【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【十字架】に示される【神の愛】!

◇◇ 十字架の教え ◇◇<改訂版・再掲載>
【2001年6月13日に作成した<第148回>に加筆】
2001年6月11日CNN
「米連邦ビル爆破犯人・ティモシー・マクベイ死刑囚・処刑中継」を観て

●罪とは人に対して犯したものではなくして神に対して犯したものである(内村鑑三
●【十字架の教え】(内村鑑三
 悪に抗せざることなり
 敵の罪を赦すことなり
 死に至る最後まで愛することなり

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!

ご存知のように6年前に政治への抗議を目的としてオクラホマの連邦ビルを爆破させて
168名の一般市民を死亡させたティモシー・マクベイ死刑囚の処刑生中継が処刑前から
処刑後まで数時間に渡り全世界同時中継されました。

現在欧米を中心としたいわゆる先進国の中で死刑が存在するのは日本と米国だけだそうです。
死刑実行の90%近くはイラン・イラクサウジアラビア・中国・米国で占めれているとも
番組中に報じました。朝日新聞の記事では米国は毎月7人の割合で処刑されているそうです。

処刑を中継する目的が政治的であっても、そこにも【御心:神の意志と計画】がはっきりと
示されていたと私には感じました。

【神の愛】に対して挑戦的な<公開処刑>は、近い未来に死刑全廃のきっかけになる事を
私は楽しみに待ち望みます。

●【道徳的世界秩序】(ヒルティ)
 この世におけるまことの善は十分強くなるまでは、つねに世間やそのいろいろな
 機関の好意や承認をうけることはできないであろう。それにもかかわらず、
 善は活動をつづけそのような静かな孤立の中で成長してゆく。

この<公開処刑>は2000年前に行われた【イエスの処刑】そのものだと感じました。
当然ながら、私たちテレビ視聴者には処刑そのものを観ることは出来ませんでした。

しかし、処刑場には間違い無く<三人の十字架>が存在していたと私には思えるのです。

一人はマクベイ死刑囚本人です。

彼は最後まで神に挑戦的でした。「最後の言葉」を述べるチャンスをもらっても、
18世紀の詩人の言葉を引用して神の手に委ねない自らの死を宣言して見せました。
彼の本心でなかった事を望みます。

もう一人は誰でしょう?それは【神の愛=主イエス】でもある私たちの【良心】です。

<神の声>に素直に従えば、死刑はいかなる理由であろうと許されない事は明白です。
不義・不正を行ったから「目には目を」「命には命で」という<社会的正義>に基づいて
報復の処刑をすることは【神の愛=主イエス】の登場と同時に終るべきでしょう。

公民権運動のキング牧師は不義不当の暴力・差別・迫害の相手に対して、同じように
暴力による報復も対抗もしませんでした。彼等の<非暴力>による公民権運動は徐々に
人々の【良心】に訴え【善意】を取り戻させた【神の愛=隣人愛】の大勝利でした!

●悪に報ゆるに悪をもってするは悪に負けたのである。
 何をも報いないで、ただ忍んでいるのは戦わない事である
 善をもって悪に対するのが悪と戦って勝つ事である
  ◆怨に酬ゆるに徳をもってし
  ◆憎に対するに愛をもってし
  ◆悪に対するに善をもってする
●悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい(ロマ書12-20)

【主イエス】は神を受け入れない罪人にも、最後まで一緒に伴っていてくれるはずです。
マクベイのそばにも間違い無く存在していました。

私たちの【霊性:魂[勇気]・善意・良心】にも【神の愛=主イエス】は存在すると
感じます。

一時的な憎しみや恐れや不安に心が奪われて自分の【良心】を葬ってはいけない事を
全世界の視聴者に示してくれた21世紀における【十字架の教え】だと私は感じます。

そして三人目は誰でしょう?【愛の対極】である【悪:無知・無関心・無責任】です。

公開処刑>の光景に【悪:無知・無関心・無責任】を発見する者は<チャンス>です!
自己の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を取り戻す<恵み>であると思うからです。

霊性:魂[勇気]・善意・良心】を発揮して【神の愛=隣人愛】に立ち帰る人々は
自己の【悪:無知・無関心・無責任】と【悪:無知・無関心・無責任】が根源である
偏見・誤解・恐怖・怒り・不安・不信など一切を葬り去る<ビッグ・チャンス>です!

●<幸福と十字架>(内村鑑三
 人類の幸福は学術の進歩を要す。
 学術の進歩は思想の自由を要す。
 思想の自由は政治の改善を要す。
 政治の改善は人心の洗浄を要す。
 人心の洗浄は霊魂の釈放を要す。
 霊魂の釈放はキリストの十字架を要す。
 キリストの十字架によらずして、
 人類の幸福もまたこれを地上において見るあたわざるなり。

辛い悲しみを被った遺族、正義のための死刑に賛同していた観衆、死刑の無意義さを
知らなかった人々が、処刑されるマクベイと同時に葬られようとした自己の【良心】の
大切さに目覚めて、そんな恥ずべき自分自身を悔い改めた瞬間ではないでしょうか。

【主イエス】が2000年前の時代に今回と同じように<公開処刑>されたときに、
両側にいた死刑囚の一方は神を受け入れぬままに、この世に決別して行きました。

それは、まさにマクベイそのもののようです。

他方の死刑囚は最後の瞬間に【神の愛】を受け入れ【罪:神の愛の拒絶】から救われた
<幸運な死刑囚>でした。

最後の最後に救われた死刑囚こそ【愛の対極】の【悪:無知・無関心・無責任】であり、
まさに私自身の姿である事を自覚して常に【神の愛=主イエス】に頼るしかありません。

●最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。沈黙は、暴力の陰に隠れた
 同罪者である(キング牧師

私の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が働かず、【神の愛=隣人愛・主イエス】を
見失っている時は、【悪:無知・無関心・無責任】に気づかない死刑囚そのものです。
だからこそ、<幸運な死刑囚>のごとく、【神の愛=隣人愛】に立ち帰られるように
【神の愛=主イエス】に信愛して<正しき道>に導いてもらいましょう!

●心の満足を得る最上の方法は、自分は絞首刑に処せられるのにふさわしい者だと
 自ら思うことである。そして、これはおそらく本当のことかも知れないのだ。
 そうすれば、満足はごく自然に生まれてくる(カーライル)
●摂理と確かな知恵とは、私にある。私は分別であって、私には威力がある。  
 私によって、王たる者は世を治め、君主たちは正しい掟を定める。 
 君侯、自由人、正しい裁きを行う人は皆、私によって治める。 
 私を愛する者を、私は愛する。私を熱心に捜す者は、私を見つける
箴言8-14~17)

【十字架の教え】は単なる過去の歴史的事実ではなくて、現在も活き、未来に向けても
<真実の証明>だと私は実感します。

●十字架の言葉は滅び行く者には愚かであるが、救いに預かる私たちには神の力である
 (コリント前書1-18)

マクベイ自身、168名の犠牲者の霊魂、遺族・社会の悲痛の心を本当に救い出すには、
<死刑>という【神の愛=隣人愛】に反する制裁では解決しないことを私たちは改めて
認める時が近いと感じます。

湾岸戦争に出兵して勲章までもらったマクベイが、政府や社会に反感を抱いたのには、
政府や社会の<偽善・悪徳>を発見したのかもしれません。

彼は生涯において、【真実の愛】を知らされなかったなっただけとも言えるでしょう。
彼の共犯であるニコルスは終身刑で服役しています。彼は二人の孫を犠牲にした遺族の
女性自身がマクベイの死刑執行は無意味であるとマスコミで発言していることを知って
手紙を交換するようになります。そして彼は彼女に次のように伝えたそうです。

「貴方のような母親がいてくれれば、私はこうはならなかったでしょう。」

●父(神)よ、彼等をおゆるし下さい。彼等は自分が何をしているかわからずにいるのです
(ルカ伝23-34)

たとえ人生の途中で絶望したり不信に陥ろうとも【ユダ:信・望・愛の拒絶】にならずに
私自身のように何度でも【悪:無知・無関心・無責任】に敗けて【神の愛=隣人愛】を
裏切ろうとも、たとえどんなに【神の愛=主イエス】に対して忘恩・背信に陥ろうとも
【ペテロ】や<幸運な死刑囚>のように最後まで【神の愛=主イエス】に頼りましょう!

●【最大の能力】(内村鑑三
 確信と称する活動力ではない、信仰と称する一種の依頼心である。
 これが世界を動かした力である。
 先ず我の無能を覚って、しかる後に神の大能に頼る、かくて自己は死して
 神、我にありて生きるに及んで、我は真個の勇者となる。

人生<どん底>からでも【神の愛=主イエス】に導かれて<敗者復活>する事によって
心の中にある【悪:無知・無関心・無責任】を【十字架】にはりつけにして葬り去って、
皆さんが【神の愛=隣人愛】と【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を最善発揮できる
【ビジョン:理想・夢・志】を目指して活躍されることを心より応援しています!
 
●我々は何をなすべきか、またそれをいかに為すかについて決して無頓着であっては
 ならない。いやむしろ我々は全ての勤勉と才能を真剣に活用しなくてはならない。
 ただし、野心や所有欲からではなくて義務感と神への愛から、それをしなければ
 ならない。そして、事の成否は神に委ねるべきである(ヒルティ)
●腕力が尊いなら、熊は人間より偉い。
 肩の力が尊いなら、牛にはかなわない。
 走れば馬に負け、鼻は犬ほどきかぬ。
 人間の人間たる尊さは知恵と意思を備えた
 霊魂を持っているということだ。
 動物界にはミケランジェロのような芸術家も、
 マザー・テレサのような聖者もいない(永井隆博士)

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!

メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)