【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

小便小僧に示す【神の愛】

◇◇【使命・天職】=【神の愛】の規定に基づいた【競争・競技】◇◇
【2003年8月3日に作成した<第311回>より】

●競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ栄光は得られない
 (テモテ後書2-5)
●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、
 一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競争を
 耐え忍んで走りぬこうではないか。
 信仰の導き手であり、また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、
 走ろうではないか(ヘブル書12‐1~2)
●後のものを忘れ、前のものに向かって体を伸ばしつつ、目標を目指して走り
 キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与(栄光)を得ようと努めて
 いる(ピリピ書3-13~14)
●あなた方は知らないのか、競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者は
 ひとりである。あなた方も賞を得るように走りなさい(コリント前書9‐24)

【聖書】には【競争・競技】という言葉が何度か使われています。【競争】には
勝利を目指して勝ち抜く「弱肉強食」や「優勝劣敗」の苛酷さを感じさせます。

しかし、【競争】の語源である「competent」の本来の意味を考えてみると、
多少ニュアンスが異なるようです。

「共に求める ⇒ 一致する ⇒ 適する ⇒ 適任者として有能である」

つまり、競争の目的とは「誰が最適であるかを決めること」であるともいえます。

【聖書】で【競争・競技】が使われるのは、当時の世界的文明はギリシャ文明であり
ギリシャ人気質】に合わせて【使命・天職】の道を表現したのだと、私は思います。

【創造主=神の愛】が生来【我々=被造物】に求める【ビジョン】と、私たち自身が
求める【ビジョン】とが、初めは異なっていても、やがて一致して適するものとなり、
【能力】を有する【適任者】となる事が勝利であり、栄冠であり【キリスト精神】の
目指す【競争・競技】だと、私は考えるのです。

従って、我々が目指す【競争・競技】とは、他の誰かと比較されたり競うというより
個人的なチャレンジであり、【神の愛】に向けて自分を演じる【オーディション】と
いえるのではないでしょうか。

【競争・競技】を判定するのは、この世の権威や世間ではなくて【神の愛】だからです。

詳しい話は知りませんが、聞くところによると「小便小僧」の銅像が生まれた背景には
感動的なエピソードがあるそうですね。間違っていたらご容赦下さい。

ヨーロッパの独立運動にあったベルギーがどこかの国で、有名な彫像芸術家がいました。
彼が誇りとする作品は敵対する勢力に破壊されて、芸術の力も意義も感じなくなります。

独立できずにすっかり自信を失っていた大人たちは、絶望感から戦意も勇気も失います。
ついに街が包囲され砲撃によって、このままだと炎で街がすっかり焼けつくされそうに
なる危機にも、もはや大人たちは誰も目の前の火を消そうとする気力すらありません。

そんな時に、年若き少年が、勇敢にも自分の小便で目の前の火を消そうとしたのです!
【巨人ゴリアテ】に独り立ち向かって勝利した【少年ダビデ】の活躍に示されるように
(サムエル前書17章)いつの時代でも【少年の心】が危機から我々を救済してきたのです。

●【国家の危殆~国家の指導者】
 人によらずして神へ頼んで国家の指導を小児にゆだねるべし(内村鑑三
●有限の我等が無限の神に対して幼な心を懐くにいたって救われる。
 すなわち、幼な子となりて救われる(内村鑑三

弱肉強食の【肉食の世界】が根絶されて【愛の世界:エデンの楽園】が復活される時も
私たちを導いてくれるのは【小さき童子(ワラベ)】であると預言されています。

●狼は子羊と共に宿り、ヒョウは子山羊と共に臥し、子牛、若獅子
 肥えたる家畜共にありて小さき童子(ワラベ)に導かれん。
 雌牛と熊とが共に草を食べ、その子らが共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。
 乳飲み子はコブラの穴の上で戯(タワム)れ、
 乳離れした子はマムシの子に手を伸べる。
 私の聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。
 主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである(イザヤ書11-6)

大人たちは、少年の勇気に目覚めるのです。彼らは再び独立運動に立ち上がり、見事に
実現できたそうです。

少年の勇気によって、芸術家もまた目覚めたのです。彼は芸術家として目指すべき道を
再発見しました。芸術家の生涯において最善最高の作品を造る【チャンス】を得たのは
まさしく【神の愛】の【競争・競技】において勝ち残って【有能な適任者】に選ばれた
【愛の勝利者】である証明だと思います。

【Accidental Hero(思いがけない英雄)】である無位無冠の【少年の心】の愛と勇気に
感謝して【愛の勝利】を永遠に伝えることこそが、彼の【使命・天職】であったことは
21世紀の極東の現代の日本にも「小便小僧」がたくさん観られることで納得できます。

●ある人の生涯における最大の日とは、その人の歴史的使命、すなわち
 神がこの世で彼を用いようとするその目的が明かにわかり、また、
 これまで彼が導かれてきたすべての道がそこに通じているのを悟った
 日のことである(ヒルティ)

名も無き【少年】もまた、我々に勇気と感動を与えてくれる【有能な適任者】として
【神の愛】の【オーディション】に選ばれ【競争・競技】に勝利した事は言うまでも
ありません。

●神の御心にかなうことを求め行なう以上に快い気分を覚えさせ喜びを与えるものは
 ない(トマス・ア・ケンピス)

恥ずかしながら、私は今日まで【小便小僧】の【真の偉大】さを知りませんでした。
この世で隠された【栄冠】が【真の栄冠】で、不滅の【愛と勇気の存在】になる事を
改めて教えられ感動しています。ハレルヤ!主に栄光を帰します!

●ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる(詩篇37‐16)
●人々の間で尊ばれるものは、神のみ前では忌み嫌われる(ルカ伝16‐15)

私たち各自にも神に決められた【競争・競技】が【使命・天職】として準備されていて
【神の愛】の前で【オーディション】を受けて、【有能な適任者】に選ばれましょう!

●あなたが私を選んだのではない、私があなたを選んだのである(ヨハネ伝15-16)
●いつも神の御意(御心)がお前に欠けるところがなく成就されるように願い、
 かつ、祈りなさい(トマス・ア・ケンピス)

皆さんが【競争・競技】に見事に勝ち抜いて【愛と自由の戦士】として活躍される事を
心より応援しています。

●人間の力の秘密は、神の道具であるという性質にある。何故なら、全ての
 永続的な真実の力は神のものであって、人間のものではないからである
 (ヒルティ)
●あなたの神、主は、あなたのただ中におられる救いを施す勝利の勇士だ。
 主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与え
 新しくされる。主は高らかに歌って、あなたのことを喜び給う(ゼパニヤ書3-17)