。

漢民族からは「蛮族」とまで呼ばれていたヨーロッパ民族が急激に発展進歩できた理由は
【神の愛=主イエス】を知って<知識の始め>としたからだと私は理解しています。

彼等は知的好奇心と探究心に目覚めてアラブ民族やアジア諸民族や古代ギリシャの文明・
文化を研究し吸収し、あらゆる物事を科学的に考察することに成功したのだと思います。

そして教会権威が独占していた【聖書】まで「もっと知りたい!」という<霊的欲求>が
<個人的信仰>に導く宗教改革を起こし、現代のプロテスタント諸教会が生まれました。
「もっと知りたい!」<霊的欲求>が【自由主義】【民主主義】を産み出したといえます。

その欧米人が奴隷制度や植民地政策や帝国主義を行ってきたことを批判する事もできます。
確かに【神の愛=主イエス】を知ったからと言って、それで全て善くなる事はありません。

あえて弁護するなら、ヨーロッパ系諸民族は迫害と侵略の繰り返しの中で生き延びてきた
<長い歴史>があり、他民族に何度も侵略された記憶を持たない私たちには理解しがたい
血塗られた残虐性がヨーロッパ系民族の<根底>には潜んでいると思います。

それは、ライオンや虎のような肉食獣のように、いくら家畜化されても、その<牙>は
消えないように、日本的に言うならば<宿命>や<性(サガ)>ともいえるでしょう。

そんな残虐性を持つ<血><宿命><性分>があっても【神の愛=主イエス】を知る事で
現代の先進的な民主主義国家を築けるような民族になりえたことが感動的であり驚異です。

私たち個人においても同様であり、【神の愛=主イエス】を心に受け入れて親密になって
【神の愛=光・隣人愛】に近づけば近づくほどに、自己の【闇:不完全・悪徳・弱さ】も
真昼の太陽の下のように鮮明に<濃い影>となって、イヤというほど痛感させられます。

●汝の道を主にゆだねよ、主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
 光のごとく汝の義をあきらかにし、真昼のごとく汝の訴えをあきらかにし給わん
詩篇37-5~6)
●正しい者(心の素直な者)の道は夜明けの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる
 (箴言4‐18)

【神の愛=主イエス】を知って素晴らしい事とは、どんな【闇:不完全・悪徳・弱さ】を
知ろうとも【神の愛=主イエス】に信愛して【憎悪の精神】で打ち勝てることです!

【闇:不完全・悪徳・弱さ】を自覚して、降伏したり、屈服したり、降参するのではなくて、
自己でも【隣人・社会】でも【神の愛=隣人愛】に反する【闇=悪】には【憎悪の精神】で
「私は反対!」と【プロテスタンティズム・異議申し立て!】に立ち上がる事が始まりです。

●私の敵よ、私のことで喜ぶな。たとえ倒れても、私は起き上がる。
 たとえ闇の中に座っていても、主こそ我が光なり(ミカ書7-8)

中国政府は「過去に弾圧侵略した欧米人に言われたくない!」という言い分があるでしょう。
しかし【神の愛=主イエス】に信愛する欧米人は<過去:宿命・血・性分>が何であろうと、
【闇=悪】に対しては【憎悪の精神】で<絶対反対!>とさらに立ち上がることでしょう。

キリスト教会主義>の横暴・偽善や資本主義の暴走に【憎悪の精神】で<反対>した事で
社会主義共産主義人道主義が生まれたと思いますが、さらに共産主義の暴走に対しても
【神の愛=隣人愛】に反するならば、【憎悪の精神】で<断固反対!>と立ち上がります。

●偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語れ(エペソ書4-25)

激しい【憎悪の精神】も最善活用して【闇=悪】を【光】に導き<善循環>させてくれる
【神の愛=主イエス】は【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】です!

●起きよ、汝の光を放て、主の光が臨み、主の栄光が汝の上に輝いているからだ
 見よ、闇が地をおおい、暗闇が諸国の民をおおっている。
 しかし、汝の上には主が輝き、主の栄光の臨在が汝と共にある
 国々は汝の光の内に歩み、王たちは汝の輝きに照らされて歩む(イザヤ書60-1~3)
●光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。
 明らかにされるものはみな、光となるのです。
 それで、こう言われています。
 「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。
  そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」(エペソ書5-13~14)
●「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、私たちの心の内に輝いて、
 イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光の知識を明らかにし悟るために、
 光で照らして下さったのである(コリント後書4-6)

★★【その2】につづく★★