◇◇【聖書】⇔【自由人】としての教養!(その2)◇◇<改訂版・再掲載>
【2004年11月26日に作成した<第352回>に加筆】
★★現代「リベラル・アーツ(liberal arts):大学の一般教養課程」に思うこと★★
★★【その1】のつづき★★
たとえば、偉大なる音楽家バッハの作品は、現代では誰も疑うことなく人類の世界遺産です。
しかし、私たちの誇りであり、希望と慰めと励ましと勇気を与えてくれる偉大なるバッハも【この世の勢力:富・権威・名声】と無縁の生涯であったことは有名です。
バッハの生涯には教会内の専門音楽として認められても、富も名声も得られないままでした。
バッハの死後、残された家族の生計の糧とするために、楽譜は散在してしまったそうです。
後世の私たちのためにバッハの【天賦の才能】で光輝く【愛の結晶】を見出してくれたのは死後百年後のメンデルスゾーンでした。
【神の愛=隣人愛】に従った【光】あるものは必ず見出される!という実例は、私たちにも勇気と希望を与えてくれます!ハレルヤ!栄光を主に帰します!
●真の有為な人が、長く軽んじられたためしはない(ヒルティ)
●人々が「失われた」と言うところで、神は「見いだした」と言い、
人々が「裁かれた」と言うところで、神は「救われた」と言い、
人々が「否」というところで、神は「然り」と言う。
人々がなげやりな気持や、高慢から、目をそらせるようなところで、
神は他のどこにもない愛のこもった目を向けるのである(ボンヘファー)
●人は表面のことを見るが、神は心中を見られる。人は行ないを考察するが、
神は意図をおもんばかられる(トマス・ア・ケンピス)
日本で一番人気の画家ゴッホにしても、生涯で売れた作品は一点だけだったことは有名な
伝説です。
画家フェルメールの作品においては、彼の死後200年後までは誰にも気づかれずこともなく
忘れ去られていたということは、フェルメールの作品に感動する私たちには驚きです。
彼等も【自主独立:自由と独立】の立場で【愛好精神】で【ビジョン:理想・夢・志】を
描き続けてくれた【神の愛の伝道者】であったと信じます!
●もし、人が何か役に立つことを知り、かつ学びたいと願うならば、他の人から
知られずにおり、人から何ものでもないと思われることを愛さなければならない
(トマス・ア・ケンピス)
●もし、あなたが何事かの知識や学問を役立つように修得したいと欲するならば
自分が世に知られず、つまらぬ者と評されるのを喜びなさい(トマス・ア・ケンピス)
現代科学では常識である「原子(アトム)」の存在は、紀元前400年頃にギリシャ哲学者が
最初に定義して、実際に科学的実験で証明される道を開いたのは、はるか2000年後でした。
英国の田舎町で私塾を開き研究していた敬虔なクウエカー教徒のドルトンによってだそうです。
この長き2000年の間には歴史に残らなかった無数の無名の【自主独立:自由と独立】に
生きた人々がいて、彼らが【神の愛のバトン】のように【ビジョン:理想・夢・志】を
受け継ぎ、後世へと継承し続けてくれたからこそ、原子研究の発展が実現できたわけで、
信仰深きドルトンに【神の愛のプレゼント】が【霊感】で与えられたと確信します!
●【幸福と十字架(内村鑑三)】
人類の幸福は 学術の進歩を要す
学術の進歩は 思想の自由を要す
思想の自由は 政治の改善を要す
政治の改善は 人心の洗浄を要す
人心の洗浄は 霊魂の釈放を要す
霊魂の釈放は キリストの十字架を要す
●イエスと共にある者は;
◆青春の詩的理想を持続することができる
◆単純にして一貫せる生涯を完全に遂行できる
★平民の友★自由の主張者★理想の追求者
にしてその
★実行者★大革命家★大詩人★大預言者
●あらゆる存在は、その特性に従って自己を発展させ自己を実現する生まれつきの衝動を
自分のうちに持っている(ヒルティ)
●【独立の確信(中江藤樹)】
知らざりし 外に求むる いろいろの ちから我が身の うちにありとは
どうやら人間の一生涯では長すぎる百年、千年の単位であっても、<永遠の存在>である
【神の愛の計画】から見るならば、全人類には【最適な時期】であると思えてきますね。
●愛する人たち、このことだけは忘れてはならない。主のもとでは、一日は千年のようで、
千年は一日のようである。ある人たちは、遅いと考えているようですが、
主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。
そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、
あなたがたのために忍耐しておられるのです(ペテロ後書3-8~9)
【神の愛】はいつもどこでも私たち人類全体の<最善>を見て決定している証明ですね!
●天の下では、何事にも定まった時期あり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えたものを抜くのに時がある。
殺すのに時があり、癒すのに時がある。
崩すのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、微笑むのに時がある。
嘆くのに時があり、躍るのに時がある。(伝道の書3-1~5)
●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)
●我(主)が為すことを汝今は知らず、後に悟るべし(ヨハネ伝13-7)
私たちの描く【ビジョン:理想・夢・志】も、実現が明日でも、死後数百年後になろうが
【主の御心】に任せましょう!【ビジョン:理想・夢・志】を目指し【神の愛の導き】に
従う覚悟こそが【自主独立:自由と独立】に生きる証しだと思います。
●汝の道を進め、人々をしてその言うにまかせよ(ダンテ)
●彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている(ヘブル書11‐4)
●導きの正反対は出世主義である(ヒルティ)
●賢さで人生を乗りきるのは困難だが、導きによって生きるのは容易である(ヒルティ)
●一体に計画を立てるということは、何の役にも立たないことが多いものだ。
待つこと、そして神のさずけ給う機会に注意を怠らず与えられたその機会をすばやく、
すすんで十分の心構えをもってつかむ事、これが成功をおさめる道である(ヒルティ)
●人の計画は成りて敗れ、神の計画は敗れて成る(内村鑑三)
●正義は負けて興り、不義は勝ちて滅ぶ(内村鑑三)
●負けて勝ち、踏みつけられて立ち、殺されて活くるのがキリスト信者の生涯である
(内村鑑三)
幕末の混迷期に無位無冠の在野の志ある一般個人こそが、社会改革や政治参加を目指す
「草莽崛起(ソウモウクッキ)」を奨励した吉田松蔭にしても、彼自身は目先の利欲・名声には
とらわれることなく、【自主独立:自由・独立】に生きた人物だと感じます。
●私は30歳。四季はすでに備われており、花を咲かせ、実をつけているはずである。
それが単なるもみ殻なのか、成熟した粟の実であるのかは、私の知るところではない。
もし同志の諸君の中に私のささやかな真心を憐れみ受け継いでやろうという人が
いるなら、それはまかれた種が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じである」
<「留魂録」吉田松陰の遺書:NHKホームページより>
●<吉田松陰が亡くなる一年前に弟子に送った漢詩>
「志を立てるためには人と異なることを畏れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思いわずらうな
また目前の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことのないように」
(NHK「その時歴史が動いた」より)
●誠に実に汝等に告げん、一粒の麦も地に落ちて死なずば、ただ一つにて残らん。
もし死なば多くの実を結ぶべし(ヨハネ伝12-24)
●見えるものは一時的であって、見えないものは永遠に続く(コリント後書4‐18)
私たちも【この世の勢力:富・権威・名声】や世間的常識や時流にとらわれることなく、
素晴らしい<最愛の我が子・我が分身>の【ビジョン:理想・夢・志】を育てましょう!
そして、【聖書】を通じた【神の愛】は、私たちが心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】を光り輝かせてくれる、無限の【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】と日々新たな【バイタリティ:生活力=生命力+活力】であることを体感して下さい!
●【福音の勢力】(内村鑑三)
福音は政治にあらず、しかれども国家を潔む
福音は美術にあらず、しかれども美感を喚起す
福音は哲学にあらず、しかれども思惟を刺激す
福音は産業にあらず、しかれども富を増進す
福音はこの世のことにあらず、しかれども人をその中心において
活かすゆえに活動の全ての方面においてこの世を啓発す。
この世以外の福音こそ、この世を救う唯一の勢力なれ。
●福音は社会のためにあらずして、社会は福音のためなり
福音は顕れたる神の聖旨を実顕せんがために世を造り給いしなり。
福音は目的にして社会は手段なり(内村鑑三)
●【キリスト教の真意(内村鑑三)】
活動思索の全ての方面においてエホバの神を崇め奉る、
これキリスト教の真実となす。
-天体に神の栄光を探る
-地層に神の御手の工(ワザ)を求む
-詩歌に神の無限の愛をたたえる
-美術に神の美妙の理想を現わす
-農は神と共に神の地を耕すこと
-工は神と共に造化の上に、さらに造化を加えること
-商は神と共に神の物産を広く四方に分かつこと
●世に惨事多きや、福音を説くべし
世に罪悪多きや、福音を説くべし
国家を救わんと欲するや、福音を説くべし
社会を改良せんと欲するや、福音を説くべし
福音は世を救うための神の能(チカラ)なり(内村鑑三)
●【神の力】(内村鑑三)
神はただ愛と生命と精力とあるのみ。
「これゆえに我ら臆せず、我らが外なる人は壊(こぼ)たるとも、内なる人は日々に新たなり
(コリント後書4‐16)」
神にありて我が失敗は失敗にあらず、我が弱きは弱きならず!
「(弱った者には力を与え、勢いのない者には強きを増し加えられる。
年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる。しかし、)
我が神にありて新たなる力を獲、ワシの如く翼を張りて昇り、走れども疲れず、
歩めども倦まざるなり(内村鑑三:イザヤ40‐31)」
★★【その3】につづく★★