【2014年11月28日に作成した<第640回>に加筆】
◇◇天罰・幸運を<神助>に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
私自身の心にも刻まれているのは悪い事があると「(天)罰が当たった」と思い、
思いもかけない偶然の幸運に出遭うと「運がよかった」と自然に思うことです。
日本の代表的真理観だと思います。
戒律遵守で掟破りは天罰で裁き導く「荒ぶる神・怒りの神」はユダヤ旧約時代の
厳父的義の神と共通します。戒律や道徳・倫理観は遵守できる義者善人のもので
私のような<不義・不正・不実>不純・不潔の破戒者には冷たく無力な存在です。
自業自得で負債だらけの私の人生では、毎日が天罰だらけになってしまいます。
強くて正義で裁く厳格な<義の神>を崇め求める神観・信仰者が多数派ならば、
<天罰>は天父に立帰るのに有効ですが、現代のように進化論や科学技術信仰が
多数派の現代は、「天罰」は家庭内DV・パワハラのようで虐待・暴君的神として
恐れられ敬遠されて私にとっては身近な存在ではなくなる危険性があります。
天罰観は<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>が【神の愛=主イエス】から
私のような<不義・不正・不実>不純・不潔の極悪人・罪人を遠ざけようとする
謀略工作であり<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>です!
●主は聖所にとっては、つまずきの石、イスラエルの両王国にとっては、
妨げの岩、エルサレムの住民にとっては仕掛け網となり、罠となられる。
多くの者がこれに妨げられ、倒れて打ち砕かれ、罠にかかって捕らえられる。
(イザヤ書8-14~16)
思いがけない幸運を「運が良い」と思うのは、背後に【神の愛=主イエス】を
認めず、天来ではなく確率的偶然の産物とみなしたり、自分の運勢や占いなど
人智の解釈に誘導する事で<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>が大喜びする
<忘恩・背信>に導く<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>です!
英語「GOOD-BYE」を「God be with you」を語源とする考えが
私は大好きです。「神のご加護<神助>と共にある」ことこそ「GOOD」であり、
【神の愛=主イエス】は<善>そのものです!
●善は神なり(マタイ伝19-17)
●You are good and do good!
あなたは善なる方、いつくしみ深くあられ、すべてを善とする方で
慈しみを施されます(詩篇119-68)
●神は善なり(マタイ伝19-16)⇔神を知るは善人なり(内村鑑三)
●イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、私に尋ねるのか。
善い方はお一人である。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
(マタイ伝19-17)
荒ぶる怒りの義の神が天罰で統治する「旧約の時代」が終わり、<御子>である
【神の愛=主イエス】が此の世の万事万物の【賜物・無償ギフト・神恵】として
統治される「新約の時代」に活かされている私たちは、<万事・万物>の背後に
体感させ【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】を具現化する<神助:祝福・恩恵>に
満ちあふれています!
●御自身の御子をさえ惜しまず、私たち全てのために、
死に引き渡してくださったその方が、どうしてその御親切によって、
御子と共に万物を恵み与えてくださらないことがあろうか(ロマ書8-32)
●万物は、天あるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、
位(王座)も、主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。
これら一切のものは御子によって造られ、御子のために造られたのである
(コロサイ書1-16)
● 万物は、神より出で、神によって成り、神に帰する
<別訳>すべては、神から、神によって、神のために存在する
<別訳>すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている
栄光がとこしえに神にあるように。アーメン(ロマ書11-36)
●人間はすべて唯一神全知全能なる創造主の作品であり、
彼の所有物であって他の誰のためでもなく、
彼が喜ぶかぎりおいて生存するように作られている(ジョン・ロック)
●万物の父なる神は一つなり。神は万物の上に在し、万物を貫き、
万物の内に在したまふ。
我等はキリストの賜物の量に従ひて、おのおの恩恵を賜はりたり
(エペソ書4ー6~7)
●愛は神の霊としてこの世に満ち満ちている(ヒルティ)
<義の神>が命じる戒律・道徳・倫理観などを遵守できない落ちこぼれの私でも、
<愛の神>【神の愛=主イエス】の<掟>ならば喜んで挑戦し続けられます!
●私は新しい戒めをあなた方に与える。互いに愛し合いなさい。
私があなた方を愛したようにあなた方もお互いに愛し合いなさい
(ヨハネ伝13‐34)
●イエスは言われた、
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、主なるあなたの神を愛せよ』
これが一番大切な、第一の戒めである。第二もこれと同様である。
『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』これらの二つの戒めに、
律法全体と預言者とが、かかっているこの二つの戒めに優る掟はない
(マタイ伝22‐37~40、マルコ伝29‐31、ルカ伝26~28)
●正義の温暖なるもの、これを愛という(内村鑑三)
●愛は隣人を害する事はない。愛は律法を全(マットウ)する(ロマ書13‐10)
●愛は、他のいかなるものにもまして、人を賢明にする(ヒルティ)
以前の私は見えなくて恐れ多い【神の愛=主イエス】を<全生・全身・全霊>で
愛することなど到底不可能だと思いましたが、【聖書・真理の御言葉】によって
私でも<全生・全身・全霊>で信じ望み愛せる<人格的対象>を発見出来ました!
私の心に刻まれた<神のラブレター>なる【ビジョン:理想・夢念・大志】です!
●<キリストの手紙>(コリント後書3-3)
あなた方は自分自身が私たちから送られたキリストの手紙であって、
墨によらず生ける神の霊によって書かれ、
石の板にではなく人の心の板に書かれたものである事をはっきり現している。
●私の律法を彼等の心に与え、彼等の思いの内に書きつけよう(ヘブル書10‐16)
●私は彼らに一つの心を与える。
すなわち、私はあなた方のうちに新しい霊を与える。
私は彼らの身体から石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える
(エゼキエル書11‐19)
<最愛の我が子・我が分身>の<願望>【ビジョン:理想・夢念・大志】ならば、
戒律遵守の強制的義務感でなくて、自発的に喜んで信じ望み愛して実践できます!
●あなた方の内に働きかけて、御心のままに志望(願い)を起こさせ、
かつ実現に至らせるのは神であって、
それは神が善しとされるところだからである。
何事も、つぶやかず疑わないで(不平や理屈を言わずに)行いなさい
(ピリピ書2-13~14)
●強いられてするのでなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき
利得のためでなく、本心からそれをしなさい(ペテロ前書5-2)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で
決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛してくださる
のである(コリント後書9-7)
●人間のうちに善をのばしてやり、彼らの心に善に対する愛好心を
注ぎ込むことが必要である(ヒルティ)
●自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として
用いず神の僕にふさわしく行動しなさい(ペテロ第1書2‐16)
牧師や神父や教会信者から敬遠されてきた私でも、【神の愛=主イエス】だけは
<人生の旗印>【ビジョン:理想・夢念・大志】を求める者、
<生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を捜す者、
<不屈の楽天・楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】で
【ビジョン:理想・夢念・大志】具現化の登竜門を叩き続ける者には
世間的に連戦連敗で挫折し裏切りの掟破りで、踏みつけられ倒されようとも、
再起再挑戦のために何度でも<【神の愛】の御手:導き手・助け手・癒し手> を
差し伸べて<神助:祝福・恩恵>に導いてくれます!
●求めよ、さらば与えられん。
捜せよ、さらば見出さん、
門を叩け、さらば開かれん(マタイ伝7‐7、ルカ伝11‐9)
●あなた方が私につながっており、私の言葉があなた方に留まっているならば、
何でも望むものを求めるがよい。そうすれば与えられるであろう
(ヨハネ伝15‐6)
●人に捨てらるるは神に拾わるるなりき、
人に憎まるるは神に愛せらるるなりき、
人に絶たるるは神に結ばるるなりき (内村鑑三)
●人々が「失われた」と言うところで、神は「見いだした」と言い、
人々が「裁かれた」と言うところで、神は「救われた」と言い、
人々が「否」というところで、神は「然り」と言う。
人々がなげやりな気持や、高慢から、目をそらせるようなところで、
神は他のどこにもない愛のこもった目を向けるのである(ボンヘファー)
●負けて勝ち、踏みつけられて立ち、殺されて活くるのが
キリスト信者の生涯である(内村鑑三)
●人の計画は成りて敗れ、神の計画は敗れて成る(内村鑑三)
そうです!先ずは【ビジョン:理想・夢念・大志】を信じ望み愛し続けるならば、
世間的には運悪く、自業自得の呪われ者で、天罰続きの失敗挫折の連戦連敗でも
無一物落ちこぼれ人生を【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】で悲観せず、
【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】で求め!捜し!叩き続ける!人生に導く
<神助:祝福・恩恵>が「思いがけない幸運(セレンディピティ)」のカタチとなって
時にかなって美しい【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】が実現されます!
●失敗は方針を転ぜよとの神の命令である。
我等は失敗を重ねて神の定め給いにし天職につくのである(内村鑑三)
●<神助>(内村鑑三)
◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じて全ての善き物をもって汝を恵まん。
⇔ ★天来の思想
★外来の友人
★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
◆汝の事業を助けん。
◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。
◆汝は信仰をもって神の力を汝の力となすを得べし。
◆多くを望めよ、そは天にいます汝の父はその恩恵の宝庫を開いて
汝の来りてこれを求めんことを待ちつつあり給えばなり。
●神は神の聖霊を役立てたいと思う人々にだけ、それを授け給うのであって、
ただそれを所有して楽しむためには与えられない(ヒルティ)
●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)
<万事・万物>を「天罰・悪運」と「偶然の幸運」で片付けることに決別して
個人的でも民族的でも世界的でも日々直面する大小様々な<患難辛苦>にも、
「天罰」というより、<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>の誘惑であり、
<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>の謀略工作とみなすことで
<試練・試探>【神愛特訓:オーディション!リハーサル!】だと受け止めて
<不屈の楽天楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】で
どんな天罰・悪運に思える<闇・最悪・マイナス>でも<光・最善・プラス>に
大転換できるように<忍耐・辛抱・我慢>ではなくて、<優耐・望耐・歓耐>で
【神愛の事業=隣人愛&奇蹟】である<神助:祝福・恩恵>を勝ち取りましょう!
●The Best is yet to come!
<最善の時はこれからだ!>(ブラウニング)
●<最善の最後>(内村鑑三)
信者の生涯は始めは悪くして、終わりは善くある。
終わりに近づくほど、ますます善くある。
最後(ラスト)が最善(ベスト)である。
●<希望と前進>(内村鑑三)
人は希望的動物なり。
彼にありては前を望むは自然にして、後を顧るは不自然なり。
希望は健全にして、回顧は不健全なり。
「●後にあるものを忘れ、前にあるものを望み(ピリピ書3-13)」と
罪を忘れ、病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、
神と、生命と、成功と、愛とに向かって進まんのみ。
●いたずらにあなたを苦しめるために苦難が与えられるのではない。
信じなさい。まことの生命は悲しみの日に植えられている事を(ヒルティ)
●あなた方が、いろいろな試練にあった時は、
それをむしろ喜ばしいことに思いなさい(ヤコブ書1‐2)
●彼らは涙の谷を過ぐれども、そこを多くの泉あるところとなす。
初めの雨は多くの祝福にておおわれる(詩篇84‐6)
●あなた方はキリストのためにただ彼を信じることだけでなく、
彼のために苦しむことも賜っている(ピリピ書1‐29)
●我々が神の国に入ってゆくには多くの苦難を経なければならない
(使徒行伝14‐22)
●患難は恩恵と離れて考えるべきでない。
それは患難は恩恵の一部なればなり。
塩味を和せずして甘味は甘味ならず、
患難なくして恩恵は恩恵ならず、
食に薬味の必要なるがごとくに人生に患難は必要なり。
患難ありて始めて人生に香味は生ずるなり(内村鑑三)
●<手段と目的>(内村鑑三)
患難のための恩恵にあらず、恩恵のための患難なり。
患難は手段にして恩恵は目的なり。
患難をもって始まり恩恵をもって終わるなり。
一の患難は百の恩恵を招き、短きこの患難の世は
永遠無窮の恩恵の世に終わる。ゆえにわれらは恩恵について
思うこと常にして患難について考うること稀ならざるべからず、
そは神の造化においては患難はその最小部分にすぎざればなり(内村鑑三)
●命は恩寵のうちにある、夕暮れに涙が宿っても、
朝明けには喜びの叫びがある(詩篇30‐5)
●あなた方に会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。
あなた方を耐えられないような試練に会わせることはないばかりか
試練と同時に、それに耐えられるように、逃れる道も備えて下さる
(コリント前書10‐13)
●試練と祝福は密接に関連している(ヒルティ)
●<患難の解釈>(内村鑑三)
患難はこれを消極的に解すべからず、積極的に解すべし。
これを神の刑罰として解すべからず、神の恩恵として解すべし。
神の憤怒の表彰として解すべからず、その自愛の示顕として解すべし。
恩恵はすべて身の患難にして、麗の幸福なり。
麗の幸福と解してすべての患難は患難たらざるにいたる。
●<恩恵としての患難>(内村鑑三)
神は無益に患難を下し給わず、
これを自己かまたは他人を救うために下し給う。
患難はたしかに神の恩恵なり、
これなくしてわれも人も罪悪を去りて正義の神に帰るあたわず。
運が善い幸運な時は自分の運勢や【この世の勢力:富・権威・名声】の手柄より
<歓喜!感動!感謝!>に導くのも内なる【ビジョン:理想・夢念・大志】です!
【ビジョン:理想・夢念・大志】を【同労者・同志】<人生最善の伴侶>であり、
【賜物・無償ギフト・神恵】と感謝できるほど、さらに<神助:祝福・恩恵>は
増し加えられ<パワー・アップ&アップ・グレード>されます!
●それを持てる者は与えられて、なお余りあり。
持たぬ者はその持てる物をも奪わるるなり(マタイ伝13-12)
感謝は「持てる」を証明す(内村鑑三)
●神が喜ばれるのは、おそらく神へのひたむきな憧れと、
神に向かって手をさしのべることだけであろう(ヒルティ)
●善を信じなければならない。善なるものがこの世には存在すること、
そして、それは悪に対して勝利をおさめる力をもつことを
信じなければならない(ヒルティ)
●この世における人間の主な目的は神の栄光をたたえ、
永遠にわたって神をよろこぶことである(クロムウエル時代の簡略教理問答書)
皆さんが運悪く天罰に思える「どん底状態」でも、幸運続きの「絶好調」でも
此の世の<万事・万物>の背後には偶然ではない人智の解釈では計り知れない
存在する事を体感して<万事・万物>を<最高!最善!最美!>に導いてくれる
<神助:祝福・恩恵>に対して<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>の心意気で
<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢念・大志】を<人生旗印>に
【救国:精神復興&国体再建】【世界平和:自由&正義<隣人愛>の結実】に
活躍されることを心より応援しています!
●人生の目的は神を知ることにある(内村鑑三)
●イエスに対する【貴い愛】は人を促して大きな仕事をなしとげさせ、
人を励ましいつもいっそう完全な徳を望むように仕向けさせる。
愛は常に向上を欲していかなる、
いと低い事物によっても引き停められることを望まない
(トマス・ア・ケンピス)
●事実の子たれよ、理論の奴隷になるなかれ(内村鑑三)
●神は善きを視るに敏くして、悪魔は悪を探るに巧みなり
神は奨励する者にして、悪魔は失望せしむる者なり(内村鑑三)
●神の神たるは人の善きを思うて悪しきを思わざるにあり。
悪魔たるは人の悪しきをのみ思いえて人の善きを思いえざるにあり
●世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ
(シェークスピア)
●辛いことの背後(ウシロ)には最も歓ばしいことが隠れている。
我らは何事にかかわらず勇んで主の命に従うべきである(内村鑑三)
●悪いことの中にも、なにほどかの善の魂がまじっている。
人が注意ぶかくそれをさがし出すならば(シェークスピア)
●神はどんな悪も行われないようにするよりも、
むしろ悪から善を生じさせるようにする方が善いと考えられたのである
(アウグスティヌス)
●全ての事は、神の御旨によりて招かれたる神を愛する者のために、
ことごとく益をなすを我等は知れり(ロマ書8-28)
●キリストは我が万事(すべて)であるということである。
キリストは我が義である、我が潔めである、
我が救いである。我れキリストを信じて我が為すべき万事をなしたのである。
「そは神の充足(みちた)れる徳は、ことごとく形体(かたち)をなして
キリストに住めり」(コロサイ書2-9)
神はキリストにありて万物をヒトに与え給うのである。
しかして人はキリストにありて万物を神より受くるのである(内村鑑三)
●神は、すべての人に、いのちと息と万物をお与えになった方です。
確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
私たちは、神の内に生き、動き、また存在しているのです
(使徒行伝17-25~28)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)