【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

★AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS LOVE!★AMEN!HALLELUJAH!GLORY JESUS KINGDOM!★Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

敗けっぷりで大勝利に導く【神の愛】

【2011年2月5日に作成した<第553回>に加筆】
◇◇<敗けっぷり>で<圧倒的大勝利!>に導く【神の愛=主イエス】!◇◇

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!

ここ数年日本の伝統的文化となっている相撲を大手メディアが一斉に批判攻撃しています。
日本民族にとって<相撲>は単なる格闘技やスポーツ競技でない側面があると思います。
ご存知のように、神話に始まって、神に捧げる祭事であり、武士道精神を明示しています。

私が幼少の頃の相撲は、勝利者に求められる品格も重要ですが、それより印象深いのは
敗北者の<負けっぷり>でした。

体格差があって階級や経験で劣っていて<負け戦>が明らかでも正々堂々と立ち向かって
完敗する見事な<敗けっぷり>の勇姿を見ていると勝敗を超えた感動を覚えたものです。
【神の愛=主イエス】を体感できた今なら【キリスト精神】に通じる事が理解できます。

●戦いに勝って勝つのではない、真理に従って勝つのである。
戦いに負けて負けるのではない。真理に反して負けるのである(内村鑑三
●負けて勝ち、踏みつけられて立ち、殺されて活くるのがキリスト信者の生涯である
(内村鑑三

現代の相撲に問題があるとすれば八百長や賭博にあるのでではなく、勝ち敗けを超えた
<心・技・体>や<武士道精神>から産まれる【真・善・美】の欠如だと思います。

●武士道(内村鑑三
-正直なること
-高潔なること
-寛大なること
-約束を守る事
-借金をせざること
-逃げる敵を逐(オ)わざること
-人の窮境に陥るを見て喜ばざること

200年以上繁栄した徳川幕府の精神的支柱となった徳川家康が重んじた<家訓>にも
興味深い教えがあります。

●勝つことばかり知りて、敗くることを知らざれば、害その身に至る(徳川家康

ご存知のように、【主イエス】こそ、<最高!最善!最美!>の<敗けっぷり>によって
<圧倒的大勝利!>を実現する手本であり、【神の愛の方程式=摂理】そのものです。

●キリストは、神の身分であり神の御姿であられる方なのに、神と等しい者である事に
  固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、仕える僕の身分となり、
人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで
従順であられたこのため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名を
お与えになりました(ピリピ書2-5~9)
●羞恥に始まって栄光に終り、十字架に始まって復活昇天に終る(内村鑑三
●人の計画は成りて敗れ、神の計画は敗れて成る(内村鑑三)
●正義は負けて興り、不義は勝ちて滅ぶ(内村鑑三
●主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
主は渇いた魂を満ち足らせ、飢えた魂を良いもので満たしてくださった
詩篇107-8~9)

●あなた方には この世で患難辛苦がある。しかし、勇気を出しなさい。
私は既に世に勝っている(ヨハネ伝16-33)

私たちが心に抱く<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢念・大志】を
実現するには、一時的に連戦連敗にあろうと、たとえ何度倒れても再起し挑戦し続ける
見事な<敗けっぷり>の態度を示して、、自己都合や思い込みで妥協や放棄することなく、
【先人・偉人の教え:名言・格言】が励ましてくれる【神の愛の方程式=摂理】に従って
【ビジョン:理想・夢念・大志】を<人生の旗印>に高く掲げて勇進しましょう!

●彼の卑しき人は小事を爲さむとして、其を見て果し、
此の貴き人は大事を求めて、其を知らず逝く
彼の卑しき人は、一に一を加へて百に達し、
此の尊き人は、百萬を目指して一をも得ず(ブラウニング)
●我らのつとめは成功にあらず。失敗にたゆまずして、さらに進むことなり
 (スチブソン)
●自分の仕事が好きでなければ、本当の成功は望めない。
多くの成功者は何度も他の仕事で失敗を重ねて、やっと自分のやりたい仕事を
見出している(デール・カーネギー
●効果だと?
影響だと?
役に立つかどうかだと?
人間は自分のなすべきことをなせばよいのだ。
仕事の成果は、自分以外の人が気にかけることだ(カーライル)
●命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。
此の仕末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり
(西郷隆盛
●事を成し遂げる秘訣は、一時に、ただ一事をなすにあり(リンカーン
●つねに行為の動機のみを重んじて、帰着する結果を思うな。
報酬への期待を行為のバネとする人々の一人になるな(ベートーヴェン
●目標に近づくほど、困難は増大する(ゲーテ
●失敗は罪ではない、目的が低い事が罪である(内村鑑三
●機会を活かして十分に用いよ!(エペソ書5-16)
●困難の中に、機会がある(アインシュタイン
●失敗とは、よりよい方法で再挑戦する素晴らしい機会である(フォード)
●一度に「海」をつくろうと思ってはならない。まず「小川」からつくらねばならない
ユダヤの格言)
●敗北を恐れるな。敗因が明らかな時ほど勝利が近い時もない(ヘンリービーチャー)
●過去は顧みず、現在を充実させ、更に雄々しく未来を迎えよ(ロングフェロー
●間違いをおかしても、深刻なものであっても、やり直す機会は必ずある。
失敗とは転ぶことではなく、そのまま起きあがらないことなのです
メアリー・ピックフォード
●夜のあとには  朝が来る。
冬のあとには  春が来る。 
嵐のあとには  日光にあふれた世界が来る。
敗北のあとには チャンスが来る(ロバート・シュラー)
●「つらい!」と言うのか。そんなことは 百も承知している。
しかし、前進せよ。素晴らしい報酬を受けるのは、勇敢に戦った人だけなのだ。
(聖ホセマリア・エスクリバー)

私たちが【神の愛=主イエス】と【信仰:信愛・信頼・信従】で結ばれることによって
心に抱く【ビジョン:理想・夢念・大志】に挑戦して、何度<ノック・ダウン>しても
<ノック・アウト>せず踏み留まって連戦連敗にも【大希望:聖望!聖願!聖欲!】の
<不屈の楽観・楽天主義>【パッション:受難覚悟の情熱・熱血・気迫】の心意気で、
勇進し続ける見事な<敗けっぷり>を示せば、【神の愛=主イエス】は喜んで私たちを
<圧倒的大勝利!>へと助け導いてくれます!

●神に感謝します。神は、私たちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、私たちを
通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。
救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、
私たちはキリストによって神に献げられる善い香りです(コリント後書2-14~15)
●主のたまわく、苦しむ者が踏みにじられ、貧しき者が嘆くがゆえに、我いま起ちて、
これをその慕い求むる平安におかん(詩篇12‐5)
●だれが、キリストの愛から私たちを引き離すことができるというのか。
患難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危難か。剣か。
私たちは、これら全ての事において、私たちを愛して下さる方によって輝かしい
圧倒的勝利者となる (ロマ書8-35~37)
●激しく攻められて倒れそうになった私を、主は助けてくださった。
主は我が力、我が砦、我が歌。主は私の救いとなられた。
聞け、御救いの勝利の喜ばしい歌が主に従う者の天幕に響く。
主の右の手は勇ましい働きをなし、
主の右の手は高く上がり、主の右の手は御力を示す。
私は 死ぬことなく、かえって生き長らえて、主の御業を語り伝えよう
詩篇118-13~17)
●全て神から生まれた物は、世に打ち勝つ。私たちの信仰こそ、世に打ち勝つ勝利の力である。
世に打ち勝つ者は誰か。イエスが神の子であると信じる者ではないか
(ヨハネ第1書5-4~5)
●わたしは、わたしの勝利を近づける。それは遠くはない。わたしの救いは遅れることがない。
わたしはシオンに救いを与え、イスラエルにわたしの光栄を与える(イザヤ書46-13)

皆さんが最後の最後には<圧倒的大勝利!>で人生の成功を勝ち取るために、一時的には
連戦連敗の見事な<敗けっぷり>を覚悟して心に抱く【ビジョン:理想・夢念・大志】を
<人生の旗印>に高く掲げる【愛と自由の戦士:神の僕・忠義の愛子・光の子】となって
世界を舞台に活躍されることを心より応援しています!

●悲しみ憂えてはならない。主を喜び祝うことこそ、あなた方の力の源であるからだ
(ネヘミヤ記8-10)
●人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。
その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。
主がその手をささえておられるからだ(詩篇37‐23~24)
●私が、どんなことがあっても恥じることなく、
かえって、試練の時も、いつものように、
キリストのために、大胆に語ることによってキリストのすばらしさが現わされて,
生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、
希望している。私にとって、生きる事は、キリストのために良い機会を得た事を意味し、
死ぬことは、さらにすばらしいことを意味する(ピリピ書1-20~21)
●私たちは落胆しない。たとい私たちの外なる人は滅びても、内なる人は日々新たなり。
一時的な(しばらくの)軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりに
私たちに得させる(生み出す)。私たちは見えるものでなく、見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的であって、見えないものは永遠に続く (コリント後書4-16~18)
●The Best is yet to come!<最善の時はこれからだ!>
ロングフェロー
●<最善の最後>(内村鑑三
信者の生涯は始めは悪くして、終わりは善くある。
終わりに近づくほど、ますます善くある。
最後(ラスト)が最善(ベスト)である。