【2014年10月17日に作成した<第638回>に加筆】
◇◇第二の聖書で【神の愛の方程式=摂理】に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
しかし、最近の私の霊的解釈では、汎神論的<自然崇拝・多神教>であろうとも
体感できると確信するようになりました!
何故なら<天然・此の世>は【御心:聖意・聖旨】である【第二の聖書】であり
此の世の<万事・万物>は【神の愛の方程式=摂理】で【神の愛=主イエス】と
始めから終わりまで<いつも一緒!>だからです!
●わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、
わたしがこれを創造し、これを形造り、これを完成した(イザヤ書43-7)
●御子(主イエス)は見えない神の形であって、すべての造られたものに先だって
生まれた方である(コロサイ書1-15)
●万物は、天あるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、
位 (王座)も、主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。
これら一切のものは御子によって造られ、御子のために造られたのである
(コロサイ書1-16)
● 万物は、神より出で、神によって成り、神に帰する
<別訳>すべては、神から、神によって、神のために存在する
<別訳>すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている
栄光がとこしえに神にあるように。アーメン(ロマ書11-36)
●神は愛なり、宇宙は愛の機関なり(内村鑑三)
●愛は神の霊としてこの世界に満ち満ちている(ヒルティ)
●神は時おり自然の出来事や自然の事物を通して私たちに話しかける事もある
(ヒルティ)
前提として日本の汎神論的多神教を完全否定することも原因であると感じます。
もし、<創造主>が<単独の神>「私<天の父>」だけの存在だとしたら、
私には恐れ多くて、味も素っ気も無く共感も愛着も沸かなかったと思います。
内村鑑三は<単独の神>について次のように明確に示しています。
●愛は単独で存在するものではありません。愛は相互的なものですから、
単独の神には実は愛というものは、ないのです(内村鑑三)
天地創造してくれた【神の愛】が<御父の愛><御子の愛><御霊の愛>の
【三位一体】だから<万事・万物>の細部まで<相愛互助・互助友愛>の
ハーモニー豊かな【チーム・ワーク&チーム・スピリット】を感じます。
●【三位一体】(内村鑑三)⇔【三方面よりの愛】
【父】 ⇔父の厳格 ~ 上より
【聖霊】 ⇔母の慈悲 ~ 下より
【子】 ⇔兄の同情 ~ 側より
●<万物ことごとく可なり>(内村鑑三)
星は音信を伝えていわく、万物ことごとく可なりと。
地は洪声を放ちていわく、万物ことごとく可なりと。
歴史はその教訓を伝えていわく、万物ことごとく可なりと。
信仰はその実験を宣べていわく、万物ことごとく可なりと。
「神その創り給える全ての物を視給いけるに、はなはだ善かりき
(創世記1‐31)」と。
宇宙と人生の事物にしていずれか善かつ可ならざらんや。
●【愛】をもって宇宙を造り、宇宙の目的は【愛】、
その成りし手段は【愛】、その原理と精神は【愛】、
宇宙は犠牲によりて成る(内村鑑三)
まさに<単独の神>ではなくて【三位一体:父・子・聖霊】であるからこそ、
【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】に輝いています!
●神はその独り子を賜うほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである
(ヨハネ伝3-16)
●主は我らの爲に生命を捨てたまへり、之によりて愛といふことを知りたり、
我等もまた兄弟のために生命を捨つべきなり(ヨハネ第1書3-16)
●愛の中に恐れあることなし、全き愛(神の愛・隣人愛)は恐れを除く
(ヨハネ第1書4‐18)
●希望は私たちを欺くことがなく失望に終わらせない。私たちに与えられた
聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからである
(ロマ書5-5)
●神はキリスト(愛)を目的に、キリストに在りて、キリストをして、
宇宙万物を造り給へり(内村鑑三)
●宗教に関して真に大切なことは、神々に対する正しい概念をいだくことだと
知らねばならぬ。すなわち、神々は存在すること、そして世界を良く、
かつ正しく支配したもうこと、きみは神々に従うように定められてあること、
神々の指図は最高の決議の命令であるから、きみはこれを受け容れ、
公職追放を逃れた敗戦利得勢力<言論思想界/マスメディア/官僚/政界>は
大東亜戦争の【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】に支配されているので、
感じます。
キリスト教に似て、しかも最も非なるものを、
今日わが国において唱えらるる社会主義となす。
これ聖書にいわゆる「不法の隠れたるもの(テサロニケ後書2-7)」なり。
これに敬虔なし。恭順なし。平和なし。
これ単に不平と頑抗と破壊の精神なり。
これ、しもべを主にそむかせ、
子を親にそむかせ、弟を兄にそむかせ、
弟子を師にそむかしむるの精神なり。
すなわち特に叛逆の精神なり。
服従を絶対的に拒絶せしむる悪魔の精神なり。
余輩は長き忍耐の後にこの断言を発せざるを得ざるに至りしを悲しむ。
民族独自の伝統的土着信仰を完全否定せず土台にする事が信仰回帰手順であり
先ず【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】から自由解放される事が必要で
立ち帰って、日本伝統信仰精神に【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】を
接ぎ木する事が【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】だと確信します!
●ある枝が折り取られ、野生のオリブであるあなたが、その代りに接ぎ木され、
根から豊かな養分を受けるようになった(ロマ書11‐17)
●主はこう言われる。
「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ。
どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」
(エレミヤ記6-16)
●私(主)は目の見えない人たちを導き、彼らがまだ知らない大路に行かせ、
通ったことのない道を歩ませる。彼らの前で、行く手の闇を光に変え、
でこぼこの曲がった道を平らにまっすぐにする。
私はこれらのことを成就させ見捨てることはない(イザヤ書42-16)
日本が体得してきた<天然の法則>からでも、【神の愛の方程式=摂理】は
理解できます。天然と同様に私たち個人的生涯もまた<天然の法則>の下にあり
【神の愛=主イエス】への【信仰:信愛・信頼・信従】は<天理・天然法則>に
【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】【御心:聖意・聖旨】を見出す手段です!
●咲く花は多し、実となるは少なし。実となるは多し、熟するは少なし。
天然の法則は神の聖旨なり(内村鑑三)
●人はすべて草の如し
其のすべての栄え草の花の如し
草は枯れ其の草は落つ
されど主の道(ことば)は窮(かぎり)なく存(たも)つなり
しかして汝等に宣伝(のべつた)えられたる福音は即ち此の途なり
(ペテロ前書1-22~24)
●心の田畑さえ開墾ができれば、世間の荒地を開くこと難しからず(二宮尊徳)
●山家に住して漁業をうらやむなど最も愚なり。
海には海の利あり、山には山の利あり。
天命に安んじてその他を願うことなかれ(二宮尊徳)
●天理に順いて種をまき、天理に逆うて草を取り、
欲に随いて家業を励み、欲を制して義務を思うべきなり(二宮尊徳)
●父がその子に対してするように、あなた方の一人一人に呼びかけて、
神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く諭し勧めたのである。
御自身の御国と栄光に預からせるようと、神はあなた方を招いておられる
(テサロニケ前書2‐11~12)
●主は、すべての人々に分に応じて知恵を与え、主を愛する者には惜しみなく
それを与えられた。〔主を愛することこそ、輝かしい知恵。主は、御自分を
示すために、知恵を分け与え、こうして彼らは主を見るようになる。〕
(シラ書〔集会の書〕1-10)
●愛が愛として存する間は信仰はいらない。信仰のための愛ではない。
愛のための信仰である(内村鑑三)
現代は国内では家族・社会で、世界では宗教・民族・国家で分裂・対立が激化し、
伝染病や天変地異も強大化して、暗黒時代に突入しているように感じますが、
<天理・天然の法則>に基づいても、【神の愛の方程式=摂理】に基いても
【神の愛=主イエス】に立ち帰る新時代幕開けが近い夜明け前の真暗闇であると
体感できます!
●<凋落の希望>(内村鑑三)
葉落ちて枝空し。しかれども知る。芽ならずして葉落ちざることを。
凋落は復活の兆しなり。
世の日に日に朽ち行くは革新の準備すでに成りたるによる。
●<腐敗と希望>(内村鑑三)
社会は日々に腐敗しつつあると聞く、福音は日々に進歩しつつあるを識る。
旧きは日々に失せつつあるなり、新しきは日々に起こりつつあるなり。
落葉の秋に青春の兆しあり、腐敗は万物復興の徴(しるし)に他ならざるなり。
●【物の前後<The Divine Order(ホレ―シャス・ボナー)>】(内村鑑三)
◆真(マコト)なることは先にして美なる事は後なり。
美なることが先にして、真なることが後なるにあらず。
先ずありのままの森と岩と沢とありて、
しかる後に香しき美しき園はあるなり。
◆善なることは先にして美なることは後なり。
美なることは先にして善なることは後なるにあらず。
先ず荒き野に固き種を下して、しかる後に花は開き枝は茂るなり。
◆喜ばしきは先にして悲しき事は後なるにあらず、
悲しき事は先にして喜ばしき事は後に来るなり。
一度は涙にむせびて(泣かざる者とては世になければ)、
しかる後に憂いを忘れて踊り喜ぶなり。
◆光は先にして暗闇は後に来るべきものにあらず、
先ず暗黒を経過して、しかる後に光明は臨むなり。
先ず黒雲天を覆うて、しかる後に虹顕れる。
先ず一度墓に降りて、しかる後に天に昇るなり。
皆さんが日本の伝統的文化や伝統的信仰精神や【第二の聖書:此の世・天然】に
【神の愛=主イエス】【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】【御心:聖意・聖旨】を
体感して、日本の旧約時代の「武士道」を土台に<神愛道:神の国・神の義>を
<接ぎ木>する事で【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】を
体得することを心よりお奨めします!
●厳格なる正義の準備なきところにキリストの福音の栄えた例(タメシ)はない
⇔預言者なくしてキリストは世にあらわれなかった
◆旧約の道徳を排して新約は解らない
●私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、
力ある者も、高い者も深い者も、その他どんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から
私たちを引き離すことはできないのである (ロマ書8‐38~39)
●賢さで人生を乗り切るのは困難だが、導きによって生きるのは容易である
(ヒルティ)
皆さんが単に欧米キリスト教の受け売りでなく【第二の聖書:此の世・天然】と
<天理・天然の法則>にも【三位一体:父・子・聖霊】の<真理>を見出す事で
私心の<願望><最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢念・大志】に
【神の愛=主イエス】【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】【御心:聖意・聖旨】を
体感することで、<闇・マイナス・敗北>のピンチこそ【神の愛=主イエス】の
<神助:祝福・恩恵>であり、<光・プラス・勝利>に導く絶好のチャンスだと
体得する<生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を走り抜けて
たとえ連戦連敗でも<人生の旗印>【ビジョン:理想・夢念・大志】を掲げて
【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】に<お任せ人生>の
<不屈の楽天・楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】で
【救国:民族精神復興&国家再建】【世界平和:自由&正義<隣人愛>の結実】に
決起して活躍されることを心より応援しています!
●<勝利の秘訣>(内村鑑三)
我に力なし、しかれども我が全能の神は我が為に活動(ハタラ)き給う。
我に知恵なし、しかれども我が全智の神は我が為に計策(ハカ)り給う。
我が神、我と共にいまして懦弱(ヨワ)き拙劣(ツタナ)き我も
この世に勝ち得て余りあり。
我は永久(トコシエ)にエホバの聖名(ミナ)に頼らん。
●あなたは主を避けどころとし、いと高き神を宿るところとした。
あなたには災難もふりかかることがなく、天幕には疫病も触れることがない。
主はあなたのために御使いに命じて、
あなたの道のどこにおいても守らせて下さる。
彼らはあなたをその手にのせて運び、足が石に当たらないように守る
(詩篇91-9~12)
●主をおのれの喜びとせよ。主に自らをゆだねよ、
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にゆだねよ。信頼せよ、
主は計らい、主が成し遂げてくださる。
あなたの義を光のように、
あなたのための裁きを真昼の光のように輝かせてくださる(詩篇37-4~6)
●<希望と前進>(内村鑑三)
人は希望的動物なり。
彼にありては前を望むは自然にして、後を顧るは不自然なり。
希望は健全にして、回顧は不健全なり。
●後にあるものを忘れ、前にあるものを望み(ピリピ書3-13)」と
罪を忘れ、病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、
神と、生命と、成功と、愛とに向かって進まんのみ。
●いたずらにあなたを苦しめるために苦難が与えられるのではない。
信じなさい。まことの生命は悲しみの日に植えられている事を(ヒルティ)
●あなた方が、いろいろな試練にあった時は、
それをむしろ喜ばしいことに思いなさい(ヤコブ書1‐2)
●彼らは涙の谷を過ぐれども、そこを多くの泉あるところとなす。
初めの雨は多くの祝福にておおわれる(詩篇84‐6)
●あなた方に会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。
あなた方を耐えられないような試練に会わせることはないばかりか
試練と同時に、それに耐えられるように、逃れる道も備えて下さる
(コリント前書10‐13)
●信者の生涯は、
始めは悪く終りは善くある。
終りに近づくほど、ますます善くある。
生命(いのち)の夕暮になればなるほど、
彼はなにものか、彼の心の奥深き所に結実しつつあるを感ずる。
人あり、彼に、その生涯の中に最も愉快なりし時はいつか?と聞くならば、
彼は常に今なりと答うるのである。
そうして彼の最後(ラースト)が最善(ベスト)である(内村鑑三)
●最悪のものでも、最高になる、勇気さえあれば(ブラウニング)
●私は言う。「闇の中でも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す。」
あなたには闇も暗くなく、夜も昼も共に光を放ち、夜は昼のように明るく輝く。
あなたには闇も光も同じで異なることはない(詩篇139-11~12)
●万事をその最善をもって解せよ、最悪において解するなかれ(内村鑑三)
●すべての聖徒と共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さが
どれほどであるか理解することができ、また人知をはるかに越えた
キリストの愛を知って、そしてついには神の満ちあふれる豊かさの全てに
あずかり、あなた方が満たされますように、と祈る。
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちが願い求めまた思う所の
いっさいを、はるかに越えてかなえて豊かに施すことができる方に
教会により、また、キリスト・イエスによって、
栄光が世々限りなくあるように、アーメン(エペソ書3-18~20)
●<無限と希望>(内村鑑三)
神の愛は無限なり、かれの時もまた無限なり。無限の愛を行うに、
無限の時をもってす。いかなる善事をか成し得ざらんや。
我らは我らの救拯(すくい)について失望すべからざるなり。
●摂理と確かな知恵とは、私にある。私は分別であって、私には威力がある。
私によって、王たる者は世を治め、君主たちは正しい掟を定める。
君侯、自由人、正しい裁きを行う人は皆、私によって治める。
私を愛する者を、私は愛する。私を熱心に捜す者は、私を見つける
(箴言8-14~17)
●我々の真の本質の発展と実現は、我々自身の知恵よりもすぐれた神の明察に
したがい、神の道を踏んで、行わるべきである。神の意志は、一般的には
聖書を通じて、個別的には我々の人生の内的運命を通じて啓示されるが、
この神の意志を、常にためらうことなく、おのれの意志として受けとり、
よろこんでそれに一致すること、これが人生の最高の課題であり、
また神の意にかなう供え物でもある。このほかの課題はもはや存在しない。
この供え物を日々そなえていく人は、神に祝福された人であリ、
また、我々の今日の内的宗教観によれば、その人は彼自身のため、
彼の家のため、さらには彼の民族のための、神の祭司である(ヒルティ)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)