■<神の助け>(内村鑑三)
神はさままの方法をもってわれらを助け給う、
あるいは霊をもって、
あるいは物をもって、
あるいは友人をもって、
あるいは敵人をもって、
あるいは同国人をもって、
あるいは外国人をもって、
あるいは知人をもって、
あるいは未知の人をもって、
われらの弱きを助け、
乏しきを補い給う。
神の方法に富み給うは
かれが日々われらを助け給うその方法の豊かなるによりて知るをうべし。
●われらに臨む患難は多し。
されどエホバはわれらをみなその中より援(たす)け出し給う(詩篇34-19)
★★★
●<神助>(内村鑑三)
◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じてすべての善き物をもって汝を恵まん。
⇔ ★天来の思想
★外来の友人
★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。
◆汝は信仰をもって神の力を汝の力となすをうべし。
◆多くを望めよ、そは天にいます汝の父はその恩恵の宝庫を開いて
汝の来りてこれを求めんことを待ちつつあり給えばなり。
【神の愛=主イエス】は、私たちが心から愛し望み願う【ビジョン:理想・夢想・大志】を目指す時に大小様々な<患難辛苦>に直面して、もはや万策尽きたと思われる<涙の谷:最悪のどん底状態>にこそ、時にかなって<最高!最善!最美!>の方法による<神助:祝福・恩恵>と【神の愛の奇蹟】で救出して下さることは<歓喜!感動!感謝!>です!
●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)
●彼らは涙の谷を過ぐれども、そこを多くの泉あるところとなす。
初めの雨は多くの祝福にておおわれる(詩篇84‐6)
●涙とともに蒔く者は歓喜とともに刈取らん。
その人は種をたづさえ涙を流して出で行けど
束をたづさえ喜びて帰り来たらん(詩篇126‐5~6)
●信者が信仰を強められたいと願うなら、神に時を与えなければならない。
神が信仰を試みられるのは、ご自身の子供にとってちょうど良い時に助け、
救い出すことをどんなに喜んでおられるかということを実証するためなのである(ジョージ・ミュラー)
●信仰を強めるために重要な最後の点は、信仰の試練が来た時、神に働いていただき、
自分の力で自分を救い出そうとしないことである(ジョージ・ミュラー)
●概して幸福な時よりも、苦しみのときの方が、ひとは神のそば近くにあるものである(ヒルティ)
皆さんの<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢想・大志】に【ミッション:使命・天職】を体得して生きる時に、どんな強大な<患難辛苦>に包囲されようとも、時にかなって<最高!最善!最美!>の方法で、<神助:祝福・恩恵>と【神の愛の奇蹟】で救出される事を楽しみに待ち望み、<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で前進し続ける事を心より応援しています!
●心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、
主はあなたの道をまっすぐにされる(箴言3-5~6)
●あなたが、もはや自分の力を信じることなく、
つねに神の力を信じることができるようになったら、
そのとき、あなたはすべてのことにおいて勝利を手中に収めているのである。
なおその上、あなたは艱難をよろこぶ境地にまで達することができる(ヒルティ)
●<奨励の声>(内村鑑三)
汝は永遠の存在者とともに立てり。
世はことごとく失するとも汝の事業は滅びざるべし。
ただ、心を強くし勇み励め
●一切の仕事が神を離れては困難であり、神と共にあれば一切が可能である(ヒルティ)
●私は耐え忍び、切なる思いで、主のみを待ち望んでいた。
主は私の方に身を傾けて、私の叫びを聞かれた。
滅びの穴、泥沼から私を引き上げ、私の足を岩の上に立たせ
私の歩みをしっかりと確かにされた。
主は私の口に、新しい歌を、我らの神への賛美を、授けられた。
人はこぞって主を仰ぎ見、主を畏れ敬い、主に依り頼む。
いかに幸いなことか、主に信頼し、高ぶる者や、欺きの教えや、
偽りに陥る者たちの方に向かなかった、その人は。
我が神、主よ、
あなたがなさった不思議な業と我らを思う御計りは数知れず多く
あなたに並ぶ者はありえない。
私が告げても、また語っても、それは多くて述べ尽くせない。
あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず、
焼き尽くす供え物も 罪の代償の供え物も求めず、ただ、私の耳を開かれた。
(詩篇40-1~6)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい!
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!