【2014年3月24日に作成した<第628回>に加筆】
◇◇【パッション:具現化原動力】で<神愛力>に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読に感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
明治時代に北村透谷が「パッション」を情熱と訳したそうです。そのため私自身も
最近まで「心に内に燃える熱意・熱情」だと思い込んできました。
ところで「THE PASSION」はイエスの十字架上の「受難」を意味し、別の見解では
<人類史上最悪最大の患難辛苦〉直前最後に捧げる<ゲッセマネの祈り>の際の
苦難自体を示すとも言われています。
●【ゲッセマネの祈り】(マタイ伝26‐36~44、マルコ伝14‐32~42、
ルカ伝22‐39~46)
◆「私は悲しみのあまり死ぬほどである」(マタイ伝26‐38、マルコ伝14‐34)
◆「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。
どうか、この杯を私から取りのけて過ぎ去らせて下さい。
しかし、私の思いでなく、御心のままになさってください。」
(マタイ伝26-39、マルコ伝14‐36)
◆イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。
そして、その汗が血のしたたるように地に落ちた(ルカ伝22-44)
そこで<不屈の楽観・楽天主義>【パッション:受難覚悟の情熱・熱血・気迫】と
これまでは定義してきました。しかし、最近の実体験による霊的解釈のおかげで、
<不屈の楽天・楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】と
体感できるようになりました!
【ビジョン:理想・夢念・大志】や【ミッション:大義・使命・天職】のように、
<内なる声>として体感・自覚できるものと異なっていて、【パッション】とは
最悪な逆風・逆境の<どん底人生>にあればあるほど、<患難:闇・マイナス>を
<最善:光・プラス>へ転換する<原動力・具現化力>であり、その能力発揮には
<共感能力:感受力・感化力>を<パワー・アップ&アップ・グレード>させます。
神愛特権として【ビジョン:理想・夢念・大志】を人生目的と体感するようになり、
自己本位の実現手段として【ミッション:大義・使命・天職】を自覚・体得できて、
原動力・具現化力として【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】が
万物に託された【タレント:個性・才能・可能性】だと実感できます。
●あらゆる存在は、その特性に従って自己を発展させ自己を実現する生まれつきの
衝動を自分のうちに持っている(ヒルティ)
私の人間力・自助努力では【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】に打勝てず、
せっかくの元気の源の【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】さえ
<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>に吹き消されてしまいます。
私の【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】を最善に喚起するのは、
手に触れられる十字架ネックレス、指ロザリオ、私の<人生の旗印>ロゴ印鑑と、
いつどこでも<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>と讃美礼拝する事であり、次に
【聖書・真理の御言葉】、第三に【主の祈り】、第四に【讃美歌・君が代】があり、
第五には【先人・偉人の教え:名言・格言】が<いつも一緒!>です!
●心に植えつけられた御言葉を素直に受け入れなさい。
御言葉にはあなた方の魂を救う力がある(ヤコブ書1‐21)
●信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについての御言葉(による
(ロマ書10-17)
●あなたの御言葉は、私の足のともしび、私の道の光です((詩篇119ー105)
●どのようにして若者は自分の道を歩む道を清く保つことができるでしょうか。
御言葉に従って道を保つことです(詩篇119-9)
●御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある(ロマ書10‐8)
私が肉体的に救急搬送・緊急手術で救命された時、経済的危機に追込まれた時も、
<7つの大罪:傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲>や不安や恐怖などの
毎日毎時追込まれても、【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】で
【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】を吹飛ばし<不屈の楽天・楽観力>に
導いてくれます!ハレルヤ!主の恵みに感謝します!
●あなたの顔を光に向けていなさい。そうすれば影は見えません。
いつも真理に目を向けていなさい。
そうすれば、あなたの心から不安、心配は消えるでしょう(ヘレン・ケラー)
●<無限と希望>(内村鑑三)
神の愛は無限なり、かれの時もまた無限なり。
無限の愛を行うに、無限の時をもってす
いかなる善事をか成し得ざらんや。
われらはわれらの救拯(すくい)について失望すべからざるなり。
●主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
主は渇いた魂を満ち足らせ、飢えた魂を良いもので満たしてくださった
(詩篇107-8~9)
【聖書】は「喜べ!」が800回、「恐れるな!」が365回も記されているそうですが、
【聖書】【讃美歌】は<不屈の楽天・楽観力>に満ちていて、たとえ今日現在が
最悪の<どん底状態>でも、感情のおもむくまま、泣きながら、怒りながらでも
口ずさめば、直ぐに感化されて、闇深いほど、活き活き元気に導いてくれます!
●これまでに書かれた事がらは、すべて私たちを教え導くためのものである。
それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みを抱かせるためである。
どうか忍耐と励ましと慰めの源である神が、
あなた方に、キリスト・イエスにならって互いに同じ思いを抱かせ、
心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神を
ほめたたえあがめさせて下さるように(ロマ書15-4~6)
●あなた方が、弱り果てて心が元気を失い、疲れ果ててしまわないように、
あなた方は、御自分に対する罪人たちの反抗を
耐え忍ばれた主イエスのことを考えなさい(ヘブル書12-3)
●希望はわたしたちを欺くことがなく失望に終わらせない。
わたしたちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからである(ロマ書5-5)
●希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とで
あなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせて下さる
(ロマ書15-13)
●神の力強い活動によって働く力が、私たち信じる者にとって、いかに
絶大なるものであるかを、あなた方が知るに至るようにと祈っている
(エペソ書1-19)
●神が私たちに求め給うのは、私たちと共にいますこと、
神に心を寄せる者を見出して、その心を神みずからの霊によってさらに育て、
かつ、生き生きとさせること、これ以外の何ものでもない(ヒルティ)
●ほむべきかな、私たちの主イエス・キリストの父なる神。
神はその豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、
それにより、私たちを新たに生まれさせて、生き生きとした希望を抱かせる
(ペテロ第1書1‐3)
惨めな連戦連敗で世間的に<逃げ腰・及び腰・弱腰>の<どん底人生>になろうと
<不屈の楽天・楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】は
どんな<闇:患難辛苦>でも<神助:祝福・恩恵>に導く善転力・感化力で導いて
<無限大!>の【ダイナミック・パワー:堅信力・耐望力・熱愛力】に溢れさせ
<一日一生!日々新た>【バイタリティ:生活力=生命力+活力】アップさせて、
<神助体得能力(セレンディピティ):霊能活気・自由想念・独立決起>を発揮させて、
私の<自力・自助努力>では不可能でも、<神愛力・神助努力>で可能性に導いて
<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢念・大志】を<人生の旗印>に
<生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】に再起させてくれます!
●私はあなた方に平安を残して行く。私の平安をあなた方に与える。
私が与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。
あなた方は心を騒がせるな、また怖じけるな(ヨハネ伝14‐27)
●患難を避けんとするなかれ、これに勝たんとせよ。
独り自らこれに勝たんとするなかれ。神により勝たんとせよ(内村鑑三)
●沈黙せよ、苦しめ、耐えよ、おまえの苦しみは誰にも訴えるな、
決して神に絶望するな、おまえの助けは日毎に来るのだ(ルター)
●我が魂よ、沈黙して、ただ神に向かい、神を待ち望め。
我が望みは神から来るからである(詩篇62-6)
●我等に臨む患難は多し、されど主は我等をみなその中から援け出し給う
●神は神を愛される者と共に働いて万事を益となるようにして下さる(ロマ書8-28)
●汝ら立帰りて静かにせば救いを得、平穏(オダ)やかにして依り頼まば力を得べし
(イザヤ書30‐15:ルター特愛の聖句)
今日現在が、世間的に孤立無援で行き詰まり、<どん底人生>にあったとしても、
自力・自助努力では到底解決不可能に思われる<患難辛苦>に直面していようとも
皆さんが【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】の心意気を持ち
<不屈の楽天・楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】を
【聖書・真理の御言葉】【讃美歌】【先人・偉人の教え:名言・格言】で呼び込み
<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢念・大志】を一歩でも前進させ
<生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を見事に完走するまでは
<不死身!不滅!不退転!>の活躍をされることを心より応援しています!
●私たちは四方から患難を受けても、窮しない
途方にくれても、行き詰まらない
迫害にあっても、見捨てられない
倒されても、滅びない(コリント後書4-8~9)
●人に知られていないようで、認められ
死にかかっているようで、生きており
こらしめられているようで、殺されず
悲しんでいるようで、常に喜んでおり
貧しいようであるが、多くの人を富ませ
何も持たざるようで、全てのものを持っている(コリント後書6‐9~10)
●情熱には真の魔力がこもっている。
それが並の出来と偉業との違いをもたらすからだ(ノーマン・ピール)
●<困難の歓迎>(内村鑑三)
困難は我をして神に接近せしめまた人に鍛接せしむ
困難は我の単独を破り、我をして人類の一員たらしむる。
尊むべきかな困難!(内村鑑三)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、
これに対抗することはできるであろう。私は神のおかげで困難になれてきた。
神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムエル)
●人の歩みは主によって確かとされる。
主はその人の道を喜ばれる。
その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。
主がその手を支えておられるからだ(詩篇23‐24)
●人はその職を終了(オワ)るまでは不滅なるがごとし(リビングストン)
●我が事業の成るまでは我が死なざること、そのことは確実である(内村鑑三)
●人々が「失われた」と言うところで、神は「見いだした」と言い、
人々が「裁かれた」と言うところで、神は「救われた」と言い、
人々が「否」というところで、神は「然り」と言う。
人々がなげやりな気持や、高慢から、目をそらせるようなところで、
神は他のどこにもない愛のこもった目を向けるのである(ボンヘファー)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主の恵みに感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します。
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田中 聡(さとし)