【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

★AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS LOVE!★AMEN!HALLELUJAH!GLORY JESUS KINGDOM!★Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

BigRock⇔【神の愛=三位一体】②

◇◇ ビッグ・ロック(Big Rock)⇔ 【神の愛=三位一体】による天地創造!(その2)◇◇
【2002年9月12日に作成した<第271回>に加筆】<改訂版・再掲載>
2002年9月8日(日)早朝4:00NHKラジオ「心の時代~プロジェクト21私学の会」を聞いて

★★【その1】のつづき★★

進化とは何でしょうか?進化とは【神の愛】によって、各自に予め備え与えられていた【タレント:個性・才能・可能性】を発揮育成させることであり、自己都合だけの【自己愛:自己保存・自己欲求】から生まれるものではないと思います。

●進化(evolution)とは開発、中に隠れたる者が外に顕れること(内村鑑三
●内に誠あれば、必ず外に顕るる(二宮尊徳
●【独立の確信(中江藤樹)】
 知らざりし 外に求むる いろいろの ちから我が身の うちにありとは

厳正なる【天然の摂理】もまた、【神の愛=隣人愛】に満ち溢れているからこそ、天然世界も人間の心も繊細でありながら荘厳であり、木目細かくてダイナミックでありながらも、愛の秩序が保たれ、滅びずに守られているのだと実感できます。

●神は愛なり、宇宙は愛の機関なり(内村鑑三
●神は時おり、自然の出来事や自然の事物を通して、私たちに話しかけることもある(ヒルティ)

未だに前人未到の海底や地の底にも、新たな生物の存在が発見され続けていますが、どの生物も自分勝手に好き放題に生きているのではなく、<相愛互助・互助友愛>による【神の愛=隣人愛】の秩序が存在していることが善くわかります。

●愛は神の霊としてこの世に満ちみちている(ヒルティ)

ケニアでは母ライオンが獲物であるオリックス(牛の一種)の迷子を育てる愛情物語が紹介され、動物園内の天敵関係にある種類同士の子育てが報道されています。人間が踏み込まなかったガラパゴスには肉食獣はほとんど存在せず、肉食のはずのイグアナも、わざわざ海中に潜って海草を食べている姿を見る時に、肉食文化とは人間が初めに行ない、それを動物たちが真似て生まれた<禁断の習慣>だと私自身は信じています。

動物は環境さえ整えれば、肉食も殺戮も止めることは可能でも、人間だけが、たとえ自由で豊かな境遇であっても、殺戮も肉食も、なかなか止められないことから見て、殺戮も肉食も人間が起源にある証拠だと思います。

人類が【神の愛の秩序】に完全に従った原初の【エデンの園】では、肉食も殺戮も無く、動物も人間も共に暮らしていた【愛の秩序】の世界でした。

天然を治める私たちは、この世に【エデンの園】を復活再建させることこそが、人類の史上最大の事業であると信じます!

●狼は子羊と共に宿り、ヒョウは子山羊と共に臥し、子牛、若獅子
 肥えたる家畜共にありて小さき童子(ワラベ)に導かれん。
 雌牛と熊とが共に草を食べ、その子らが共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。
 乳飲み子はコブラの穴の上で戯(タワム)れ、
 乳離れした子はマムシの子に手を伸べる。
 私の聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。
 主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである(イザヤ書11-6)
●狼と子羊は共に草をはみ
 獅子は牛のように、わらを食べ、
 ヘビは塵をその食べ物とし、
 私の聖なる山のどこをおいても、そこなわれることなく、滅ぼされることもない。
 と主は仰せられる(イザヤ書65-25)
●私(主)は全地のおもてにある種をもつ全ての草と種のある実を結ぶ全ての木とをあなた方に与える。
 これはあなた方の食物となるであろう(創世記1‐39)
●命ある者には、食物として全ての青草を与える(創世記1‐30)
●川のほとり、その両岸にはあらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることもなく、毎月、新しい実をつける。
 その水が聖所から流れ出ているからである。その実は植物となり、その葉は薬となる(エゼキエル書47‐12)
●野菜を食べて互いに愛するのは、超えた牛を食べて互いに憎むのにまさる(箴言15‐17)

この世界は神の助けを借りず、人間独自の<理想郷(ユートピア)>を創るために進化し続けることは不可能と思います。
私たちの自由と平和は【神の愛=主イエス】への【信仰精神】に立ち帰る<原点回帰>にこそあるのです。

●人は天から与えられなければ、何ものも受けることはできない(ヨハネ伝3‐27)
●信仰は神へ向かってひたすら努力することではなく、神に己れをゆだねる事である(ヒルティ)
●この世における人間の主な目的は神の栄光をたたえ、永遠にわたって神を悦ぶことである(クロムウエル時代の簡略教理問答集より)

先日の生き物紀行のテレビ番組で、ダニとネズミが紹介されていました。彼らは都会で生きるならば<自己欲求>に任せて貪り続けるだけで、都会に住む人間にとって有害な<嫌われ者><悪役>です。

しかし、ダニがいなければ、森林の豊かな土壌は生まれないということがTV番組で紹介されていました!

森林に住むダニは腐敗した木々を土に戻すために重要な【ミッション:使命・天職】を実践している【ヒーロー】だったのです!
森林のネズミも、冬眠のために必要な食糧として木の実をたくさん土中に貯蔵しなくてはなりません。ネズミの熱心さのおかげで、食べる以上の種を土中に埋めてくれるので、種蒔きとなって新たな木々が生まれ育つ大切な【ミッション:使命・天職】を果たす
【ヒーロー】です!

どんなに<嫌われ者><悪役>と思われる存在でも、【神の愛=主イエス】に従った時と場所を与えられれば、素晴らしい【ミッション:使命・天職】に生きられる!という【神愛のメッセージ】だと信じます!ハレルヤ!栄光を主に帰します!

アメーバやバクテリアやダニやネズミだって、自己都合の【エゴ・自己愛】だけで生きるのでなく、献身的な【ミッション:使命・天職】に生きていることを知るならば、【神の愛=主イエス】に特に愛されて【自由意志】まで与えられた人間である、私たち個人個人にも、
崇高な【ミッション:使命・天職】が与えられていると信じましょう!

●人の最大発見物は天職なり。これを知らずして彼の生涯は無意味なり(内村鑑三
●完全なる職業は他人を喜ばして、我もまた喜ぶの職なり(内村鑑三

神様は私たちが生まれ成長する前から、私たち各自が進むべき【最善の道】を知っています。

●我、汝を胎(ハラ)に創らざりし先に汝を知り、汝が胎を出でざりし先に汝を聖(キヨ)め、汝を立てて万国の預言者となせり(エレミヤの召命:エレミヤ書1‐5)
●人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか(箴言20‐24)

そして、私たちが【神の愛=主イエス】に信頼して【ビジョン:理想・夢・志】を目指しチャレンジするならば、万事が<最善>に運ばれることを信じて、【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】の<不屈の楽天主義・楽観論>で前進し続けましょう!

●人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手を支えておられるからだ(詩篇37‐23~24)
●神は神を愛する者たちと共にはたらいて万事を益となるようにして下さる(ロマ書8‐28)
●人の道は主の目の前にあり、主は、その道筋のすべてに心を配って、その行いを見守られる(箴言5-21)
●主は人の一歩一歩を定め、主は御旨にかなう道を備え、その行く道を喜ばれる(詩篇37-23)

皆さんが【三位一体:父・子・聖霊】の【神の愛】の存在と【神の愛=隣人愛】による「天地創造」という「ビッグ・ロック」を大切にして【神の愛=主イエス】に守られ、【神の愛=主イエス】と共に歩む<素晴らしい人生>を送られることを心より望んでいます!

●私は、平安をあなた方に残し、私の平安を与える。 この世が与える、はかない平安と、私が与える贈り物は比べものにならない。
だから、どんな時にも、心を騒がせるな。おびえるな(ヨハネ伝14-27)
●我が名を畏れ敬うあなた方には義の太陽が昇る。その翼には、癒しの力がある。牧場に放たれた牛舎の子牛のように自由にされ、喜びのあまり跳びはねる(マラキ書4-2)
●イエスは人々に言われた。「私は世の光である。私に従う者は決して暗闇の中を歩むことなく、命の光を持つ。」(ヨハネ伝8-12)

そして、【神の愛=主イエス】と共に、【ビジョン:理想・夢・志】と【ミッション:使命・天職】に活躍されることを心より応援しています!

●神の側に立とうと決心するがよい。次にはあなたの力と個性に合わせて、あなたに個人的に下される神の命令に従え(ヒルティ)
●私が、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、試練の時も、いつものように、キリストのために、大胆に語ることによってキリストのすばらしさが現わされて,
 生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望している。私にとって、生きることは、キリストのために良い機会を得たことを意味し、死ぬことは、さらにすばらしいことを意味する(ピリピ書1-20~21)
●私は主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」
 その時、私は言った。「私がここにおります。私を遣わしてください。」(イザヤ書6-8)
●私は、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
 今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれを私に授けてくださる。しかし私だけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださる(テモテ後書4-7~8)

ハレルヤ!栄光を主に帰します!
主の恵みに感謝します!アーメン!

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
 
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)