◇◇【神の愛=主イエス】⇔【先回りの愛】(その1)◇◇<改訂版・再掲載>
【2003年11月1日に作成した<第321回>に加筆】
●Best is not yet come.「最善はこれからだ」(ブラウニング)
●【最善の最後(内村鑑三)】
信者の生涯は始めは悪くして、終わりは善くある。
終わりに近づくほど、ますます善くある。
最後(ラスト)が最善(ベスト)である。
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは!ご愛読に感謝します!
今日現在において、皆さんの中でも本人や家族や知人・友人・恋人を含めて進学、就職、結婚、子育て、介護、病苦、生活苦、将来への不安など様々な【患難辛苦】に耐え忍でいる多くの人がいると思われます。
たとえ今日が【人生のどん底】の【最悪】と思えても、私たちにはこの世で最善最強の【神の愛=主イエス】があります!
現在、苦難に押しつぶされそうになっている方でも、【福音・聖書】を通じて【神の愛=主イエス】を信愛して耐え忍ばれるように心より願っています。
●試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたら、神を愛する者たちに約束された命の冠を受けるであろう(ヤコブ書1‐12)
●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競争を耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか(ヘブル書12‐1~2)
●こうして預言の言葉は、私たちにいっそう確実なものになった。あなた方も、夜が明け、明星がのぼって、あなた方の心の中を照らすまで、この預言の言葉を暗闇に輝くともしびとして、それに目を留めていなさい(ペテロ第2書1‐19)
●私は平安をあなた方に残して行く。私の平安をあなた方に与える。私が与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなた方は心を騒がせるな、また怖じけるな(ヨハネ伝14‐27)
●聖徒たちよ、主をほめたたえよ
その聖なる御名に感謝せよ
まことに、御怒りはつかの間
いのちは恩寵の内にある
夕暮れには涙が宿っても
朝明けには喜びの叫びがある(詩篇30‐4~5)
●恐れてはならない、私はあなたと共にいる
驚いてはならない、私はあなたの神である
私はあなたを強くし、あなたを助け
我が勝利の右の手をもって、あなたを支える(イザヤ書41‐10~14)
【神の愛=主イエス】は私たち各自の【患難辛苦】の【最悪】の日々をよく存知であり、私たちよりも【先回りの愛】となって最悪の時にも、【最善の道】に導き続けていたことを感謝できる【歓喜の日々】が必ずやって来ることを信じましょう!
●女がその乳飲み子を忘れて、
その腹の子を憐れまないようなことがあろうか。
たとい彼らが忘れるようなことがあっても、
私(主)はあなたを忘れることはない(イザヤ書49‐15)
●主よ、あなたが彼らをお守りになります。あなたはこの時代からとこしえまでも彼らを保たれます(詩篇12‐7)
●彼が神への信頼を失わずに、その試練をきり抜けるならば、他のいかなる道でも達せられないほど、神に近づくことができる(ヒルティ)
●希望は失望に終わることはない。何故なら私たちに賜っている聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれているからである(ロマ書5‐5)
人生の前半は最悪の苦難の連続でありながらも、人生の後半は遅咲きながらも、【最善の道】である【ミッション:使命・天職】を開花させたフジコ・へミングの復活のドラマがTVドラマで紹介されているのを観て改めて感動しました。
【神の愛=主イエス】に与えられた【タレント:個性・才能・可能性】である<卓越したピアノ演奏の才能>を「誰の為に、何の為に」最善発揮させるべきかを学ぶために、彼女は音楽権威の<オーディション&リハーサル>の前日に聴覚を失ってしまう【苦難】に遭います。
過酷で悲惨な【最悪な苦難】でも、【神の愛=主イエス】は【先回りの愛】による【特訓&召命:オーディション&リハーサル】だったのです!
フジコは人間の力にだけ頼らずに、彼女の強い【神への信仰心】で【最善の道】を発見することができ【神の愛の奇蹟】を呼び起こして【苦難】を体験した彼女だからこそできる【ミッション:使命・天職】に導かれたことを見事に紹介してくれました。
審査員や有名な音楽家に評価してもらい、コンクールで優勝するためではなくて、音楽を必要とする目の前のたった一人の為であろうと、どんな場所であろうとも、彼女が心から愛する音楽を演奏することで【神の愛=隣人愛】を提供するという【使命・天職】を発見できたのは、【最悪の人生】を過ごして、にもかかわらず【ビジョン:理想・夢・志】を棄てずに、【神の愛】を信じ求め続けたからだと私は確信できました。
●神は我々のひとり一人から遠く離れておいでになるのではない。我々は神の内に生き、働き、存在しているからである(使徒行伝17-27~28)
●すべての守るべき物よりも優りて、力の限り見張って、汝の心を守れ。命の泉(生命の流れ)は汝の心より湧き出づるからである(箴言4‐23)
●神が擁護を与えようと決意されたら、何びとの邪悪もそれを害しえないであろう。もしも、あなたが黙って忍ぶことを学んでいるなら、疑いもなく神の援助を覚るであろう(トマス・ア・ケンピス)
●主は私の力、私の盾
私の心は主に依り頼み、主は助けられた
それゆえ私の心は小踊りして喜び
私は歌をもって主に感謝しよう(詩篇28‐7)
●神を待つ心に啓示は与えられる(賀川豊彦)
●信仰を持って祈る者に新世界が開かれる。信仰ある祈りによって理想は必ず実現せられる(賀川豊彦)
皆さんの周囲に、苛酷な【暗闇】の境遇にあって【神の愛】さえも信じられず、「神様がいるから大丈夫!」と励ましても、素直には受け入れられないほどに、【最悪の人生】にある人々であっても、【神の愛=主イエス】を知る私たちにできることは、先ずは【聖書】や【讃美歌】だけでも、彼らの傍らにそっと静かに届けましょう!
私たち人間の力では不可能でも【神の愛の奇蹟】による【復活】があるからです!
実際に私自身もそうだったのです!私の兄が恐らく予備校通学時代に受け取ったギデオン協会の日英対訳の「ポケット版・新約聖書」が我が家の本棚に10数年間、誰にも知られることなく置き去りにされていたのです。
ところが、望みの米国勤務がかなった時に、本棚を見渡した時に初めて発見します。それが「英訳付き聖書」であったからです!
「もしかしたら海外で役に立つかも…」
そんな軽い気持で携帯した【聖書】が生涯を決定付けてくれた事は私には奇蹟です!
海外生活は夢実現の人生最高の時であり、同時に自分自身を痛感させられる【最悪】の【人生のどん底】を経験するのです。その時に私に【新たな道】を示してくれた存在が、実は10数年も眠っていた【聖書】であった事も【先回りの愛】の証明だと私は信じます。
私を【神の愛=主イエス】に導いてくれたきっかけとは、今は亡き兄が何気なく実家に持ち帰ったギデオン協会からの【無償ギフト】であった一冊の「ポケット版聖書」だったのです!ハレルヤ!主に栄光を帰します!
●神のなされることは皆その時にかなって美しい(伝道の書3‐11)
●主は待っていて、あなた方に恩恵を施される(イザヤ書30‐18)
●あなたの若い日に、あなたの創造主を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また、何の喜びもないと言う年月が近づく前に(伝道の書12‐1)
●おのれの罪、他人の罪に曇った良心はあなたの言葉を激しすぎると思うだろう。
しかし、あらゆる虚偽をすてて、見たままをのべるがよい・・・
傷あとをかゆがるものには、かかせるがいい。
あなたの声は初めは味わい苦くとも、のちに消化(コナ)されると、みなの命の営養(ヤシナイ)となる(神曲 天国篇 第17歌124行以下)
★★【その2】につづく★★