【2023年9月1日に作成した<第767回>に加筆】
◇◇【ビジョン】で<恵みの時代>【神愛礼拝】体得に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
精神苦・病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
<対戦・応戦・抗戦>意欲に導びく<最高!最善!最美!>の<無限の源泉>が
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
【神の愛=主イエス&聖霊】が与えてくれる【神愛力=隣人愛&神愛奇蹟】です!
<御国の福音>を受け入れて<現代版ノアの方舟:携挙>がいつ来ても大満足人生の為に
<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢望・念志】を<人生の旗印>に掲げて
<不屈の楽観・楽天能力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊性活気力】で
【神愛責務】<事を為せ!Do Business!>【ミッション:大義・使命・天職】に生きて
【主イエス】再臨で地上誕生する<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>にて
栄化復活の心体で四苦八苦から解放され千年間のエデンの園復活事業で活躍しましょう!
私たちが生かされている時代は<ディスペンセーション主義:神の計画が進展していく
過程において出現する明確に区分可能な神の経綸>では【主イエス】メシア性拒否から
7年間の大患難時代を含み<奥義の王国・恵みの時代>と定義されています。
★奥義としての王国:ユダヤ人がイエスを拒否した時から、イエスの再臨までの期間
★恵みの時代:聖霊降臨(使徒行伝2-1)<教会時代の始まり>から
7年間の大患難時代終わりまで(黙示録19-21)
どんな宗教・信仰儀式でも聖地や聖所があって決められた祝詞や戒律・儀式があって
【主イエス】復活までは旧約【聖書】も戒律と儀式に従わないと<創造主・天の父>と
交流できませんでした。<不義・不正・不実>不純・不潔な私などは当時生きていれば
世間的アウトロー扱いで到底近づける立場ではなかったでしょう。
しかしイスラエル民族が【主イエス】を受け入れなかったおかげで私たち他民族異教徒が
優先された<奥義の王国・恵みの時代>には特別な聖地や戒律儀式から霊的自由解放され
いつどこでも何度でも自由に【神の愛=主イエス】に呼びかけ自由に祈り語れるのです!
<自由な語りかけ>【神愛礼拝:★讃美★祈求★感謝】が基本的戒律と言えるでしょう。
●【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】
いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
(テサロニケ前書5‐16~18)
●望みて喜び、患難に耐え、常に祈れ(ロマ書12-12)
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
<全智・全能・全愛><いつも一緒!>【神の愛=主イエス】は私達の全てご存知なので
何故祈る必要があるのでしょうか?
●あなた方の父なる神は、あなた方がお願いする先に、
あなた方に必要なものを知っておられる(マタイ伝6-8)
●汝らの父は求めぬ前に、なんぢらの必要なる物を知りたまふ(マタイ伝6-8)
●彼らが呼ばないうちに私(主)は答え、彼らがまだ語っているうちに私は聞く。
(イザヤ書65‐24)
イスラエル民族は【神愛奇蹟】体験しても見えない形なき【神の愛=天の父】よりも
目先の見える形ある偶像<闇の勢力:悪魔・反キリスト・悪霊>に頼ってしまいました。
私が【神愛礼拝:★讃美★祈求★感謝】することは【神の愛=主イエス】の存在を忘れず
<闇の勢力:悪魔・反キリスト・悪霊>の偶像に感謝し頼る忘恩背信から守ってくれる
【神の愛=主イエス】につながれる<神愛特権>【賜物・無償ギフト・神恵】です!
●私たちは見えるものでなく、見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的にして、見えないものは永遠に続く(コリント後書4-18)
●私はまことのぶどうの木、私の父は農夫である(ヨハネ伝15-1)
●わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、
その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、
あなたがたは何もできないからである(ヨハネ伝15-5)
●<絶えざる祈り>(ヒルティ)
神との交わりには、
特別の時刻や時期(朝夕など)や姿勢や身振りなどを全然必要としない。
反対に最も簡単な言葉、あるいはただ心に思うだけで十分である。
いろいろな外的な用意はかえって妨げになることが多い。
最も大切なのは、われらの主とたえず心のつながりを持つことである。
使徒パウロはこれを「絶えず祈る」といっている。
祈りは単純、かつ誠実に、すこしも形式にこだわらずに、なさねればならない。
それだけでなく、なお祈りに対する神の答を聞くことができなくてはならない。
そのためには、日常の騒々しさや利己心にすこしも妨げられない、
微妙な心の耳が必要である。
●神への祈り、つまり精神性は上昇しようとする欲求であり、
悪魔への祈り、つまり動物性は下降する悦びである(ボードレール)
●心からの祈りによって、成し遂げられないものは、この世には無い(ガンジー)
●何事も思い煩ってはならない。
ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、
あなた方の求めるところを神に打ち明けなさい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、
あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
(ピリピ書4-6~7)
●あなた方の中で苦しんでいる人は、祈りなさい。
喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい(ヤコブ書5-13)
●祈りの時、信じて求めるものは、みな与えられるであろう(マタイ伝21‐22)
●何でも祈り求めることは既にかなえられたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになるであろう(マルコ伝11‐24)
●我等が神に向いて確信する所はこうである、
即ち御意(みこころ)にかなう事を求めれば何でも神は必ず聞きいれて下さる。
我等が願い求めることは何でも聞き入れて下さるとわかれば、
神に願い求めた事は既にかなえられたことを知るのである
(ヨハネ第一書5-14~15)
テレビ・ラジオやネット放送でも私たちの方から周波数やチャンネルを合わせなくては
見聞きすることはできず、【神愛礼拝:★讃美★祈求★感謝】は【神の愛=主イエス】に
【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を向ける<霊的送受信機能>と体感できます。
●主よ、私の言葉に耳を傾け、うめき、嘆きを聞き分けてください。
私の王、私の神よ、助けを求める叫びの声に心に留めてください。
あなたに向かって祈ります。
主よ、朝ごとに、私の声を聞いてください。
朝ごとに、私は御前に訴え出て、あなたを仰ぎ望みます(詩篇5-2~4)
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
【神の愛=主イエス】は公平で分け隔てしないので【聖書】【主イエス】を知らずとも
<神愛神助:祝福・恩恵><神愛の御手:導き手・助け手・癒し手>【神愛奇蹟】を
誰にでも一方的に差し伸べ続けています。私も人生を振り返ると産まれたときからずっと
何かしら【神の愛=主イエス】に出遭うチャンスだらけでした。皆さんも体感できます。
●背信の子らよ、立ち帰れ。私があなた方の背信をいやそう(エレミヤ記3-22)
●遠くから、主は私に現れた。私は、とこしえの愛をもってあなたを愛し、
変わることなく慈しみを注ぐ(エレミヤ記31-3)
●見よ、私は戸口に立って、たたいている。誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば、
私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう。
(黙示録3-20)
私たちが教会制度やキリスト教的戒律儀式に無縁でも<我が心>を<神愛大聖堂化>して
【神愛礼拝:★讃美★祈求★感謝】【神愛礼讃:神愛謳歌・神愛絶賛・神愛熱唱】体得で
<全智・全能・全愛><いつも一緒!>【神の愛=主イエス】は【神の愛=聖霊】を
私たちの【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に内住させくれ<守護天使・御使い>と共に
【神愛力=隣人愛】に満ちた【ビジョン:理想・夢望・念志】を抱けるようになります!
まさに自力では考えつかない<天来・神愛産物>【賜物・無償ギフト・神恵】です!
●【真の霊の結ぶ果実<御霊の果実>:ガラテヤ書5-22)】
仁愛・喜楽(歓喜)・平和(平安)・忍耐(寛容)・慈悲(仁慈)・善良(善意)
忠信(誠実)・温柔(柔和)・節制(自制)
<奥義の王国・恵みの時代>に【神の愛=主イエス】を心に受け入れられた私たちは
<自分らしさ・オリジナリティ>【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮できる
【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が大満足の【ビジョン:理想・夢望・念志】を連発し
此の世で【神愛特訓】【試練&召命:オーディション&リハーサル】で鍛錬され磨き続け
<我が道:生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を発見体得しましょう!
<奥義の王国・恵みの時代>に活かされた私たちの【神愛責務】だからです!
●神は我をして我以上の思想を語らしめ、我以上の事をなさしめ給う。
神に頼る我は小なりといえども、はなはだ大なる者なり(内村鑑三)
●【神聖なる商業】(内村鑑三)
世に神のために真理を伝うる者はあります。
神のために筆を執り、または神のために風琴を弾ずる者はあります。
神のための伝道はあります。
神のための慈善事業もないことではありません。
しかしながら、世に探してもないものは、
神のためにする商売であります。
神のためにする農業であります。
神のためにする製造業であります。
多くの人は、伝道は神のためであって、商業は金のためであると思うております。
彼らは商業で金をもうけて、それを伝道のために寄付すれば、
それで神のために尽くしたと思うております。
彼らは、商業そのものが神聖なるものであって、
これが伝道の一つであることを知りません。
使徒パウロが伝道に従事した心をもって商業に従事する人が欲しいものであります。
商品を商品として見ることなく、神よりゆだねられしものと思うて、
これを取り扱う人がほしいものであります。
こういう人は必ず商業においても成功するに相違ありません。
こういう商人が世に出てこそ、天国はこの世に来るのであります。
信仰をもって商業に従事する人、
これが、私どもの最も見たく思う者であります。
この誌の読者諸君の中に、この聖き望みをいだかるる人はありませんか。
●<事業と信仰>(内村鑑三)
事業ではない。信仰である。
事業をなすための信仰ではない。
信仰の自然の結果として成る事業である。
しかり、信者の事業は信仰である。
人々、イエスに言いけるは、
われら、神の事業をなさんがために何をなすべきやと。
イエス答えて彼らに言いけるは、
神のつかわしたまえる者を信ずる事、これ神の事業なりと(ヨハネ伝6ー28~29)
イエスを信ずる事、その事が信者の唯一の事業である。
そうしてもし、彼によって大事業が成るならば、
なさんと欲して成るにあらずして、
信仰の結ぶおのずからなる結果として成るのである。
信仰の生涯はイエスを目的(めあて)に生くるのであって、
事業はこれを眼中におかないのである。
●<遠大の事業>(内村鑑三)
余輩は今の人のみ救わんと欲せず、また後の人をも救わんと欲す。
余輩は日本人のみを救わんと欲せず、全人類を救わんと欲す。
余輩の事業は小なりといえども永久的にしてまた宇宙的なり。
余輩は今時をのみ目的として働くものにあらず。
●われらは天職を終了(オワル)までは不滅なるがごとし(リビングストン)
●我が事業の成るまでは我が死なざること、そのことは確実である(内村鑑三)
●天の定めたる労働を求め、衣食のこれに伴うのを知って感謝する。
(これキリストによってその霊魂の救われた者のすることであります)
衣食は天職の遂行に伴う必然の附随物であります(内村鑑三)
●神はその恵みを私たちの上に増し加えあふれさせ、
あらゆる知恵と悟りとを私たちに賜わり、
御心の奥義を、自らあらかじめ定められた秘められた計画に従って、
私たちに示して下さった。
それは、時の満ちるに及んで、救いの業が完成される御計画にほかならない。
それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとくキリストに帰させ、
キリストのもとに一つにまとめられるのである(エペソ書1-8~10))
●我が口より出づる言葉はむなしく我に帰らず、我が喜ぶところを成し、
我が命じ遺(おく)りしことを果たさんと主は言い給う(内村鑑三)
●他を進めて、また自身をも進めるの事業、神の事業とは実にかくのごときものなり。
(内村鑑三)
●人に少しも頼ることなくして、
神にのみ頼ってなすことのできる事業のみが
神の命じ給うた事業である。
かかる事業に従事するを得て我等ははじめて独立の人となるのである(内村鑑三)
●意(オモイ)を事業に注いで事業は成らず、眼を神に注いで事業はおのずから成る。
神は事業の神なれば我らは神を信じて無為の生涯を送らんと欲するも得ず(内村鑑三)
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
日々直面する患難辛苦を【神愛特訓:オーディション!リハーサル!】と受け止め
【主イエス】再臨で地上誕生される<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>の
本番舞台でエデンの楽園復活事業に【ビジョン:理想・夢望・念志】で参加する為に
<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>GLORY JESUS KINGDOM!先取神愛感謝で
いよいよ迫り来る【主イエス】空中再臨の<現代版ノアの方舟:携挙>を待望しながら
<奥義の王国・恵みの時代>にいつどこでも【神の愛=主イエス】に心を向け続ける
【神愛礼拝:★讃美★祈求★感謝】【神愛礼讃:神愛謳歌・神愛絶賛・神愛熱唱】体得で
<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢望・念志】を<人生の旗印>に掲げて
<我が道:生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を発見体現して
<ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩><福音の戦士>【福音の勢力】に決起して
【救国:民族精神復興&国体再建】【世界平和:神愛自由&神愛正義<隣人愛>結実】に
皆さんがチャレンジし続ける活躍を心より応援しています!
●大きな夢をみよう。
大きな夢だけが人の心を動かす(ニュートン)
●われわれの人生とは、われわれの思考が作りあげるものに他ならない。
(Our life is what our thoughts make of it.)(ニュートン)
●神への愛だけが我々を徹底的にエゴイズムから解放する事ができ
またすべての本当の自己改革の始まりである(ヒルティ)
●いわゆる人間愛は、すべて神に対する強い愛という根底がなければ
単なる幻想である(ヒルティ)
●神が喜ばれるのは、おそらく神へのひたすらな憧れと、
神に向かって手をさしのべることだけであろう(ヒルティ)
●神の無限の力に頼りて我等は我等の信じるがごとくに
全ての事をなすを得るなり(ピリピ書4‐13)
●まちがいなく最も手近な義務だと認められることを常に行ない、
それから先のことは静かに待っていること、そのような人に宿っている
真理な霊は必要に応じて何でもその人に思い起こさせてくれる。
だから、その人は前もっていろいろのことを熟考したり、
心にとめておくことはいらない(ヒルティ)
●Beautiful is that beautiful does. (美を為すこと、これ美なり)(内村鑑三)
●我々は何をなすべきか、またそれをいかに為すかについて、
決して無頓着であってはならない。
いやむしろ、我々は全ての勤勉と才能を真剣に活用しなくてはならない。
ただし、野心や所有欲からではなくて
義務感や神への愛から、それをしなければならない。
そして、事の成否は神に委ねるべきである (ヒルティ)
●我々が、この人生に召されたのは、それは興味がなくなったら、
勝手にこの人生から出て行っよいためではなく、
むしろ、神が適当な時に我々を呼び戻すまで、
自分や他人にとって有益な生活を営むためである(ヒルティ)
●ある人の生涯における最大の日とは、その人の歴史的使命、
すなわち神がこの世で彼を用いようとするその目的が明かにわかり、
また、これまで彼が導かれてきたすべての道が
そこに通じているのを悟った日のことである(ヒルティ)
●わたしたちは行く先を導いてくれる、天与の特質を身につけています。
わたしたちは人生という川の流れに、無防備で放り込まれたのではありません。
考え、判断し、達成する力を備えて、この世に来たのです(トーマス・モンソン)
●あなた方の上に聖霊が臨まれるとき、あなた方は力を受ける(使徒行伝1-8)
●あなた方は、食べるにも、飲むにも、何をするにも、
ただ神の栄光を現わすためにしなさい(コリント前書10-31)
●この世における人間の主な目的は神の栄光をたたえ、
永遠にわたって神を歓ぶことである (クロムウエル時代の簡略教理問答書)
●私(主)の名で呼ばれるすべての者は、私の栄光のために、私がこれを創造し、
これを形造り、またこれを真に完成させた(イザヤ書43-7)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主の恵みに感謝します!アーメン
■【福音の三要素(信条)=救霊<【御霊】内住>の証し】
●キリストは、私たちの罪のために死なれた<十字架>
●死んで墓に葬られた<埋葬>
●三日目によみがえられ今も生きておられる<復活>(コリント前書15ー3〜5)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
異論・反論・疑問などメール歓迎します!
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田中 聡(さとし)