◇◇≪善き意志≫を行なう能力である【真の自由】(その1)◇◇<改訂版・再掲載>
【2002年5月5日に作成した<第244回>に加筆】
★★「フリー・チベット!」と「映画『靖国』問題」に考えること★★
●自由は自ら己を治むるの意なり(内村鑑三)
●自由は理想にあらず、境遇にあらず、能力である(内村鑑三)
●【真の自由(内村鑑三)】
◆真の自由は発意である ⇔ Unconditional(無境遇)
◆真の自由は正しき選択である ⇔ 霊性本来の標準に従う~霊的生命達成の道
◆真の自由は善き意志を行う能力である
●真の自由は消極的状態でなく積極的状態である
何事をも為しうる状態又能力でなく,ある事を為さずしてある他のことを為す能力
⇔善悪を判別して悪を避けて善を行う能力
●I can do that which is right.(我は正しき事を為し能う)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!
現在の日本社会もいよいよ【大転換期(パラダイム・シフト)】にあると実感します。
それは現在享受している【自由】について改めて考え見直そうとする事から始まります。
今までの日本の政治家やジャーナリスト・学者・有識者の多くは<政治の目的>といえば
年金問題や社会保障などを中心にして「国民の生命と財産を守る事」と叫びます。
一方欧米諸国では、先ずは【自由】を守る事が<最大の使命>であると叫ぶようです。
つまり欧米社会と日本における【自由】の扱われ方や考え方に相違があるように思います。
欧米は民族紛争による侵略・迫害・弾圧を体験した<長い歴史>で身に染みた事もあって、
【自由】とは<生命>と同じように人生において死守する価値があり、空気や水のように
<必要不可欠>である事を、政治家も有識者も多くの個人も理解しているように感じます。
【自由】とは【神の愛=主イエス】から全ての<個人>に与えた<特権:神恵>であって、
権力者から<与えられるもの>でなく<正当な権利>であり、【自由】が侵害されたなら
自ら戦って勝ち取る<交戦の覚悟>を持っているのが欧米キリスト教社会だと思います。
それでは【神の愛=主イエス】から与えられた<特権:神恵>の【自由:意志と決断】は
何のために大切かと言えば、自己の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を発揮するための
<実現能力>として必要不可欠とういうことになります。
●自由とは、あらゆる特権を有効に発揮させる特権である(カント)
●自由のあるところにのみ道徳は行われる(内村鑑三)
●真の自由とは、すべてのことを己の基準でなしうることである(モンテー二ュ)
●私は人格をすべて表現するために自由を望む(ガンジー)
●あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた
運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である(フランクル)
●人間に残された最後の自由はどんな状況にあっても、その中で自分の態度を決める事だ
(フランクル)
従って、個人も社会でも【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を実行できる【真の自由】は
【神の愛=隣人愛】による【平和】が実現できるからこそ<政治の使命>だと思います。
●政治の目的は善を為すに易くして、悪を為すに難い社会を作るにある(グラッドストーン)
●すべての偉大なることは単純である。その多くは、自由、正義、名誉、義務、慈悲、
希望という、1つの言葉で表現できる(チャーチル)
●自由を愛することは他者を愛すること(ウイリアム・ハズリット)
【真の自由】は気ままな<無秩序状態>ではなくて【神の愛=主イエス】が最も喜ばれる
<善>【神の愛=隣人愛】の実践を目指して<悪:無知・無関心・無責任>を認めません。
●人はただ信仰によってのみ自由とされるのであって、いかなる意味においても
行為の正しさによって自由をえるのではない(ルター)
●恐れなき冒険は自由の精神で、打ち負かされない力を生みなさい(ヘレン・ケラー)
●自由には義務という保証人が必要だ。それがなければ単なるわがままとなる
(ツルゲーネフ)
【真の自由】は【神の愛=主イエス】から与えられる<神聖な特権:神恵>だからこそ、
<歓喜!感動!感謝!>で大切に守り、できる限りは<最善>の【神の愛=隣人愛】の
実現のために活用したくなるのだと実感できます。
●主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由がある(コリント後書3‐17)
●真理はあなた方を自由にさせる(ヨハネ伝8‐32)
●我が名を畏れ敬うあなた方には義の太陽が昇る。その翼には、癒しの力がある。
牧場に放たれた牛舎の子牛のように自由にされ、喜びのあまり跳びはねる
(マラキ書4-2)
●貧しい者に福音を宣(ノ)べ伝え
霊的な囚人を釈放し
霊的な盲人の目を開かせ
虐げられ打ちひしがれた者に自由を得させる(ルカ伝4-18、イザヤ書61-1)
●自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行なう口実として用いず
神の僕にふさわしく行動しなさい(ペテロ前書2‐16)
●あなた方が召されたのは、実に自由を得るためである。
ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい
(ガラテヤ書5‐13)
★★【その2】につづく★★