◇◇やさしくて強い【神の愛=隣人愛】(その1)◇◇
【2003年6月13日に作成した<第306回>より】
これから求められる【リーダー像】を考える
現代日本社会は混迷の危機にあると感じます。政治・経済・教育などあらゆる分野で
改革を断行してくれる新たな【リーダー】が求められているのではないでしょうか。
旧約聖書はユダヤ民族全体が【神の愛】に反し忘恩・堕落する【失敗の記録】であると
同時に、偉大な【リーダー:指導者・預言者・英雄】が個人的信仰により【神の愛】に
選ばれ独り起ち上がりユダヤ民族全体を再起・復活させた【祈りと感謝】が示された
【歴史的記録】ともいえます。
●イスラエルは、その追い求めているものを得ないで、ただ選ばれた者が
それを得た。他の者はかたくなになった(ロマ書11‐7)
●イスラエルの歴史は、国民の歴史ではなくして、英雄(預言者)の伝記である。
民衆の奮起を待たずして、神に信頼する信仰の勇者が独り立って救済を施した、
その事蹟の記録である(内村鑑三)
●聖書は祈りの歴史であり、祈りが答えられた記録(賀川豊彦)
驚くべき事は、当時の大国家エジプトを相手にして、民族全体の奴隷解放に挑み
現代にまで通じる全人類のために自由解放独立運動の【先駆者】となってくれた
モーゼは勇気と信念はあっても、彼自身は謙虚でいつも神にすがって助けを求め
とても口下手だったので、兄のアロンがモーゼの代弁をしたと記されています。
(出エジプト記4-10)
あの偉大なモーゼでも、実は内心は臆病者で自分が弱く無力である事をよく知る
とても謙虚で世間的には控え目な人物であった証明です。
映画「十戒」でチャールトン・ヘストン演じるモーゼのような姿ではなかったと
いえるでしょう。
ご存知のダビデにしても、全人類史上に「王の中の王」と言われるほど偉大である
理由は、単なる勇気と信念と実行力と知恵と強いリーダーシップがあったからでは
ないと思います。ダビデは最高権力の天国を経験した時に、苛酷な地獄なる苦難を
個人的に体験して、なおかつ【神の愛】に立ち戻れた【先駆者】だからです。
●諸民族を、その間違った道から神への信仰へ連れ戻すために、苦難の時代が
やって来なければならない場合に、普通、神は先ず幾人かの個人に苦難を
なめさせ、そのあとで、これらの人たちがその他の人々に向かって、自分
たちの経験に基づくゆえに、確信をもって教え説くことができるように導き
給う。そうすれば、この先駆者たちは、一般の人々の苦難の時にも勇気を
失うことなく、なお救われる見込みのある者を励ますに違いない(ヒルティ)
名も無き羊飼いの優しい少年は、家族からも目立たない存在だったのに、預言者に
見出されて、まだ建国もされていなかったユダヤ国家における【神の定めた王】に
なることを宣言されます。やがて預言通りにダビデは英雄に祭りあげられ、やがて
偉大な権力者へと出世します。
あの信心深く誠実なダビデでも、権力の魔物に襲われてしまって姦淫と殺人という
過ちを犯してしまい【本当の自分】を見失ってしまうのです。
最早、権力に狂ったダビデに忠告する勇気ある者など側近には独りもいませんでした。
まさに、現代でも通じるように権力者は「裸の王様」になってしまう危険にあります。
ダビデ個人が犯した悲劇こそ、【権力者の理想】を全人類に示すための【試練】だと
私は信じます。ダビデはたった一人の信仰厚き預言者ナタンの勇気ある警告によって
【神の愛】に立ち帰ることができたのです!(サムエル後書12-1~7、詩篇52章)
ダビデは王・権力者として「天国と地獄」を経験したおかげで、最高の権力者にして
最も謙虚で優しい心の持ち主になれたのです。だからこそ王の中の王だと信じます。
●兄弟たちよ、あなた方が召された時のことを考えてみるがよい。
人間的には知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い
者も多くはいない。
●それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、
強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
●有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、
すなわち無に等しい者を、あえて選ばれたのである。
●それは、どんな人間でも神の御前に誇ることがないためである。
●あなた方がキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に
立てられて、私たちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
●それは「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである
(コリント前書1‐26~31)
【神の子】なる【主イエス】の【愛の神】が登場するまでは、旧約聖書に登場する
【天の父】なる【義の神】は、とても強くて厳格なだけの【恐れられる存在】だと
思っている人は私を含めて多いのではないでしょうか?
内村鑑三は1900年当時にあって、21世紀の現代にこそ大いなる感動を与えてくれる
発見を紹介してくれたのです。それは、モーゼが【十戒】に基き様々な日常生活の
行動規範を記した「申命記」の中の発見です。
生活が豊かで快適で安全になった先進国社会を中心にして、今は常識となっている
動物愛護精神や人権や人道主義の【根本精神】が実はモーゼ時代に【神の愛】から
与えられていたのです!
砂漠の中で生きるか死ぬかの苛酷な40年間を過ごしている【流浪の民族】に向けて
【天の父】なる【義なる神】は未来に私たちに通じる【神の慈愛】を示したのです。
それは世界の民族と動物が仲良く共生できる理想社会の【根本精神】であります。
<人類みな兄弟の世界人(コスモポリタン)精神!>
●外国人を愛すべし。それは汝等もエジプトの国において外国人たりし事あればなり
(申命記10-19)
<食物となる家畜への感謝と動物界の親子愛への配慮=同胞の人権尊重・人道主義>
●汝、子山羊その母の乳にて煮るべからず(申命記14-2、出エジプト記23-19、34-26)
⇒動物の親子の愛情を重んじることは同胞への愛情へ通じる
動物に冷酷なることは同胞へも冷酷となる!
自らも柔和な温情な人となれ!(内村鑑三)
●汝、鳥の巣の路の辺、または樹の上、または土の上にあるを見るに、ヒナまたは
タマゴ、その中にありて母鳥そのヒナまたはタマゴの上に伏し居らば、その母鳥を
ヒナと共に採るべからず。必ずその母鳥を去らしむべし、ただそのヒナのみを
採るも可なり、然かせば汝、福祉(サイワイ)を獲、かつ汝の日を永くするを得ん。
(申命記22-6~7)
⇒獣に対して無慈悲なるなかれ。鳥に対して慈悲深かれ、鳥の巣を乱すなかれ、
小鳥とヒナもこれを孤児とするなかれ(内村鑑三)
<労働差別の禁止・人間だけでなく動物にまで配慮する平等思想>
●穀物をこなす牛に「くつご」をかくべからず(申命記25-4)
★「くつご」牛馬などの口にはめるかご。農作物や道の草を食わないように、また、人にかみつくのを
防ぐためのもので、鉄またはなわの網で作る。くちのこ。Kokugo Dai Jiten Dictionary.
Shinsou-ban(Revised edition) ゥ Shogakukan 1988.国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988.
⇒家畜を愛し、家人として扱うべし、労働の勝利はこれを家畜にあっても認めよ!
報酬の分配に預かれるは当然(内村鑑三)
★★【その2】につづく★★