■<一日一生:10月20日>(内村鑑三)
●だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、
それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、
なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、
たましいの父は、わたしたちの益のため、
そのきよさにあずからせるために、そうされるのである(ヘブル書12-8~10)
人生の目的は神を識るにある。
「ただ一つの真の神なるなんじと、
そのつかわししイエス・キリストを識ること、
これ永生(かぎりなきいのち)なり」
とイエスは言いたもうた(ヨハネ伝17-3)
しかして艱難にしてもしこの目的を達するために必要であるとならば、
艱難は決して災禍(わざわい)ではない。
恩恵(めぐみ)である。
しかしてヨブの場合において、
艱難はこの祝すべき目的を達したのである。
しかしてわれらの場合においても、
また艱難によらずしてこの祝すべき目的は達せられないのであする。
イエスご自身が「苦難をもって完(まっと)うせられ」たのである(ヘブル書2-10)
われらもまたイエスの苦難を受けずしては、
彼のごとくになることができないのである。
★★★
私たちが【聖書】を通じて【神の愛=主イエス】を知るならば、私たちが心から愛し信じ望む【ビジョン:理想・夢・志】を目指す時に、現実生活で直面する大小様々な<患難辛苦>は、私たちを誰よりも御存知で最も大切に愛している【三位一体:父・子・聖霊】の【神の愛の特訓:オーディション&リハーサル】であることを体感できます!
●すべての鍛錬は、当座は喜ばしいものではなく、悲しい懲らしめと思われる。
しかし後になると、それによって訓練され鍛え上げられた者に、平和の義に満ちた実を結ばせる
(ヘブル書12-11)
●沈黙せよ、苦しめ、耐えよ、おまえの苦しみは誰にも訴えるな、
決して神に絶望するな、おまえの助けは日毎に来るのだ(ルター)
●我等に臨む患難は多し、されど主は我等をみなその中から援け出し給う(内村鑑三:詩篇34‐19)
皆さんが<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】に挑戦することで直面する<患難辛苦>にも【神の愛=主イエス】に信愛して耐え忍び、【神の愛の特訓:オーディション&リハーサル】に見事に合格して、【ミッション:使命・天職】に<召名>されて <患難辛苦>にも【神の愛=主イエス】を体感して<歓喜!感動!感謝!>しながら、【愛と自由の戦士・神の僕】として活躍されることを心より応援しています!
●神は、いかなる患難の中にいる時でも、私たちを慰めて下さり、
また、私たち自身も、神に慰めていいただくその慰めをもって、
あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。
それは、キリストの苦難が私たちに満ちあふれているように、
私たちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである
(コリント後書1-4~5)
●この山を登ろうとする者
その麓にて大きな困難に出会うであろう。
されど、登るに従って困難は減じ
おんみの辛苦は今ようやく愉しみとなる。
やがて登ること、きわめてやすく
小舟で急流を下るがごとくなるであろう(「神曲」煉獄篇・第四歌)
●自分の意志をまったく神にゆだねて、ひたすら神の道具でありたいと思う人は
不思議に、どんな祈りも聞き届けられる。そういう人はただ願い求めればよいのだ。
そうすると憂いも怖れもなく、至福の状態で、あらゆる困難を切り抜け、
生涯の日々をすべての人々とまじって生きて行くことができる(タウラー)
●苦しみに出会ったら、まず感謝するがよい。
それから、その苦しみが何のために役立つかをたずね給え(ヒルティ)
●苦しみが私たちの生活に訪れてくる時、ほほえみをもって受け入れましょう(マザー・テレサ)
●あなたがそれをただ避けようとせず、その苦しみの意味を理解しようと
真剣に願うならば、やがて必ずそれを発見するだろう(ヒルティ)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!